ロクサーヌ(6)
王宮での生活が始まった。
王宮に移って嬉しいことといえば、朝昼夜の食事がマティアス様と一緒に食べられるようになったことだ。お茶の時間も以前よりゆっくり過ごせるようになった。
一方で、王妃様やメイドなど、多くの目が常に注がれているため、あまりマティアス様と気楽な話は出来ない。特に食事時は王妃様の独壇場。わたくしもマティアス様も王妃様の話をおとなしく拝聴するだけで終わる。
ある意味、あれだけずっと話せるのはすごい才能だと思う。わたくしにその能力を半分、分けて欲しい。
そして王妃様と過ごすことが増えたおかげで、マティアス様が以前、“煩すぎてうんざり”していたと言っていたことが嫌になるほどよく分かるようになった。王妃様は本当によく喋るし、王妃様の側付き侍女もまたお喋りが大好きなのだ。そのうえ会話のスピードが速すぎて、わたくしは時々、付いていけない。
また、サロンでは御用商人が化粧品やアクセサリー、ドレスなど様々な物を売りにやって来る。それを見る侍女達のかしましいこと、かしましいこと。
「まあ、王妃様!こちらの宝石の色は王妃様の瞳にぴったりですわ」
「いいえ、こちらの銀の鎖のネックレスがお似合いです」
「まああ、私はこちらの方が良いと思いますわ」
「王妃様なら、どれもお似合いですもの、迷いますわねえ」
……少々、過剰すぎないかしら。
でも、わたくしが場の雰囲気に圧倒されて黙っていたら、王妃様は必ず目線で問うてくる。「あなたはどう思う?」と。
それで、わたくしも必死に言葉を捻り出すのだ。そうしないと、周りの侍女から無言で責められるし、商人からも冷ややかな圧が掛けられる。
ああ、夜想宮が恋しい。
わたくしに、お世辞を延々と繰り出す技は難しすぎる。
カロリーヌ様と……のんびり、落ち着いたお話がしたい。
王宮生活5日目。
すでに心折れそうになりかけていたわたくしだったが、就寝前にマティアス様が部屋に来られた。
婚姻前であるため、非常識な前触れなしの訪問に侍女達が非難めいた視線を向けるが、マティアス様は気にした様子もなく1冊のノートを渡してくれた。
「読んで、返事を書いてくれ。それと、近々またデートをしよう。劇でも見に行かないか?」
「まあ!ありがとうございます」
そして、少し照れくさそうに額へ口付けを落として帰られた。
……うわあ、どうしましょう。こんなことされてしまっては、今夜、眠れないかも。
───ノートには、マティアス様の今日の出来事が簡単に書いてあった。
外務大臣と諸外国との条約更新についていろいろと話をしたようだ。“外務大臣は以前からグルック(前世のゴリラに似た生き物)そっくりだと思っていたが、今日はとうとう大臣の話し声までグルックの鳴き声に聞こえてきた”とある。
……マティアス様の意外な可愛い一面に、ほっこりした。うふふ、真面目な顔をしながら、こんなことを考えたりするのね。
最後には“ロキシーの手から菓子が食べたい……”とあり、思わず笑ってしまう。
交換日記だなんて、すごく古風だけどなんて素敵なのかしら!
マティアス様の気持ちも分かるし、何度も読み返すことが出来るし……すごく幸せな気分。
ああ、もう。わたくし、心を折ってる暇はないわね!
ところで、王宮に移ってからお祖父様もよく来られるようになった。
わたくしに───という名目で公爵領産の茶葉を毎回、たくさん持ってくる。わたくしはそれを王妃様に届ける。王妃様ご愛用の茶葉らしい。
もっとも王妃様はご愛用と言いつつ、それを他の貴族にも広く配っているのだけど。
まあ、茶葉だから賄賂というほどの物ではないだろうけど……なんだろう、人目を憚るような経路をとっているので、あんまり、こういうことは良くないのではないかしら。
だけど、疑問があってもお祖父様の炯々とした瞳に見据えられたら、わたくしは何も言えない。
……ときどき、夜中に考える。
お祖父様のあの威圧的な態度って、前世でいうDVとか、モラハラにあたるのでは?と。
わたくしは前世の記憶を思い出したものの、前世の人格も地味で大人しかったせいか、今世の“ロクサーヌ”の人格にあまり大きな影響がないように感じる。どちらかといえば、前世の記憶というより昔に読んだ物語を思い出した……みたいな感覚に近い。
だからなのだろう。たまに前世のわたくしとしての意識が“今の自分は良くない、もっと変わらないと!”と思っても、お祖父様に睨まれた途端、身体が硬直して何も考えられなくなってしまう。ロクサーヌの意識の方が強いので、お祖父様に対する恐怖が染み込んでしまっているのだ。
だけど。
前世の知識に加えて、学院生活を経、夜想宮で自身を肯定される日々を過ごして……お祖父様のあの態度はおかしいだろうと“ロクサーヌ”も冷静に思えるようになってきた。たぶん、マティアス様の温かい言葉の影響も大きい。
そう。あんな、高圧的に否定する態度なんて、絶対に正しくない。
今はまだ言い返せないけれど。
まずは、お祖父様に飲み込まれないように。少しずつ変わっていこうと決意する。だって変わっていかなければ、王太子妃なんて務まらないもの。
引っ込み思案なところだって直す。お世辞だって、 もうちょっと言えるようになってみせる。マティアス様のお側に、正妃としてずっと共にあるために……!
起承転結の“転”に差し掛かりました。
王宮へ移ったせいか、楽しい展開が少なくて筆の進みが遅くなってます~。
今週、更新が遅れたらごめんなさい…!