VS.報道陣
手鏡を前に、私は目を見開いたり口を尖らせたりしてみる。
「何やってるのよヒルダ?」
ひょこっと顔を覗かせたカミラの姿は、鏡に写らない。なんでも吸血鬼は鏡で自分の姿を見ることができないらしく、カミラは自分で自分の顔を見たことがないらしい。すっごく可愛いのにもったいないな……と思いつつ、私とカミラはもはや常備するようになったソファでお互いにダラダラとくつろいでいる。
「別に、ちょっと前髪が気になったから見てただけ」と返した私は手鏡をそっと後ろに隠す。
……カミラほどじゃないにせよ、私もそこそこ可愛いと思うんだけどなぁ……と嘆いていたことは内緒だ。「えー、そんなことないよぉ」と否定されてもこちらが惨めになるだけだし、かといってあっさり肯定されてもイライラするだろうからだ。我ながら面倒だとは思うが、その辺りは「乙女心」というものなので大目に見てほしい。私はそうやって自分自身に言い訳をしながら、逆にカミラが手にしているドワーフスマホの方を覗いてみる。
「こないだの、堕流救世主の人たちとかドワーフさんとは連絡取れてるの?」
「うん。なんかみんな色々メッセージ送ってきたりするし、ドワーフはよく自分の写真を送ってくるわよ」
言いながらカミラが私に、液晶画面を見せてくれる。びっしりと書き込まれたメッセージはどうやら堕流救世主の面々から来たものらしい。
「カミラちゃんマジ可愛い。天使」「カミラ様しか勝たん!」
「カミラ姫、サイコー!!」「カミラたん(*´Д`)ハァハァ」
……なんかときどき変なのも混じってるが、見なかったことにしよう。
堕流救世主の人たちは見た目はちょっとアレだけど、なんだかんだ悪い人間ではないようだ。世界を救う勇者ではないにせよ、カミラのファンクラブだと考えれば意外と寂しがりなカミラの心理的な支えになってくれるかもしれない。……同じ女子としてはちょっぴり複雑だけど、今まで辛い思いをしてきたカミラの心を救ってくれるのなら彼らはカミラにとっての「勇者」になりうるだろう。そんなことを考える私の前でカミラはほっそりとした指を動かし、ドワーフスマホを操作するとこてんと首をかしげる。
「ねぇヒルダ、この『カメラ』とか『写真』って、一体何なの? ドワーフとかこないだの堕流救世主のみんなが私の写真を欲しい、って言ってくれるんだけどよくわからないの」
言いながらカミラは私に、ドワーフスマホに写った写真を見せる。その画面に映し出されたものを見て、私はぎょっとしてしまう。
こちら……レンズに向かってドワーフさんがとってもいい笑顔を見せている写真。それがわざわざ複数枚、プロモーションビデオのように次々と映し出されていて……ツルハシを手に金塊の上でポーズをキメる写真、鎖らしきものを手にニヤリと不敵な笑みを浮かべている写真、今にも歌声が聞こえてきそうなほど楽しそうに熱唱している姿の写真……その色々と破壊力のある画像を前にうっ、と思いながらも私はカミラに説明する。
「カメラは『写真』っていって、自分の目で見た風景や人物を画像として残しておける道具のことよ。絵より精密に、はっきりと写すことができるの。ドワーフさんも堕流救世主の人たちも、きっとカミラと一緒にいない時でもカミラのことを思い出せるように、ってカミラの写真を欲しがっているのね」
え、あ、そうなの? と頬を薔薇色に染め、あたふたとするカミラ。私はそんなカミラにカメラを向け、レンズ越しにその美しい姿を覗いてみる。
……ダメだ。写るのは背景の神殿ばかりで、カミラの姿はちっとも映し出されていない。吸血鬼は鏡にも写らないから、写真もダメなんじゃないかなと思った私の予想はどうやら当たっていたようだ。眉を寄せる私にカミラは「ヒルダ、ずいぶん詳しいのね」なんて呟いている。吸血鬼である彼女にとって写真は縁のない、未知のアイテムなのだろう。お互い、ドワーフスマホを前にしてあれこれ口にしていると急に背後から人が現れる。
「……2人とも、何か忘れてはいませんか?」
