H-043 気の良い仲間に慣れそうだ
2mほど間をおいて対峙した海兵隊員は、2m近い身長がある。体重は100㎏近くあるんじゃないかな?
見ただけで屈強だと分かる。
笑みを浮かべて俺にファイティングポーズを取るが、その姿勢は空手に使い構えだ。
マーシャルアーツは空手を基に、アメリカ人の体格に合わせて考えられたと聞いたが、確かにそんな形だな。
対する俺は、左足と右手を少し前に出しただけだ。
自然体に近い形が一番後の先を取るには都合が良い。
相手の眼を見て、動きを探る……。
いきなり左足が一歩踏み出され、その動きに合わせて右手が伸びてくる。
頬を殴るような動きに、自然と左足を軸に体が回る。右手を引いた動きに合わせて左手が伸び、相手の右腕を掴む。丁度手首の位置だ。
強く掴んだところで相手の肘に俺の肘を合わせると体重を乗せた……。
くるりと相手が前方に投げ出される。
ドン! と音がしたけど、ゾンビには聞こえなかっただろうな。思わず冷や汗が出てきた。
「「なんだ、なんだ!!」」
寝ていた兵士が何人か目を覚ましたようだ。
屋上はコンクリートを流してあるのではなく、分厚い防水シートが敷いてあるから兵士の背中を打つ衝撃が伝わったのかもしれない。
「なにが起こった! ロジャー、説明しろ!」
分隊長まで起きてしまった。
直立不動になった兵士の1人が、直ぐに報告する。
「夜間の任務に眠気を催しましたので、バートとサミーの2人が体操をしておりました!」
体操ねぇ……。さすがに他流試合をしていたとは言えないよな。
「全く困った連中だ。ゾンビの巣窟の真ん中だぞ! 少しは緊張を保て。バート、任務の継続は可能か?」
「ハッ! 問題ありません。自分の至らなさを悔いております」
「なら問題ない。サミーも少しは自重してくれよ。俺の大事な部下なんだからな」
「申し訳ありません。相手が強ければ強いほど反撃が増してしまうんです」
だいぶ強く背中を打ったようだけど、バートさんが俺に向かって笑みを浮かべながら右手を伸ばしてきた。
力強く互いに握手を交わしたから、これはこれで終了ということになるんだろう。
「ゆっくり寝かせてくれよ……」とブツブツ言いながらブランケットに包まった兵士達を眺めながら、再びコーヒーを飲み交わす。
「大丈夫だ。十分に海兵隊で通用するぞ。俺が保証する」
「全く、バートが空を飛ぶんだからなぁ。あれって柔道と言う奴か?」
「柔道ではなく、合気道と言う武道なんです。女性にも護身術として人気がありますよ。でもゾンビには……」
「通用しないってことか……。だが俺にはどうして俺が一回転したのかまるで分らないんだが」
「バートさんの右手を、こう持って俺の肘に体重を乗せました。このままでは腕が折れますから、バートさんは本能的に身を投げ出して折れるのを防いだんです」
「ゾンビには痛感なんて無いからなぁ。ましてや折れても気にしないだろうな。それで、ゾンビ相手には使えないってことなんだな」
3人がうんうんと頷きながら納得している。
「とはいえ大した奴だ!」なんて言ってるから、根に持たれることは無いだろう。
「世界にはいろんな武道があるからなぁ。カポエラを相手にしたときは……」
すっかり眠気は冷めたみたいだな。
俺も一緒になって雑談に加わり、屋上の監視も手伝った。
空が白んできたところで、次の連中に監視を引き継いで一眠り。ちゃんと起きられるかなぁ……。
コツコツと頭を叩かれる。
ふと目を開けると、ベレッタのグリップでエディが俺の頭を小突いていた。
「痛いなぁ……。優しく起こしてくれても、良いように思えるんだけどなぁ」
「甘い! 俺なんて、クリスに飛び乗られるんだぞ! ニックも似たようなものだからなぁ」
確かにそんな光景を何度も見たことがある。人間って案外丈夫なんだ! と感心したことがあったっけ。
「朝食が出来てるそうだ。コーヒーとビタミン強化のビスケットらしいぞ」
「レーションだからねぇ。贅沢は言えないよ」
ニック達が集まっている場所に向かうと、直ぐにポットが渡された。シェラカップに注いだところでビスケットを受け取る。
それだけかと思っていたら、小さなチョコレートをビスケットの上に乗せてくれた。これが砂漠の熱でも解けないという、あのチョコレートなのかな?
