H-652 簡単に見えて難しいということかな
ドーバー行きをマリアンさんに告げられた翌日の昼下がり。騎兵隊の砦からブラックホークが俺達を迎えに来た。
正式名称は別にあるんだよなぁ。誰かの名を記念に冠した空港だったんだけど、今では誰もが騎兵隊の砦と言っている。
駐屯している連中のほとんどがコスプレ集団に見えなくもないんだけど、伝え聞くところではかなり広範囲にゾンビを狩り続けているらしい。
その内にいくつかの騎兵隊砦が出来るんだろうけど、新たな砦の名称はどうなるんだろう? 皆が自分の駐屯基地が騎兵隊の砦だと言い出すんじゃないかな。『元祖』や『本家』等の冠が付きそうだから、考えるだけで笑いがこみ上げてくる。
ブラックホークのキャビンには俺とマリアンさん、副官のリンダさん以外にオリーさんとサンディーが搭乗している。
オリーさんもドーバーに帰ったなら前線に出ることはしばらくは無いだろう。まだお腹は目立たないんだけど、オリーさん1人ではないんだから規則正しい生活に戻って体を大事にして欲しいところだ。
「砦が見えて来たわ。あまり変わっていないわね」
「桟橋が立派になっていますよ。あれなら荷下ろしが容易でしょう。カンザス市の奪回作戦に備えて資材の集積は継続しているみたいですね」
「資材倉庫を2つ増築したそうよ。カンザス市の奪回に備えての砲撃は継続しているとの事だから、来年には始まるんじゃないかしら」
カンザス市を奪回できたなら、郊外にある空港が利用できる。
奪回前に空港を手に入れることも可能だろうから、どちらを先にするかは統合作戦本部次第という事になるのだろう。さすがに騎兵隊だけで奪回出来るとは思えないからなぁ。
戦力を上げるための増援は必要だろうが、その増援の手段に本部は頭を抱えているに違いない。
他の戦区から戦力を移動するとなれば、戦区の指揮官達の猛烈な反発を受けかねない。
各戦区だって、戦力不足を嘆いている状況だからなぁ。
「そうなると年初の会議が紛糾しそうですね」
「新兵の分配には気を使いそうね。でも訓練はしっかりと行って欲しいわ」
俺達の話が一般にも伝わっているらしい。『ハイスクールの男女がキャンプ地から自宅までゾンビを倒しながら無事に帰って来た。今では前線で活躍している……』そんな話を聞いて、それならと志願してくる若者達が多いらしい。
今思い返せば、よくも無事に帰って来れたと思う。
何故無事だったのかをたまに考えることもあるんだけど、やはり銃を使わなかったからだろうな。
ライルお祖父さんのお店から銃をたくさん持ち出してはいたけど、途中で倒したゾンビは全てホッケーのスティックでの撲殺だった。
ゾンビは音に敏感に反応する。それは今でも変わらない。
新兵の訓練を行う際には、それをしっかりと教え込んで欲しいところだ。
空港にブラックホークが着陸すると、ハンヴィーで滑走路に待機しているジェット機に乗り込む。
ホンダのジェットだな。航続距離がそれなりにあって、離着陸に必要な滑走路が短いらしい。アメリカにどれだけ数があったのか分からないけど、軍が十数機を手に入れて運用しているよう
「小さいけれど、乗り心地は良いのよねぇ。16時を過ぎているから、ドーバーに到着した時には日が落ちているわ。海軍の食堂で夕食をどうかしら?」
「皆で一緒に、という事ですね。ありがたくご馳走になります。それと、まだ教えて貰っていないんですが、ドーバーでの予定はどのように?」
席をくるりと動かしてマリアンさん達と対面する。
座席のひじ掛けから収納式のテーブルを取り出しながら問いかけた。
「生物学研究所で待機して頂戴。さすがに今夜から打ち合わせにはならないけど、明日は間違いなく始まるわ。……ドーバー市での連絡手段は軍のトランシーバーを使って頂戴」
リンダさんが、「これを使ってください」とテーブルに小さなトランシーバーを置いた。
始めて見るタイプだな。イヤホンのケーブルにマイクが仕込まれている。チャンネルの表示が4桁もあるんだよね。これなら混信を回避できるだろう。
裏面に小さなカードが張り付けてある。リンダさんや統合作戦本部の連絡担当者、海軍の連絡担当者、それにマリアンさんの直通チャンネルまであるぞ。
「早ければ、今夜中。遅くとも明日の朝食時には会議の予定を教えられると思うの。各線区の指揮官を急遽集めることになったらしいんだけど、会議の予定が調整出来ないなんておかしな話ではあるんだけど……」
「それだけ大騒ぎになっているという事なんでしょうか。指揮官達に伝えるべき概要を取りまとめきれないのかもしれませんね」
マリアンさんが困った顔をしながら頷いてくれた。
多分俺と同じ思いだったに違いない。
オリーさんとサンディーは他人事のような表情で、サンディーが取り出したタブレットの画像を眺めているんだよなぁ。
何を見ているのか気になるところだけど、夕食後には教えてくれるだろう。
後部の席に移動して機内サービスのコーヒーを飲みながら一服していると、サンディーがやって来た。
「ゾンビの分類をしていたんです。どうにか纏めたんですが、公表前に1度確認して頂けませんか?」
そう言ってUSBを手渡してくれた。
そう言えばゾンビの図鑑という構想もあったんだよなぁ。
しっかりとサンディーが形にしてくれたみたいだ。ありがたく頂いてポケットにしまい込んだ。
「かなり面倒だったんじゃないか? だけど、さすがはサンディーだね。きっと皆が喜んでくれると思うよ」
「所長や周りの博士達も色々とアドバイスしてくれたんです。所長は公表時には論文として認めてくれると言ってくれました」
