5:もう嫌だと言えたなら。
翌朝、お父様の来訪時間に合わせて、トリスタン様と並んで玄関ポーチに立ちました。
お父様を心配させられない。その一心で笑顔を貼り付けます。
「あぁ、良かった。元気そうだな! 体調があまり良くないと聞いていたから心配していたんだよ」
茶会や夜会に参加させないための理由のせいですね。
「ご心配おかけしてすみません」
「いやいや、卿のせいではありませんよ。お転婆で頑丈な娘だから、珍しく思ってね」
「まぁ! お父様ったら」
「はははは!」
お父様がひとしきり笑ったあと、私達二人が仲睦まじくしていてくれて、ホッとしていると、柔らかな笑顔で言われました。
心臓が、痛い。
トリスタン様とお父様はワイナリーに向かわれ、今後のワイン造りについてのお話をされるそうです。
「おや? リディアーヌはついてこないのか?」
「彼女はあまり興味がないようで」
「…………? そう、かい?」
何も言えず、ただ淡く笑って誤魔化しました。
興味がないわけがない。
家のぶどうのことが大好きで、お父様たちとは、肥料の改善や品種改良などで色々と話し合ってきた。
ここに来た当初、トリスタン様ともお話していたのに。
――――覚えていてはくださらなかった。
カーテシーをして屋敷に戻りました。
私室に戻り窓から見えるぶどう畑をぼぉっと眺めていると、トリスタン様とお父様が何やら談笑している風でした。
チラリとトリスタン様と目が合った瞬間、心臓が甘く痺れます。もしかしたら、笑いかけてくれるかもしれない。お父様が横にいるのだから、手を振ったら――――。
そんな甘い考えは、直ぐに打ち砕かれます。
トリスタン様がお父様の視線を別の方向に誘導し、ギロリと私を睨み付けました。
きっと、カーテンを閉めこちらを見るな、ということなのでしょう。
「っ…………」
ズキズキと痛む心臓を押さえ、なんとかカーテンを閉めました。
昼食の席ではトリスタン様が隣に座り、向かい側にお父様。ワインやぶどうの話が飛び交っています。聞いているだけでも、とても楽しいです。
「リディアーヌがまだ幼かった頃、食用のぶどうとの違いが分からなくてねぇ。口やドレスを紫に染めて泣き叫んでいたのを今でも思い出すよ」
「お父様! そういう話をどこででもしないでくださいっ」
「ははは! リディアーヌ、あのあとから君はぶどうのことが大好きになって、色々と勉強しだしたね。もう興味はなくなったのかい?」
そう言ったお父様の視線は、とても鋭くもあり、優しくもありました。今すぐ抱きついて、家に帰りたいと言いたい。ここはもう嫌だと言いたい。きっとお父様は笑顔で許してくれる。でも。
――――大丈夫。私は、大丈夫。
「大好きですわよ。お父様も、ヴォジェ子爵家の皆も、ぶどうも、大好きなままですわ」
「……ん。そうかい」
お父様は少しだけ寂しそうに笑っていました。
食事を終え、お父様が帰られるとのことで、トリスタン様にエスコートされながらお見送りに出ましました。
帰り間際、お父様がそっと抱きしめてくださり、耳元で「逃げてもいい」と呟かれました。
去る馬車を眺めていると、スッと手が離されました。
久しぶりに感じていた人肌は、思っていたよりも暖かく、なくなると酷く寂しく感じるものでした。
「お父上に何か言ったのか?」
けれど、降って来る言葉は、氷柱のよう。
「なにも………………言うわけがごさいませんっ! 私は……貴方と……っあぁぁぁぁぁぁぁ!」
喉から出てくるのは言葉にならない、言葉に出来なかった、何かを乗せた叫び声。
ただ、叫びながらボタボタと涙を零して私室に逃げ込むことしか出来ませんでした。
◆◆◆◆◆
ヴォジェ子爵を見送った直後、リディアーヌがこの世の終わりかというほどに叫び、涙を零し、屋敷の中にふらふらと入って行った。
ヴォジェ子爵は頻りにリディアーヌのことを気にしていた。ずっと話題に出して、私の様子を伺っていた。彼は、何かを知っている。気付いている。だが、契約している以上は踏み込めない。そう思っていたのに。
リディアーヌを抱きしめながら、私の方を向いて言った。『逃げてもいい』と。彼は、確実に何かに気付いている。
だが、リディアーヌの思いを優先する気でもあるようだった。
あんな風に感情を昂らせるリディアーヌを初めて見た。
人があんなにも泣く姿を初めて見た。
ただ見つめることしか出来なかった。
心臓が痛い。
ギリギリと締め付けられている。
――――なぜだ?
今すぐ駆け出して、彼女を掴まえて、抱きしめてやりたい。
――――なぜだ?
あんなにも傷ついていると、泣き叫ぶ娘をほったらかしになど出来ない。
――――なぜ?
「リディアーヌ……」
名前を呼ぶと、心臓が甘く疼く。
顔を思い出すと、心臓が締め付けられる。
繋いだ手は、とても冷たく、とても小さいかった。
――――私は、何を、していたのだろうか?
次話、完結です。