マティアス(1)
「婚約解消しましょう」
表情の乏しい婚約者が至極真面目な顔をしてそう切り出したとき……一瞬、意味が分からなかった。
俺の正面に座り、彼女は真っ直ぐこちらを見つめている。その冷たい湖を思わせる澄んだ青い瞳をまともに見て、俺は(とても綺麗だな)と場違いな感想を抱いた。
───俺、ベルフォーレ王国王太子、マティアス・ルロワの婚約者、ロクサーヌ・ゴティエはまるで人形のような女である。自分から話すことはほとんどない。笑わない。怒らない。感情がないのかと思うほどだ。
そして、いつも視線は下げられていて、目が合うこともない。
そんな彼女と婚約を結んだのは、他でもない俺の意志だった。
何故なら、俺は横柄で傲慢な3人の姉に辟易していたからだ。母もヒステリックで束縛が激しい。5才になる頃には、女という生き物に完全に幻滅してしまったくらいに。
だが、王族の務めとして、結婚はしなければならない。なので婚約者を決めるとき、数人いた候補者の中で最初の挨拶以降、まったく俺を見ず、話もしなかったロクサーヌにはすぐ惹かれた。人形のような彼女であれば……気を使わず楽だと子供心に思ったからだ。
それは間違っておらず、その後、何度か2人だけの茶会を設けられたが、母や姉との茶会とは違い、心穏やかに黙って過ごせた。
彼女の方も特に不満はなさそうに見えた。もちろん、表情に出ないので俺の勝手な想像だが。
だが……婚約解消をしたいだと?
ずっと、我慢をしていたのか?
しかし、彼女の言い分を聞いているうちに驚いた。
「ある日いきなり、真実の愛を見つけたと言って婚約破棄されたくないのです」
「今なら傷が浅くて済みますから」
え?
それはつまり……彼女は俺に対して好意を持っているということか?
お互い、貴族としての義務感で婚約関係にあると思っていただけに、俺は大きな衝撃を受けた───。
ロクサーヌの提案で、何故かデートをすることになった。
デートって……何をどうすればいいんだ?
まあ、ロクサーヌだってデートで何をするか分かってないはずだ。適当に街を歩けばいいか。
そんなわけで、俺はさして気負わず出掛けたのだが。
やって来たロクサーヌを見て仰天した。
舞台役者でもそこまで濃い化粧はしないだろうというくらい、凄まじい化粧をしていたのだ。周囲の人間が避けている。
…………デートだから、張り切り過ぎたんだろうか?
唖然としていたら、ロクサーヌは俺の前に来てドヤ!という顔になった。
吹き出した。
こいつ、こんな面白い面があったのか。
───ロクサーヌは、どうも本気でその化粧を良いと思っているみたいだったが、さすがに一緒に歩くのは恥ずかしい。
悪いと思いつつ、無理矢理、洗って落とす。
ロクサーヌは化粧をしなくても充分、綺麗だ。
その後、屋台であれこれ買って食べた。立ち食いをひどく躊躇っていたロクサーヌだが、勧めるとおずおずと串にかぶりつく。
美味しかったのだろう、一瞬、目が大きくなる。そして、一心にもぐもぐする様は……妙に可愛かった。
デート、悪くないな。