H-202 メデューサが投射武器を持つかもしれない
「それで、サミーはどちらになると思うかね?」
ざわめきが治まったのを見て所長が問い掛けて来た。
「共存は不可能かと……。となると、どちらかが地上から姿を消すまでの殲滅戦になりかねません。俺達は殲滅戦をどのように展開するかを考えないといけないんですが、その過程で住み分けと言うことも念頭に置くべきかと推察します」
「ある意味、現在はその住み分けを行っているとも言えそうだな。もっとも、住み分けと言うよりは人類の生存圏を少しずつ拡大する過程にあるということなのだろう。だが境界の維持はかなり難しくなりそうだ」
「その境界なんですが、おもしろい事実に気が付きました。ゾンビは川を越えないんです。泳ぐ必要はないと思うんですが……」
オリーさんが、サンディエゴとサンフランシスコの都市図をスクリーンに映し出した。
「サンフランシスコで解放したのは、この島だったわね。サンディエゴはこの部分と言うことかしら?」
レーザーポインターで島を示してくれたから、皆にも分かってくれただろう。
「現場を見ないと分からんということか。水を恐れているということか?」
「3年前、無事にサマースクールから友人の自宅に帰宅できたのは、運河をゴムボートで移動したからです。アメリカにはたくさんの湖と川があります。有効利用できると思っています」
「ニューヨークは島と半島の集合体だ……。なるほどな」
「港や空港も案外それに近いところがありますね。さすがに内陸部はそうではないでしょうが……」
「周囲に溝を掘って水を流すことは、それほど難しくはないだろう。だが、メデューサの遺伝子の約4割がクラゲのものだ。クラゲと言えば水棲生物なのだが……」
それもおかしな話ではあるんだよなぁ。水を嫌うクラゲだからねぇ。
「ここで、もう1つの疑問が生まれます。ゾンビは初期変異だけに留まるのか、それとも進化する種なのか……」
「初期変異だけであるなら、この後もずっと水を嫌うということか。周辺環境条件に見合った進化が行われるとなれば水を嫌わぬ種が生まれるということになる……」
「俺としては進化していると考えています。確証はありません。そこで1つ教えて頂きたいことがあるのですが、生命の進化樹から逸脱した生命体、それも知能を持つような種を簡単に作ることができるのでしょうか? もし作れたなら、その種は安定した種なのでしょうか?」
「アルバートだ。なるほど、聡明だとは聞いていたが、おもしろいところに着目したね。進化樹の根本に位置するのは原子生命体と言うより細胞壁で囲まれた1個の細菌と考えられる。酸素を嫌う生命体だが代謝と自己複製が可能だ。雌雄の区別は無いから、自己複製時に遺伝子を交換するようなことは無かっただろう。
だが、他の生命を食することで遺伝子を取り込むことは可能だったはずだ。そこから進化が始まったと考えられる……」
生命とは何かを考えると、そんな古代の細菌に辿りつくということなのかな?
アルバートさんが進化を考える上で注意すべき点を教えてくれた。放射線や環境条件等の外部からの影響、自己複製時の正確さ、それに遺伝子変異の修復作用等があるらしい。
「私達だって基本は変わらないよ。周辺環境条件に合わせて進化してきたし、自己複製時の正確さは、若者と老人を見ても分かる筈だ。それでも私達が人の姿を保てるのは遺伝子変異の修復がある程度かのだということになる。
原初の生命体と現在の我々を比べると、初期の生命体は遥かに単純であり遺伝子の数もそれほど多くはない。
だが……、決して劣っているわけではないんだ。それは生物として完成されているものだからね。
この考えを基にすると、君の問いに対する答えが出てくる。人口生命体は種として安定しているとは思えないね」
「場合によっては、自然淘汰されるということでしょうか?」
「可能性はなくはない。自己複製がどこまで維持できるかだな」
安定した種とは言えないということだな。
それも問題ではあるんだが……。
「シモンズよ。もう1つあったわね。人口生命体を簡単に作れるか……。メデューサは人工生命体と言うよりも合成された生物と言うことになるんでしょうけど、そんな合成を容易に行えるかという問いであれば、答えはイエスでありノーでもあるの。
生物兵器と言う言葉を知っているでしょう? 初期の生物兵器は病原菌その物だったけど、現在の生物兵器は病原菌の毒性を高め、薬品耐性を引き上げたものになっているの。
ゲノム解析や他の耐性菌の遺伝子を組み入れるぐらいは現代科学では容易ではあるんだけど……。多細胞生命体では未だにキメラを作ることができないでいるの」
「だが、誰かが成功した。デンバーの北西部に作られた先端技術開発区画の研究所が候補に挙がるが、どんな連中がどのような研究を行っていたのかは誰も知らんからな。依頼主にしても、手段を知ることは無かっただろう、結果が全てと言うことだったに違いない」
極めて不安定な生命体ということになるのかな?
だが不安定であったなら、それだけ周辺の環境条件で変異が起こりやすくなるはずだ。
「不安定な生命体であるなら、今後も進化する可能性も出てきます。やはり初期の変異だけでなくメデューサの進化は起こるとして考えた方が良いように思えるのですが?」
「どちらかではなく、同時に起こるということか。なるほど、無駄な争いは避けられるだろう」
「少なくとも、通常型と統率Ⅰ型は初期に発生しています。戦士Ⅰ型とⅡ型の相違を見る限り、同時発生とは思えません。触手を持つⅡ型はⅠ型よりも後期になると考えます」
俺の言葉に所長が頷いてくれた。
となると,士官型はどうなんだろう? あれが最初に現れたとは思えないんだよなぁ。
「私もサミーの考えに賛成するわ。初期のゾンビと後発型のゾンビでは明らかに姿が違うんですもの。それより、今後予想されるゾンビについても考えたんでしょう?」
オリーさんが俺に問い掛けて来たけど、それを此処で言うの?
