H-008 早めに移動しよう
ウイル小父さんの話によると、大統領が苦渋の決断をするまでそれほど時間は残っていないとのことだ。
自らを大統領にしてくれた国民の信を、仇で返すような決断を下すんだからなぁ。
その心情を理解できなくもないけどね。
「明日には出発したい。昨日帰ってきたばかりで疲れているだろうが、ここで焼け死ぬよりは良いだろう」
「本当に落とすのかしら? まだ残っている人もいるみたいだし、デンバーは大都市よ」
パットが心配そうにウイル小父さんに問いかけた。
「かつての部下が情報を伝えてくれた。良くて気化爆弾。最悪は核爆弾だ。まだグッドランドでの救援活動が続いている。救援活動に変化が生じた時が、大統領が決断を下したことになる」
軍隊にウイル小父さんの友人がいるなら、今後の情報も期待できそうだな。
さて、俺達はなにをすれば良いんだろう?
「車は2台使うぞ。お前達の保護に使ったハマーと、もう1台はピックアップトラックだ。トラックへの荷物の搬入は母さんとニック達に任せる。エディは俺を手伝ってくれ。ハマーのガードを強化して、ターレットにミニミを取り付ける。それとお前たちの銃だが、今持っている銃を仕舞ってこれを装備しとくんだ。銃声で奴らがやって来る。サプレッサー付きなら銃声を押えられるからな」
テーブルの上に置かれた2丁のベレッタ92FSには、30cmほどの筒が付いている。
俺が撃っても当たらなそうだから、ニックとエディに持ってもらおう。
メイ小母さんの指示で、俺達は荷物をトラックに積み込むことにした。
爺さんのアウトドアショップに向かったトラックと同じタイプなんだろうけど、すこし荷台が長く見える。それだけ荷物が搭載できそうだな。トラックの屋根にもキャリアーがあるから、軽い荷物を載せられそうだ。
タイヤは軍用だから、軍からの払い下げなのかもしれないな。燃料タンクが2つあるのは長距離を踏破するからだろう。ウイル小父さんはこんな事態を想定して準備していたのかもしれない。
昼過ぎまで掛かって、どうにか荷物を積み込んだ。
少し遅めの昼食を取っていた時だ。
ウイル小父さんが俺達を見渡しながら、今夜出発することを俺達に告げた。
「どうも、嫌な予感がするんだ。燃料は満杯だから明日を待つこともないだろう。さすがに途中で給油が必要になって来るが、乗り捨てられた車や無人のガソリンスタンドで補給すればいい。一応、ガソリンと軽油をジェリ缶で2本ずつ積んでいるが……」
「夜食を沢山作ります。まだ食料が残ってますからね」
「そうしてくれ。後は……、ニック、クーラーボックスに氷とビールだ!」
運転しながら飲むなんてことはないよな?
思わずニックに顔を向けると、諦め顔で首を振っていた。
「車は2台ですよね。誰がどの車に?」
「ハマーは俺が運転する。ナビは母さんがやるとして……、ミニミはエディが受け持ってくれ。操作は分かるな?」
「だいじょうぶです。クリスも一緒で良いですか?」
ウイル小父さんが頷いたから、これでハマーの乗員は決まったな。
トラックはニックが運転して、パットがハマーのクリスと小型トランシーバーで連絡を取り合うらしい。
ナナとオリーさんがトラックの後部座席に乗って、おれは荷台でのんびりだ。
万が一襲ってくるような輩がいたなら、俺が応戦することになりそうだな。
本当なら来週は最後のハイスクールライフが始まるんだが、夕暮れが迫る中俺達は身支度を始めた。
こんな品を良くも集めたものだと監視することばかりだ。
ジーンズにバスケットシューズ、上には長袖のTシャツに綿のジャンパーを羽織る。それだけなら、普段着そのものなんだけど、サスペンダー付きの装備ベルトにリボルバーのホルスターを下げ、銃弾を入れるポーチが1つと多目的ポーチを1つ付ける。
水筒まで下げるんだからなぁ。
「M1カービンのマガジンがポーチに6個、銃に2個だ。どこを攻めに行くんだと言いたいところだね」
「俺はM16を持たされたよ。親父達に戦闘は任せたいところだね。だけど、襲って来るなら俺は死にたくはないよ」
そうなるだろうな。俺だって死にたくはないし、ゾンビになりたくもない。
俺達の格好を見てウイル小父さんが、笑みを浮かべて渡してくれたのは手榴弾だった。さすがにこれはガンショップでも売ってないと思うんだけどなぁ。
ポーチに手榴弾を入れたところで、空を見上げながら一服を楽しむ。
まだ1箱残っている。これを全て消費する頃に、この騒ぎが終わってくれるのだろうか?
「そろそろ出掛けて来るか! エディ、付き合ってくれ」
エディを連れて、ウイル小父さんが出掛けて行った。エディが手に持っているのは、古いラジカセじゃないのか?