ライルお爺さんに聞いたんだけど、本当なのか調べてみたいところだ。
皆と一緒に朝食を頂いて、最後は一服しながらコーヒーを頂く。タバコを切らした兵士が多いようだから、俺達の予備のタバコを進呈すると嬉しそうに受け取ってくれた。
「だいぶゾンビが減ったようだ。動いているのは数体もいないんじゃないか?」
「一回りしてきましたけど、北には姿が見えませんね。それにしてもだいぶ倒せました」
「今数を数えているよ。一応、3千体と推測しているんだが、今回だけで300を超えているんじゃないかな?」
今回の作戦では、ゾンビを倒すのは真夜中の0時で終了している。銃声が途絶えたことでゾンビがここを去ったのだろう。去ったとしても、どこに去ったのかは相変わらず不明なんだけどね。案外、襲われた場所に戻っているのかもしれないな。
「よ~し! 皆、集まってくれ。現在0830時だ。1000時に、仕掛けた目覚まし時計が一斉に鳴りだす。ゾンビがハイスクールの周囲から消えたのを確認するのは俺達の仕事だ。動いているゾンビがいないことを確認する。もし動いていたら、目覚まし時計に向かって行くかどうかを確認してくれ。中には鈍感なゾンビもいるらしいからなぁ。そいつらには銃弾で大人しくさせる必要があるが……。必ずサプレッサーを付けた銃で撃つんだぞ! 先ずはそこまでだ。撤退準備を済ませたら、1000時まではのんびりしてくれ。以上だ!」
軍曹の言葉に兵員達「「「イエス・サー!」」」と答えているけど、俺達は頷くことで了解を示すことにした。
すでに準備は出来ているんだよなぁ。万が一の事態に備えてワルサーをベルトに差し込んでいるから、これで問題は無いはずだ。
水筒の水で、とりあえずコーヒーを作っておこう。
まだまだ時間はたっぷりあるからなぁ。
退屈凌ぎにゾンビの様子を見ていると、どこに言って良いのか途方に暮れた様子で徘徊している。
ここで大きな物音を立てなら、直ぐにそちらに歩き始めるんだろうな。
兵士達も、屋上の擁壁からゾンビを眺めている。すでに撤退の準備を終えているようだ。
「夜の見た時には数体ほどだったんだが、明るくなるとあちこちにまだいるな。本当に此処から道路の南に行くんだろうか?」
「何度も試しましたから、確実ですよ。一応、サプレッサー付きの拳銃を用意していますが、使ったことはありません」
最初だからだろう。軍曹が心配そうな表情で呟いている。
アメリカ最強を誇る海兵隊軍曹でさえも、ゾンビを恐れているんだ。
確かにゾンビは人間とはかなり勝手が違うからなぁ。頭を攻撃しない限り足を止めずに進んでくるんだからねぇ。
「マガジン2個が残ってるよ。予備も持って来たんだがなぁ」
「俺は1本だけだぞ。けっこう撃ち漏らしたからなぁ。ボーイ達が猟銃を使う理由が分かったよ。俺達のドットサイトは倍率が低いんだよなぁ」
「あっちのボーイが持ってるのはイエローボーイにドットサイトだが、かなり当ててたぞ。射撃訓練なんて、弾幕を張れば十分だと思って適当だったんだよなぁ」
俺達をネタに話を始めたようだ。
悪口を言われているわけではないから、気にしないでおこう。
「とは言っても、ボルトアクションだからなぁ。20体も倒して無いぞ」
「それで良いんじゃないかな。俺達はお手伝いだからね。本職がいるんだから任せるべきだよ」
エディの愚痴をニックが慰めている。それは理解しているのだろう。エディが苦笑いを浮かべながら頷いているからね。
カップにコーヒーを半分ほど注いで、ポットをレディさんに渡すと、自分にカップに注いでから、兵士達を巡ってコーヒーをサービスしている。
笑みを浮かべて軍曹もカップを差し出しているから、やはり手持ち無沙汰だったに違いない。
トランシーバーに連絡が入ったようだ。通信兵の声に皆が耳を傾けている。
『……了解です。こちらも同じですね。軍曹と変わりますか? ……了解しました。以上!』
トランシーバーを持ったまま、軍曹のところに通信兵が向かった。
「第2分隊からでした。第2分隊に異常なしとのことです。状況は向こうもこちらと同様に、まだゾンビがうろついているとのことです」
「心配で通信を送って来たのか? とりあえず無事なら問題はあるまい。後は仕掛けが上手く行くことを祈るだけだな」
しばらくすると再び通信が入ってきた。
どうやらウイル小父さん達からのようだ。直ぐ近くで待機しているとの連絡らしい。
10時に近くなると、全員が自分の時計を眺め出した。
10時丁度に、皆の視線が南に向かったのは仕方のないことだろう。
ジリジリジリ……と言う音がここまで聞こえて来る。音の大きな目覚まし時計を特に選んだと言っていたからなぁ。
さてゾンビは……、動き出したぞ!
「なるほど、動き出したな。ウイル殿に連絡だ。『目覚まし時計に向かってゾンビが移動中。周囲にゾンビがいなくなったことを確認して再度連絡する』以上だ!」
通信兵がトランシーバーで通信を送り始めた。
俺達3人は、屋上を一周しながら、まだ残っているゾンビを確認することにした。
20分も経たぬ内に、ハイスクール周囲で動き回るゾンビがいなくなった。俺達の報告を聞いた軍曹が再度部下に確認をさせて、結果をウイル小父さん達に伝える。
「確かに第2分隊の方がここより遠いはずだ。了解したと伝えてくれ。……皆聞いてくれ! 俺達のところには、第2分隊の撤退完了後に迎えが来る。第2分隊の方が距離が遠いから俺達を先に撤退させた場合、ゾンビが押し寄せてきた場合の対処ができないそうだ。ゆっくり待っていよう。目覚まし時計は乾電池で動くらしいぞ。しばらくはあの音を鳴らし続けてくれるだろう」
ちょっと気が抜けたような隊員達だけど、やはり危険は冒せないからね。撤退戦は難度も経験しているようだから、またか! なんて表情の隊員もいるぐらいだ。
「撤退は案外難しいんだ。今回は計画の内の言うことだろうから、あまり心配は無さそうだな」
レディさんがまだ残っているカップのコーヒーを一口で飲み干すとカップを仕舞いこんでいる。
そういえばまだこれを片付けていないな。
すっかり冷えたガスストーブと中身のなくなったポットを袋に詰めて、リュックに押し込んでおく。
一服しながら時間を潰していると、第2分隊の撤退完了の連絡が入ってきた。
北に目を向けると、3台のピックアップトラックがこちらに向かって来るのが見える。
ようやく俺達も帰れそうだ。
ニック達と顔を見合わせて小さく頷いた。