思わずオリーさんに顔を向けると、笑みを浮かべながら『早く、早く!』と言ってるんだよなぁ。
「ほう、サミー上級研究員は、進化派であったな。ならば当然その後の進化について考えたはずだ」
「これから話すのは、あくまで俺の想像でしかないんですが……。先ずは王侯型ゾンビですね。今はまだ確認されていませんが間違いなく出てくると推測しています。
次に、戦士型ゾンビですが……。現在は廃材を手や職種に持つだけですけど、それを投げるということを行うのではないかと推測しています。さらに、それが有効であるとなれば……。投射武器を装備する可能性が出てきます。
きわめて打たれ強い体をしていますが、使われた遺伝子の中に甲虫がありました。それにカニも含まれていました。さすがに空を飛ぶようなゾンビになるとは思えませんが、外骨格を持つ可能性があります。
統率型については、現在の統率範囲を広げることが考えられます。1kmほど離れた統率型同士が情報交換を行えるとなると、包囲殲滅を容易に行うことができるかと……」
「ちょっと待ってください! ゾンビが銃を持つと?」
「アルフィー、元々持っているんだ。それを進化させるということだろうな。クラゲの刺胞細胞、あれは細胞の長さの数十倍は飛ぶんだぞ。もし拳銃弾程の大きさになれば、独針を数十mほど飛ばせるかもしれん」
「ハチの遺伝子は無かったはずですね。となると、脅威の1つはゾンビの投射武器である毒針ということになりそうです」
オリーさんの言葉に、重々しく所長が頷いた。
「推測とはいえ、それを否定できんのが辛いところだな。ところでクラゲの毒性はどれほどあるのだ?」
「種類によってかなり異なる。神経毒だけでなく血液毒を持つ物さえいるのだ。対処方法もそれなりにあるが、先ずはその毒がどちらであるかを確認するべきだろうな」
所長の隣に座った老人が呟くように教えてくれた。
「被害が出てからでないと確認できないと?」
「端的にはそうなりかねん。メデューサがそのような毒を持つ、そしてそれを発射できるという推測での話だ。現れない可能性もあり得るからな」
「ちょっと待ってください。既にメデューサは毒を持っています!」
若手と言えるんだろうけど、ちょっと小母さんに感じてしまうご婦人が大声を上げた。
「デンバー空港からサンディーが持ち帰った戦士Ⅱ型の触手の先端にはかぎ状の爪がありました。その爪の微孔からテロドトキシンに似た物質を採取できました。ラット実験では100倍に薄めた液を傷口に噴霧しただけでショック死しています」
テーブルが急に静まった。
既に持っているということになる。それに毒針を打ち出す細胞までクラゲは持っているんだから、後はその2つが合体して進化するだけと言うことになりそうだ。
「メデューサが投射武器を使いだすのは、それほど先ではないということか……。サイカ上級研究員はそれを聞いてどのように推測する?」
「数年で転機が訪れるだろうと、常々考えておりました。勘のようなものですから何故と聞かれても困るんですが、今の話を聞いてその思いが深まりました」
「勘と言うのは、我等科学者が口に出したくない言葉だが、ワシはそれを重視するよ。深層意識下での情報の集約と分析が行われて浮かびあがるのが勘だと心理学者の友人が話してくれた。本人でさえ気づかぬような事象でさえも、その領域では判断に加わるらしい。……そうか、数年後には全く異なるメデューサとの戦いになるということだな」
「彼の言う進化と言う捉え方をするなら、今までの変異種が現れた時期を加味すると2度程変異をすると言うことになるのでしょうな。確かに脅威と言えるでしょう。軍人達のオペレーション・フリーダムが成功することをただ祈りたい気持ちです」
「その中に、ニューヨーク市中心部での変異ゾンビの確認を提言してくれたのだから、ワシ等も動かねばなるまい。皆も研究の指標ができたのではないかね? さて、夜も更けて来た。サイカ上級研究員には、可能な限り我等と会話をする機会を持ちたいと思っている。その旨を大統領にも申しでるつもりではあるのだが……。我等が出せる報酬は君と君の仲間に学位の証書を渡せるぐらいだ」
「それで十分です。このままではハイスクール中退ですからね。ゾンビとの戦がどれほど続くか分かりませんが、いずれは終わるに違いありません。その時に学位を持つならば良い条件で雇って貰えそうです」
「ハハハ……。生物学の学位ではなぁ。ワシの友人と相談してみよう。案外、使える学位を貰えるかもしれんぞ」
報酬が学位と言うことに、ターブルを囲んだ重鎮達から、クスクスと笑い声が上がる。俗物と思われたのかもしれないけど、世界は学歴社会だと親父が言っていたからなぁ。もっとも、ウイル小父さんは実力だとも言っていたんだけどね。
ライルお爺さんとウイル小父さんが、そんな話で口論しながら酒を飲んでいるのを、ニックと呆れた表情で眺めていたのが夢のようだ。




