ロクサーヌ(7)
マティアス様がわたくしの部屋に来た理由は、コートだった。
「ロクサーヌを送り届けたあと、ソファにコートが残っていたことに気付いた」
そ、そういえば、一着コートがなくなっていたっけ。全部で三着あるから、あまり気にしていなかったわ。不覚。
「仰ってくだされば、取りに参りましたのに」
「言う暇も与えてくれなかったのに?」
「も、申し訳ありません……ところであの、マティアス様、距離が近いのですが……」
わたくしの部屋には客人を迎える用のソファはない。なので、マティアス様には勉強机の椅子に座ってもらい、わたくしはベッドに腰掛けて話をしようとしたのだけど(マティアス様が座って話をしようと言い出したからだ)、何故か、二人仲良くベッドに横並びで座っている。
「この間の夜から気になっているんだが……」
あう。
聞いてくださらないのね……。
「顔色があまり良くない。ちゃんと眠れているか?」
優しく頬を撫でられて、わたくしは再びヒュッとノドを鳴らした。
こ、ここここれは誰?!
ぜ、絶対、マティアス様ではないわ!
女嫌いはどこへ行ったの!それとも、わたくしは女とさえ認識されていないってこと?!そ、そうか、きっと犬とか、馬とか、動物と同じ扱いなのかも……!
「ロクサーヌ?」
マティアス様の親指がゆっくりと目の下をなぞる。翠石色の瞳が近付く。
「ほら、クマが出来ている」
ぞわり。
背筋が痺れる。
わたくしは必死でマティアス様の手を止めた。
心臓に悪い。止めて欲しい。
「だ、だだ大丈夫です、まったく寝ていないわけではありません!」
「なるほど。つまり、きちんと眠れていないってワケだ」
「え?……ええーと……そ、そうですわね……?」
このところ、どうやって婚約解消するかで悩んでいるため、確かに寝不足気味だ。
「俺が横についててやるから、少し眠ったらどうだ?」
な、ななな何を仰ってるの?!
そして、さっきから顔が近い!
距離感がおかしい!!
「コ、コートを持ってきてくださったのでしょう?ご用件はそれだけですわよね?あ、あまり長居しては、寮監に見つかりますわ。……というか、どうやって入られましたの?」
「伝手があるんだ。……ロクサーヌの方こそ、どうやって男子寮に入った?そもそも、なんの用事で来たんだ?」
はうぁっ!
要らぬ問題を掘り起こしてしまった!!
なんの用事……?うう、用事……夜這い以外で、何か良い理由はないかしら……!
「あ、あの、その……月がキレイで散歩に出掛けていたら……月に魅入られまして……こう、フラフラ~っと……」
「月に魅入られたら、男の部屋に入り込むのか?」
「ま、まさか!えと、あの、マティアス様と一緒に見れたらいいな~と思っていたら、いつの間にか、マティアス様のお部屋にいました。つ、月の魔法でしょうか?」
どんな魔法だ、それは。
思わず自分で自分に突っこみを入れたけれど、わたくしには もはや他の手段はない。
全力で笑って誤魔化す。
マティアス様はふっと目元を緩ませた。
「そうか。俺と見たいと思ったら、俺の部屋へ移動していたのか。では、次の満月の夜は一緒に見よう」
「へ?」
「とはいえ、一人で夜の外出は感心しないな。次は俺が迎えに来るから、それまで大人しく待っていろ」
「え、あの……は、はい……」
や、止めて。
その蕩けるような眼差しは反則……。問答無用で思考停止になるじゃない……。
結局、よく分からないまま満月を一緒に見に行く約束をしてしまった。
うーん、うーん……もしや、わたくしってマティアス様の中で友達枠に入ったのかしら?……いやいや、そんなこと、あるわけないわよね。
そのとき、机に置いていたハンカチにマティアス様は気付かれた。
「これは、前に刺繍を頼んだハンカチか?」
「え、ええ、そうです」
「もう、貰って帰って構わないか?」
「はい」
「ありがとう」
イ、イヤだわ。
今度はなんて眩しい笑顔……。気難しいマティアス様がこんなに機嫌がいいなんて……変な病に罹ったのでなければいいけど。
そうして───わたくしを慄かせるだけ慄かせて、マティアス様は颯爽と窓から帰っていかれた。わたくしの部屋は2階なので、「これなら、窓から帰る方が簡単だな」と仰って。
……身軽に飛び降りられたのは流石ですけれど、誰にも見つからずに済んだのかしら?
あ。そういえばマティアス様って結局、どこから入って来られたんだろう。伝手って、どなた?
もしかして……リゼットかしら。
じゃあ、ご機嫌なのも納得できるわね。きっと、二人の仲は順調に進展しているのだわ。それなら、さっさと婚約解消をしてくださればいいのに……。
もう日常に戻っているのですが、さすがにラブラブ能天気な話の続きをささっと書くにはいたらず……明日・明後日はお休みし、来週から本格復帰いたします。