マティアス(5)
「ヒューゴ、感謝する」
「ん~、もっと感謝してくれていいよ~」
「……政治倫理学のレポートを書こう」
「おっ、いいねぇ!」
安いくらいだ。
俺一人では、お茶にも誘えなかったからな。持つべきは友か。
「そういえば」
ニヤニヤ顔から一変して、ヒューゴが俺を覗き込んできた。
「ロクサーヌ嬢がリゼット嬢を虐めているという噂が広まっているのを知っているか?」
「ロクサーヌが虐め?それは無いだろう。あの2人は仲がいい」
「うん、それは間違いないけどさ。でも、学生の間では“虐め説”が割りと浸透してるんだよね」
一時期、リゼットはよくロクサーヌとぶつかったり、物を壊されたり(?)していた。あれが原因だろうか。
最近はそういった行為を見ていないが……。
「噂の広がり方が早いから、少し調べてみようと思って。何か分かるまで、マティアスは勝手に動くなよ。噂を聞いても知らん顔だ」
こういった情報収集はヒューゴが長けているので、素直に頷く。
もしこいつに何か悪巧みを仕掛けようとする愚か者がいたら、確実に倍返しされることだろう。情報収集だけでなく、その活用も見事だからだ。将来は父親の跡を継いで王宮魔術師になるだろうが、それよりも暗部に入る方が向いている気がする。
「……リゼットが企んでいると思うか?」
「んん~、それは無いね。たまにリゼットの周りに金色の光が見えることがある。あれは妖精じゃないかと思う。妖精に好かれる人間は、明るく前向きな性格の者だ。変な悪巧みはしない」
そうか。リゼットは光魔法に加えて、妖精の加護もあるのか。大した女性だな。
「妖精の件も今度、神官長に視てもらおうと思ってる。ま、細かいことは気にしないでいいからさ。お前はもっと頑張ってロクサーヌ嬢との仲を進展させろよ?今さら、婚約取り消しますなんて醜聞は無しだからな?」
「分かってる」
分かってるが、進展させるのは難しいんだ。
ヒューゴの言う通り、少しは女子と触れ合っておくべきだったのかもな。もう一度デートに誘いたいが、誘い方が分からん……。
その後、やはりデートに誘うことも出来ないまま月華祭を迎えた。
せめて、月華祭でのダンスはロクサーヌと踊りたいが……人混みの中からロクサーヌを探し出せるだろうか?
とりあえず、ロクサーヌの舞台は見なくては。彼女のリュートの音は、深く深く心に沁み入る。触れると消える幻のような、切ない音色なのだ。
ところが出番になって舞台に上がってきたロクサーヌとリゼットは、やや様子がおかしかった。息を切らし、顔色も悪い。
───そういえば先ほど、ロクサーヌは1年生を探して走っていた。
何があった?
あのとき、引き留めてでも詳しく聞くべきだったか。
しかし、ロクサーヌはリュートを構えると途端に落ち着いた顔付きになった。一呼吸して、ゆったりと弾き始める。
良かった、大丈夫そうだ。
続いてリゼットが口を開き……顔色を失った。声が……出ていない?
ハッとロクサーヌがリゼットに視線を向ける。しかしリュートを弾く手は止めず、彼女に向かって頷き───澄んだ細い声で静かに歌い始めた。
!!!
ロクサーヌの柔らかで優しい歌声。
それに合わせるようにしてリゼットも歌い始めたが、俺にはもうロクサーヌの声しか聴こえなかった。
ロクサーヌの演奏が終わったあと、すぐにでも彼女に会いに行きたかったが、自分の出番が近付いている。そのため話す暇もなく、舞台の裾で待機だ。
その後、ダンスが始まるまでにロクサーヌを見つけようと探すが……駄目だ。どこにもいない。
ああ、俺はロクサーヌと縁がないんだろうか。
「王太子殿下!」
中庭でぼんやり座り込んでいたら、急に声を掛けられた。
「……リゼット?」
「すぐに!女子寮の方へ行ってください!ロクサーヌ様がダンスは参加せずに寮へ戻ると……」
「寮?」
「はい。でも、あの、学生最後の月華祭ですから、ダンスしたり花火を見たりするのは、とっても大事な想い出になると思うんです。殿下、ロクサーヌ様に良い想い出を残して差し上げてください」
「……ありがとう」
リゼットは俺を探し回ってくれたのだろう。息が切れている。
彼女の心遣いに感謝し、俺は急いで女子寮へ走った。
女子寮のロクサーヌの部屋は、明かりが点いてなかった。
なので、寮の入り口でロクサーヌを待つ。もしかして、途中で気が変わって校庭へ戻っただろうか?
やがて、トボトボとした足取りのロクサーヌが見えた。頼りない足取りが心配になる。
「良かった。会えないかと思った」
「マティアス様?」
思わず漏れた心からの安堵に、ロクサーヌは驚いたように足を止めた。俺に気付いていなかったらしい。
気のせいだろうか。少し、泣いていたようにも見える。
だが、何を言えばいいか分からない。俺はただ手を差し出して、一緒に踊ってくれないかとだけ誘った。
逡巡するロクサーヌをそっと引き寄せる。抵抗されることはなく、ロクサーヌはすっぽりと腕の中に収まった。
そのままゆっくりと遠くに響く音楽にあわせて踊る。ロクサーヌとは初めてのダンスだが、不思議なほど自然と踊れた。このまま朝まで踊り明かしたいくらいだ。
ロクサーヌが俺を見上げる。つい笑顔になったら、じっと俺を見たまま瞳を潤ませた。
ああ、目が離せない。時が……止まってしまったみたいだ。
ロクサーヌの柔らかい唇が、誘うように半開きになっていて、俺はそれを求めるように顔を近付け───辺り一面が突然、明るくなった。
ドォーーーン!
花火だ。
ビクッと身をすくめたロクサーヌに俺は我に返る。
……良かった。あまり強引なことをして嫌われたくない。
握っていた手を解いて、今度はそっと抱き締める。これも嫌がられなかった。ホッとしながら、花火が終わるまで寄り添って眺める。ロクサーヌの甘い香りに包まれながら、俺はこの光景を一生忘れないだろうと思っていた。
さらに、冬休みに会う約束もした。
そのときには、もっと仲を深められるといいんだが。
最後に───これくらいなら許されるだろうと、ロクサーヌの額に口付けを落とす。
真っ赤になったロクサーヌは、どうしようもないくらい可愛かった。