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02話

薬草と、微かに甘い花の香りが鼻をついた。ゆっくりと瞼を開くと、視界に映ったのは見慣れた自宅の木の天井ではなかった。ここは、どこだ……?体を起こそうとして、全身を襲う軋むような痛みに顔をしかめる。包帯が巻かれた腕や胴を見下ろし、思考が現実へと引き戻される。


そうだ。父さんが、母さんが、目の前で――。


「あ……ああ……父さんっ……母さんっ……!」


込み上げてきたのは、遅すぎた絶望の叫びだった。あの時、恐怖で凍りついて涙すら流せなかった自分を、今更ながらに悔やむ。守ることも、共に戦うこともできず、ただ無様に震えていただけの自分。


「――やっと目が覚めたのね」


不意に芯の通った声がした。ハッと顔を上げると、そこに一人の女性が立っていた。銀色の髪を長く伸ばし、深い緑色をした瞳が静かにこちらを見据えている。


「あんたは……誰だ……!?ここはどこなんだ!父さんと母さんは!?あの後どうなったんだ!」


混乱のまま俺は矢継ぎ早に言葉をぶつける。目の前の女性が敵なのか味方なのかも分からない。ただ、真実が知りたかった。いや、むしろ知りたくなかったのかもしれない。彼女は俺の剣幕に少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに落ち着きを取り戻し、ゆっくりと首を横に振った。


「落ち着いて。大丈夫、私はあなたの敵じゃないわ。まずは深呼吸して」


彼女の穏やかな声には、不思議と人の心を落ち着かせる響きがあった。俺は言われるがままに、ぜえぜえと荒くなる息を必死に整える。


「私の名前はフローレンス。見ての通り、しがない歴史研究家よ。あなたのその怪我、私が治療したの」

「治療……?」

「ええ。私の能力は治癒能力なの。まあ、ちょっと特殊なんだけどね」


フローレンスはそう言って悪戯っぽく笑った。その屈託のない笑顔に、俺は少しだけ警戒を解く。


「あなたの体、ひどい損傷だったわ。能力の暴走で、筋肉も骨もあちこちボロボロで……。私の力では、これが精一杯。完治させてあげられなくて、ごめんなさい」


彼女の言葉に、俺は自分の腕に巻かれた包帯を見つめた。あの絶望的な状況から、自分は助け出されたらしい。


「……ありがとう、ございます。助けてくれて……」


かろうじて絞り出した感謝の言葉。だが、すぐに別の疑問が頭をよぎり俺は顔を上げた。


「待ってくれ!あんたの能力が治癒なら……どうして!父さんと母さんを……助けてくれなかったんだ!」


それは八つ当たりに近い叫びだった。分かっている。彼女に罪はない。それでも、そう叫ばずにはいられなかった。フローレンスは、俺の言葉を真正面から受け止めた。その瞳から、先ほどの穏やかさは消え、深い悲しみの色が浮かんでいた。


「……ごめんなさい。それは、できなかった」


彼女は静かに、しかしはっきりと否定した。


「私の能力は、万能じゃないの。あくまで、その人が持っている治癒力を何倍にも高めることしかできない。命の灯が……完全に消えてしまった人を、生き返らせることはできないのよ」


その言葉が、最後の希望を打ち砕いた。ああ、やっぱり。ダメだったんだ。父さんも、母さんも、もういない。涙すら、もう出なかった。ただ空っぽになった心に、冷たい絶望だけが満ちていく。そんな俺の姿を、フローレンスは静かに見つめていた。やがて、彼女は意を決したように口を開く。その声には、先ほどまでの彼女にはなかった、鋼のような強い意志が宿っていた。


「私の目的は、この世界の歴史に隠された真実を、この手で解き明かすこと」

「……世界の、真実?」

「そしてもう一つ。私の父の死の真相を確かめることよ。私の父も歴史研究家だった。でも、真実に近づきすぎたせいで……殺された。事故として処理されたけど、絶対に違う」


彼女の言葉に、俺は顔を上げる。彼女の瞳は、復讐の炎とは違う、静かで、しかしどこまでも深い探求の色に燃えていた。


「あなたのご両親を殺した連中……彼らが何者なのか、私にはまだ分からない。でも、彼らは私の父を殺した犯人と、繋がっている可能性が高いわ」


フローレンスは、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「もし、あなたに戦う意志があるのなら……私についてきなさい。あなたの力は、きっと真実への扉を開く鍵になる。そしてその先で、あなたはあなた自身の敵と出会うはずよ」


私についてこい。その言葉は、暗闇の中に差し込んだ、一本の細い光のようだった。復讐したい。あいつらを、この手で。だが、それだけではダメだ。なぜ父さんと母さんは殺されなければならなかったのか。俺は何者なのか。そして、俺を襲ったあの連中の背後にいる、本当の敵は誰なのか。それを、知らなければならない。


俺は、床に落ちていた自分の拳を、強く、強く握りしめた。爪が食い込み、血が滲む。その痛みが、俺に生きていることを実感させた。


「……行くよ」


絞り出した声は、自分でも驚くほど低く、乾いていた。


「俺も、ついていく。強くならなきゃいけないんだ。すべてを知って……俺からすべてを奪った奴らを、この手で裁くために」


その言葉を聞いて、フローレンスは初めて、その口元に満足げな笑みを浮かべた。それは、新たな嵐の始まりを予感させる、力強い笑みだった。


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