2:偽りの夫婦の、結婚式
翌朝、侍女長が挨拶に来られました。
「昨日は大変なるご不便とご不快なる思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げられてしまい、慌てて頭を上げてほしいとお願いしました。
もし私が望むようであれば直ぐに辞職するが、後続にしばしの教育期間を設けたいので、もう少しのあいだ仕事を続けさせて欲しいと嘆願に来られたそうです。
「えっ…………あの、侯爵様は、なんと?」
「奥様しだいとのことでした。私室まで来てこのようなお願いを申し訳ないのですが、侯爵家のためにも……」
どうやら、彼女の中では辞めることは決定のようでした。
見る限り四十代の後半で、この大きなお屋敷の侍女をまとめていて。たぶん、長いあいだ侯爵家で働いている。
そんな人を失ってもいいのでしょうか?
それこそ侯爵家の為にはならないのではないのでしょうか?
「わかりました。侯爵様からお話があったら、ちゃんと伝えます」
「っ、ありがとうございます」
深々とまたもや頭を下げられてしまいました。
侍女長に着替えを手伝ってもらいつつ、準備を終えました。
朝食の席につくと、思いのほか柔らかな笑顔の侯爵様に迎えられました。
「おはようございます、リディアーヌ」
「おはようございます」
侯爵様の向かい側に座り、朝食をいただきました。
昨日よりは少しだけ、空気が和らいだように思えます。侯爵様の金色の髪と瞳が朝日のように暖かに感じるからなのかもしれません。
今後の侯爵家での催しから、侍女たちの話になりました。明日には新たな侍女たちが来るそうです。侯爵家で働けることはかなりのステータスにもなるので、直ぐに働きたいと言う人が多いのだとか。
「そうなの?」
侍女長を振り返って聞くと、苦笑いされました。
「はい。若い子ですと、独身のトリスタン様に見初められるかもという淡い期待も込みなのもで……」
「はぁ。それで今回のようなことになったらしい。本当にすまなかったね」
「あっ、いえ……」
今回は、侯爵夫人の侍女探しという名目なことと、確かな紹介状を持つ者という条件もつけているので大丈夫だとのことでした。
「総入れ替えはするが、暫く時間は掛かると思う」
「っ、あ……あの」
「ん?」
「今回のことで、侯爵家に多大なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。これからは私がしっかりと意思表明や確認をし、侯爵様にもお伝えしますので、どうか使用人たちのこれ以上の解雇はお考え直しいただけないでしょうか?」
今まで侯爵様を支えてくださっていた人たちなので、失うのは侯爵家の損失と同等だと思うのです。
「君が、そう考えている?」
「はい」
「…………トリスタンと」
「はい?」
「侯爵様ではなく、トリスタンと呼ぶように」
「は、はいっ」
侯爵様はなぜか満足そうに微笑んで、朝食を食べ進め出されました。
侯爵家で生活して一週間。
今日は結婚式です。
「国中から様々な貴族が集まる。いい感情も悪い感情も渦巻いていると思うといい。気を抜かないようにね?」
「はい」
侯爵様が用意してくださったウエディングドレスに身を包み、侯爵様と手を繋ぎます。
この一週間、少しづつ距離を詰めるようにしていましたが、未だに手を繋ぐのでさえも緊張しています。
「さあ、行くよ」
「はい」
二人で式場に入り、司教の祝福を受け、誓いのキス。
「リディアーヌ、目蓋を閉じるんだ」
「っ、あ……はぃ」
目蓋を閉じ暗闇に包まれた瞬間、唇に柔らかく触れるもの。侯爵様の香水の匂いと混じり、少し頭がクラクラとします。
ゆっくりと侯爵様の温かい唇が離れて行きました。
少し寂しいような、そんな気分です。
侯爵様が「そういう顔は夫婦だけのときにね」とおっしゃられ、参列者の方々から大きな歓声と笑い声が起きました。
その後の立食パーティーでは両親や知り合いの貴族たちに挨拶をして周っていました。
「やぁ、先日ぶりだぁねぇ」
「これは、ドゥプレ伯爵。本日のご参加ありがとうございます」
「いやぁ、本当に愛し合っているのだね?」
「それはもちろん。でなければ他家の契約になど、口出しいたしませんよ。この度はご厚情感謝しております」
ドゥブレ伯爵。
恰幅がよく、派手派手しい服装をしているこの男性。
彼が、我が家を緩やかに没落させようとしていた犯人でもあります。
「リディアーヌ嬢、久しぶりだぁねぇ」
「お久しゅうございます」
「本当に、綺麗になって」
背筋がゾワリとしましたが、笑顔で我慢です。
「まぁ! 伯爵ったら、お上手ですこと。きっとトリスタン様に恋したからですわ」
「ははははは! こりゃまいった! 私の入る隙間はないなぁ」
「うふふふ」
――――おぞましい男。
そうとしか思えない。でも笑顔は絶対に崩さない。ルサージュ侯爵家のためにも、実家であるヴォジェ子爵家のためにも。
くすくすと貼り付けた笑顔で笑っていると、侯爵様の手に力が入りました。左手が少し痛いです。
ちらりと見上げると、ニコリと微笑まれ、エスコートとして繋いでいた手を、指を絡めてまるで本物の恋人たちのように繋ぎ直されました。
「っ!?」
「おやおや? なんとも新婚らしく、初々しい。これくらいで妬いては嫌われますぞ?」
「あまりにもリディアーヌが可愛らしくて、つい」
嘘だとわかっているのに、頬に熱を持ってしまいます。
この感情は、抱いてはいけないもの。
気付いてはいけないもの、なのに。
ではでは、また次話