ロクサーヌ(5)
夜想宮から王宮へ移る日。
マティアス様からデートをしようと言われた。
デート……ですって?
そんな。無理だわ。
だって、ブリジット様やお祖父様に言われたこと、夜想宮から王宮へ移ること───それらすべてが消化しきれず、わたくしはマティアス様のお顔を真っ直ぐ見ることさえ、出来ないのに。
「ようやく夜想宮に慣れたところなのに、また環境が変わるのは不安になるだろう?少し、気晴らしをしよう」
ああ……マティアス様。わたくしに、そんな優しい気遣いをなさらないで。わたくしは、それを受け取る資格がない……。
マティアス様もお忙しく、わたくしも王宮へ移ったなら王妃様に挨拶をせねばならない。
そんな訳で、お昼だけ街で食べることとなった。カロリーヌ様も行った方がいいと、わたくしの背中を押す。
───夜想宮を出、マティアス様は黒髪に姿を変えた。そして、わたくしにもピアスを渡す。
「今日はロキシーも髪色を変えてみよう」
ピアスをつけ、魔法を起動させれば……わたくしの髪は明るい水色になった。
「え?こ、これはちょっと目立ちませんか?」
「たまには、そんな色もいいんじゃないか?俺は黒髪の方が好きだが、その色も悪くない」
……不思議。髪色が変わっただけで、なんだか自分が自分じゃないみたい。
街では、2回目のデートのときのように手を繋いだ。
ううう、やっぱり手汗をかきそうで怖い。マティアス様、そんなにぎゅっとしないで……。
マティアス様は行く場所を決めているらしい。迷いのない足取りでまずはパン屋へ寄った。
色々なサンドイッチがセットになったものと飲み物を買う。
そして、家々の間を抜けて階段を上がり始めた。
辿り着いたのは、高台の公園。
「見晴らしがいいだろう?ここで街を眺めるのが好きなんだ」
子供の頃から、王太子教育が嫌になったら抜け出してここで街を眺めていたらしい。
「マティアス様がそのようなことをされていたなんて……意外です」
「俺はそんなに優秀でもないし、品行方正でもない。ギリギリ及第点で王太子をしているようなものさ」
「そんな」
空いているベンチに二人で並んで腰を下ろし、買ってきたサンドイッチを広げる。
「……ロキシーの方が俺より優秀だろう。王妃教育で、どの教師も誉めていた。もっとも、誉めると姉上達から嫌がらせを受けるかも知れないから、あまり大っぴらに誉めることはしなかったらしいが」
「え?そう……なのですか?」
「特にマナー教師は絶賛だったな。姉上達はロキシーより幼いときから始めたのに、恐ろしいくらい出来が悪いと嘆いていたくらい」
教師から認められているなんて……想像もしなかった。良いも悪いも言われなかったので、わたくしのことはどうでも良いと思われているとばかり……。
マティアス様がわたくしの手を取った。
「ロキシー。君は、自分のことを否定的に捉えることが多いが、それは間違いだ。もっと自信を持っていい。君は努力しているし、それに見合った成果も出している。ただ、周りがそれをちゃんと伝えなかっただけなんだ。だけど、これからは俺が伝えるから。お祖母様にも、今後は過剰なくらい言葉に出して伝えろと説教された。もう……否定的にはならないでくれ」
「マティアス様……」
そうか。たぶん、マティアス様はこれを言うために今日、ここへ連れて来てくれたのね。
「ただ……これから先、どうしても王宮で心無いことを言われることがあると思う。辛いこともあるだろう。それでも、俺は俺の隣にロキシーがいて欲しい。もし心無い言葉を言われたら、その倍以上、ロキシーに愛を伝えるから……ずっと、一緒にいて欲しい」
やだ、また泣きそう。
わたくしに、そこまで想ってもらうほどの価値なんて…………。
唇を噛み締め俯いたら、マティアス様の手がわたくしの唇を優しく撫でた。
「噛み締めたらダメだ。……俺が信じられないか?」
「いいえ、そうではなくわたくしが自分を信じられないのです」
「じゃあ、今はまだ信じなくていい。だけど、俺の気持ちは信じてくれ。……ロキシー、愛している」
顔が赤くなってきたのが分かった。
わたくしは、動揺を隠すようにサンドイッチを取り上げてマティアス様に差し出す。
「サンドイッチ!食べましょう!……はい、あ~んしてくださいな」
マティアス様は目元を優しく綻ばせた。
「ロキシーが王宮へ移れば、一緒に食事する機会は増えるだろうが……こうやって食べるのは無理だろうなぁ。たまには、抜け出して街で食べるか」
「もう!ちゃんとご自分で食べてくださいませ」
あまりに蕩けそうな笑みを浮かべているので、わたくしは慌てて目を逸らした。
こんな風にマティアス様が熱く見つめるせいで、二人っきりの食事ではわたくしの心臓がドキドキしすぎて食べるどころではなくなる。ダイエットをしたければ最適かも知れないけれど、あまり頻繁では……正直、困るわ。
ご機嫌でサンドイッチを頬張りながら、マティアス様もサンドイッチを手に取ってわたくしに差し出した。
「ロキシーも食べないと。ほら?」
「……じ、自分で食べます」
「俺もロキシーに食べさせたい」
あう……その期待に満ちた目は卑怯です……。
わたくしは諦めて、おとなしく口を開けた。
あーあ。なんだか、ものすごく落ち込んでいたはずなのに、すっかりどこかへ行ってしまったわ。マティアス様って……すごいかも。
ふわっと風が吹いて、水色に変化した髪が舞った。
この明るい髪色も、良いのかも知れない。
「マティアス様って……落ち込まれたりしますか?」
お互いに食べさせ合う奇妙な状態で、わたくしはちらっとマティアス様を見上げて問うた。
マティアス様は明るく笑う。
「俺だってしょっちゅう落ち込んでいるさ。ただ、俺は幼いときから周りにちやほやされて育ったからな。まず落ち込む時間が短い。その上、無意味に自信に溢れていてものすごくムカつくらしい」
「え?」
「初めてヒューゴと顔を合わせたとき、お前みたいな無駄に自信に溢れたヤツは嫌いだと、こてんぱんに痛めつけられたんだよ」
「えええ?!」
「それまで、そんな酷い暴力にあったことはなかったからなぁ。俺も腹が立って。2回目は俺が思いっきりヒューゴをぶっ飛ばした」
思いもよらないお二人の過去に、わたくしは唖然としてしまった。
仲……良いのよね?男同士の付き合いって、よく分からないわ……。