しっかりとサンディー達を育てているみたいだな。
デンバー空港で始めてあった時はまだ少女だったけど、今では良いお嬢さんになっている。どんな彼と付き合っているのか1度見てみたいところだけどね。
「オリーさんをよろしくお願いするよ。将来はオリーさんを超えて欲しいんだけどなぁ」
「まだまだです。でも、学という事がどういうことか理解できましたから、これからも頑張りますよ」
そう言って微笑むと、オリーさんの所に戻って行った。
案外早くに博士と呼ばれる存在になりそうだな。現在は研究員という肩書らしいけど、ゾンビの分類をすることで研究所内の誰よりもゾンビに詳しくなったんじゃないかな。
ドーバー市の飛行場に下りると、迎えに来てくれたハンヴィーに搭乗し生物学研究所に移動する。
マリアンさん達は本部からの連絡を受けて、海軍が使っているビルに向って行った。
荷物をオリーさんの部屋に置くと、直ぐに着替えて食堂に向かった。
既に19時を過ぎているんだよなぁ。食堂は20時までは開いているとのことだから少し安心してテーブルに着く。
食前酒を飲んでいると、オリーさんのトランシーバーから着信音が聞こえてきた。
グラスをテーブルに戻してオリーさんが話をしている相手は、どうやら所長みたいだな。
会話を終えると俺に顔を向けてくる。
「食事が済んだら、所長室に向かうことになったわ。統合作戦本部から私達の移動を事前に知らせて貰ったみたいね」
「色々と気になるんでしょう。やはり想像以上にアメリカには地下施設があるようですからね」
出てきた料理を軽く平らげたところで、最後に小さなカップでコーヒーを頂く。デミグラスというのだろうか? 1口で飲めそうなコーヒーなんだけど、結構濃いんだよなぁ。
半分残してしまった。
食事を終えたところで、所長室へと向かう。
部屋の扉を軽くノックして扉を開けると、オリーさんを先に部屋に入って貰った。
オリーさんの後に部屋に入ると、俺達の姿を見て所長が笑みを浮かべて何度も頷いている。
ソファー席に座るようにとのことだから先に座ると、所長がどこかに電話をしている。直ぐにテーブル越しのソファーに座ったところを見ると、誰かを呼び寄せたのかもしれないな。
「ドーバーにやってくると聞いて、待っていたよ。オリー君も、これからしばらくはここで暮らして欲しい。まだ目立たぬようだが、しっかりとお腹の子供は育っているんだからね」
「そうするしかなさそうです。代わりにサンディー達を派遣すれば情報を早く得ることが出来るでしょう。サンディーの後任は見付けて頂けましたか?」
「着任しているよ。カレンが当座の仕事を教えているようだ。他の博士達も中々良い娘たちが来てくれたと言っていたよ」
人間的に問題がないということかな?
オリーさんが色々と聴きだしているけど、明日には合うことが出来るだろう。その時に本人に聞いた方が良さそうなことまで聞いているんだけど、所長だってそんなに詳しくは分からないんじゃないかな。
トントンと扉が叩かれて入ってきた人物は、ヤンセン博士夫妻だった。
軽く2人に挨拶をしていると、若い娘さんがコーヒーを運んで来てくれた。既にマグカップにコーヒーが注がれているんだけど、トレイにコーヒーの入ったポットが乗っている。お代わりが出来そうだから、ちょっと顔が緩んでくる。
「さて、コーヒーを飲みながら話をしよう。サミー君の疑問であるゾンビが水を忌避する理由についてだが、少し補足をしておきたい……」
統合作戦本部としてはトレンチ内を水没させる方向で計画を立てているらしい。何度も研究所に作戦に対する見解を確認しているようだ。
メデューサの組織を使って実験を繰り返した結果が、マリアンさんに届けられた報告書だから、そこまでは問題が無さそうだ。
「だが、今後もそれが続くだろうか? 水攻めを行うことで新たな進化が始まりかねないのを危惧しているのだが……」
全滅させることが出来れば問題は残らないだろうが、数パーセントでも生き延びたなら新たな進化のトリガーになりかねないってことだな。
「水攻めを免れるような事態を回避するにはどうしたら良いか……。ということですね。俺も気掛かりでしたので、水攻めを行った後でトレンチ内の調査を行う方法が無いものかと地下鉄構内のコクーン調査用のドローンを作ってくれたオットー中尉に連絡を取ってみました。まだ解答を貰ってはいないのですが……」
「既に動いているのかね。やはりサミー君は我等に必要な人材だよ。やはりサミー君も生き残りを危惧していたとはねぇ……」
「トンネル内に水を満たすんでしょう? マンホールからあふれるぐらいに入れれば済むことだと思っていたんだけど」
「長らく放置しているトレンチだからなぁ。ひび割れもあるだろうし、分岐もあるに違いない。ただ単に水を流すわけにはいかないだろうね」
「軍の主催する会議にはヤンセン博士夫妻とオリー博士を出席させたい。サミー君の立ち位置を本部長が悩んでいたから、研究所の上級研究員ということで出席して貰うことにしたよ」
「時間と場所が未だ分からないそうです。主催者である統合作戦本部も頭を抱えている状況なんでしょう」
「隠匿した地下施設は軍だけではないようだ。大企業の研究機関、政府の研究機関も古い地下室を持っていることは間違いないのだが、その記録を紛失しているらしい」
軍だけではないという事か。民間組織や企業に宗教団体まであるんだからなぁ。東西冷戦時代の遺物もかなりあるに違いない。その全てを見付けることなど、そもそも無理ということになるんだろう。