30分ほどして帰ってくると、簡単な食事を取って車に乗り込んだ。
まだエンジンを掛けないんだよなぁ。
既に時刻は20時になろうとしている。
遠くから賑やかな音楽が聞こえてきた。
時を同じくして、ハマーとトラックのエンジンが掛かる。
3分ほどのアイドリングをしたところで、先行するハマーが車庫を出る。
直ぐ後をトラックが続くんだけど、ニックもトラックの運転ができたんだな。
トラックの後部座席の後方に小さな窓がある。開閉できるけど人は通れそうもないな。窓は開けたままだから、車内と会話もできそうだ。
ずっと、荷台に一人ではねぇ……。
家の前の通りを右折して大通りへと向かうようだ。
たまにハマーがゾンビを跳ね飛ばしている音が聞こえてくる。
速度をあまり落とさずに進んでいるけど、他の生存者と交通事故を起こすなんてことは考えてもいないみたいだな。
住宅街から大通りに出ると、路上に乗り捨てられたり事故ったりしている自動車が多くなった。
俺達は車線を無視して真ん中を通っているから、今のところは順調だ。
住宅街はラジカセで佩び寄せられたからなのかゾンビの姿はあまり無かったけれど、さすがに大通りにはたくさんいる。
ふらふらと、ああやってずっとさまようのだろうか?
それとも、腹が減ったら人間を襲いに移動を始めるのだろうか……。
「高速には乗らないみたいね」
道路標識を見たのだろう、オリーさんの呟きが聞こえてきた。
「道路が塞がっている可能性があるからだと思うよ。道路状況の放送も入らないし、下手に乗って行き止まりなんてことになったら面倒だ」
「このまま進めば、郊外で国道36号に乗ることになるわ。でもそれでは太平洋に出られないのよね」
36号はボールダーからロッキー山脈の数峰を回って再び東のラブランドに出るルートだからなぁ。
それを考えると、36号で避難しようなんて物好きはいないようにも思える。
道路に面してポツンと明りの付いているお店で一休み。
トラックを下りた俺達に、ウイル小父さんがこの先で国道36号に乗ると教えてくれた。
男4人で素早く周囲を確認したところで、広告灯の明かりの下に集まりコーヒーを頂く。
「やはり、ゾンビは都市に向かったようだな。山麓に入れば、少しは安心できるんだが……」
「ずっと暮らすの?」
「そうしたいが、食料生産が出来んだろう。仲間とある程度集めてはいるんだが、1年は持たんだろうな」
どうやら、俺達だけが暮らすわけではないらしい。
海兵隊時代の戦友や昔からの友人も、万が一の事態になった時にはウイル小父さんのお爺さんが暮らした山小屋を避難場所としているようだ。
「まだ1家族2人だけらしい。ビールを冷やして待っていると言ってたよ」
嬉しそうだな。やはりいざという時に頼れる友人がいるというのは大切に思える。ニックやエディとはいつまでも友達でいたいものだ。
「さて、そろそろ出掛けるか。次はサービスエリアになるぞ。150km先だ」
再びトラックの旅が始まる。
周囲に明かりは見えないから、すでに市を遠く離れてしまったのだろう。ニックによればほとんど時速60kmで走ってきたらしいからね。
国道に入ったら、もっと速度を上げるんだろうか?
かなりの長旅だから、あまり無理をしないで欲しいところだ。
一般道から国道に乗る。俺達を追い越す車も無ければ対向車もない。対向車線にたまに路肩駐車をしている車があるけど、エンジンルームを開けていたからエンストしたってことかな?
上手く後続車に拾って貰えたなら良いんだが……。
突然、南東方向に光が走った。
3人が見つめる中、再び光った。
時計を見ると、丁度0時……。ウイル小父さんの予感が当たったってことか?
「聞こえる? ウイル小父さんからよ。どうやら気化爆弾使ったようだと教えてくれたわ」
「了解。南東で大きな光が見えたよ。また光った! 何回も使うのかな?」
「聞いてみるね!」
トランシーバーで話す声を聴く限りでは、デンバーとその衛星都市を破壊するには30個以上必要らしい。それでも足りない時には通常の爆弾やナパーム弾を使うとのことだ。空軍の人達は、今夜は大忙しに違いない。
「大火事を引き起こすってことだね」
「そんな感じ。さすがに燃えてしまえばそれでおしまいになるんじゃないかと思うんだけど」
「デンバーのゾンビはそれでお終いでしょうけど、ゾンビは移動もしているわ」
ナナ達の話を聞いてオリーさんがポツリと呟いた。
確かに移動しているし、彼らは疲れ知らずだからなぁ。1日に100km近く歩くことも可能だろう。その先端はどの辺りまで達しているんだろう?
「ウイル小父さんはグッドランドの救難所の状況に変化がある時が、デンバー攻撃のトリガーみたいな事を言ってました。高速道の70号は避難民達で満杯のはずです」
「州を越えたという事かも……」
地方都市の大規模災害という枠を超えたってことか?
事故から5日でこれだからなぁ……。10日も経てばアメリカの半分に被害が及びそうだ。
さすがに海を越えることは無いんだろうけど……。いや、それもあり得る話だ。噛まれてからゾンビ化するまでの潜伏期間によっては、全世界的に広がりかねない。
「パンデミック!」
「そう……、パンデミックそのものよ」
自然終息は無理かもしれないな。ゲームだったらワクチンが作れるんだけど、こんな状況でそれが可能なんだろうか?
それにワクチンが存在しないような事態であったなら、ゾンビを全て滅ぼさねばならない。それもかなり難しい話だ。
だが、俺達はまだ生きているんだからね。希望は持ち続けよう。