いきなりかけられたその声に、私とカミラは反射的に立ち上がる。そうして振り返れば憮然とした表情で腕を組む、美しい女神ヴァルキリー様の姿がそこにあった。
「っもう! 2人ともドワーフスマホに夢中で私を忘れるとは何事ですか! このドワーフスマホは没収します! 女神である私のありがたみを、少しは思い知るのです!」
「あっ、返してよヴァルキリー様! ドワーフにヒルダとの『ツーショット』? っていうのを送るって約束してるんだからぁっ!」
問答無用! と断言するヴァルキリー様に私は一応、祈りのポーズを捧げてみせる。
……カミラやヴァルキリー様との日々が楽しくて忘れてたけど、今は世界の危機なんだよね。世界を救う勇者、そろそろ現れてくれるといいな。私、一応聖女だし。そんなことを考え、それらしい祈りの言葉を口にしているとカミラもしぶしぶ、私と一緒に祈り始める。
「それで良し。では、勇者召喚の儀を始めましょう」
少しは気が晴れたらしいヴァルキリー様は偉そうにそう言って、魔法円を発動させる。すると神殿の床が眩い光を放ち、それが消えると勇者が現れる、はずなのだが――
「っ何!?」
光の洪水のような激しいフラッシュに、カミラが思わず身を屈める。だが何度も消えては光る、白い光は自然のそれではなかった。カシャカシャと軽く、耳障りな音と共に点滅する光の束へ私は賢明に目を凝らす。
「どういうことですか市長!」
「答えてください市長!」
「市長、今のお気持ちは!?」
「市長!」「市長!」
口々に何か叫び、その手に握った道具――カミラのドワーフスマホのとは違う、明らかに業務用のカメラを向ける人々。そのレンズは間違いなくこちらを向いているはずなのに、自分たちが異世界に連れてこられたのには気づかないのだろうか? どんな表情も逃すまい、決定的な瞬間を捉えてやる。そんな気持ちがひしひしと伝わってくる、歪だが圧倒的な勢い。その熱気に思わず怯みながらも、ヴァルキリー様がその集団に「なんですか、あなた方は!」と声を張り上げる。
「!? ここはどこですか市長!」
「市長! 市長はどこにいるんですか!?」
「市長!」「市長!」
えぇい、みんな市長市長うるさーい!
呼び出されたカメラマンたちは、ヴァルキリー様に声をかけられてやっとここが異世界だと気がついたらしい。それでもなおシャッターを切らすことがないのは良く言えばプロ意識、悪い言い方をすればただの意地だろう。レンズの向こうにある好奇心と欲にまみれた目線に、それでもヴァルキリー様は冷静に「ここに市長? とかいう人はいませんよ」と返してやっと目の前の人々が動揺しはじめる。良かった、激しいフラッシュの点滅がようやく止まった……と安心したのも束の間。今度はみんなマイクを取り出し私たちを質問攻めにする。
「あなた方は何者ですか!? どうやって私たちをここに連れて来たんですか!?」
「異世界なんて実在しませんよね? 本当は市長を匿ってるんじゃないですか!?」
「私たちは汚職と横領と不倫と差別発言をした市長の取材に来たんです! 早く市長を呼んでください」
市長、どんだけ悪いことしてんの!?
見たこともない人の悪評は不愉快になるが、それを差し引いてもこのずけずけこちらに踏み込んでくるこの空気は嫌だ。震え、蹲っているカミラを連れて私は神殿からこっそり逃げ出そうとする。するとヴァルキリー様をあれこれ詰問していた取材陣の人々が、「あっ」とこちらを向いた。
「あの子、カメラに写らないじゃないですか! 一体どういうトリックですか!?」
「まさか、本当にここは異世界なんですか……!? 異世界から勝手に人を呼ぶのは何らかの法に触れるのではないですか!?」
「我々をここに呼び出した法的根拠を示してください!」
容赦ない言葉の猛攻に、私はカミラを庇いながらなんとか言い返すが数の暴力にはとても敵わない。獲物を狙う肉食獣のようなその視線に、容赦ない口撃。睨め付けるようなそれに思わず、声を張り上げる。
「ちょっと、やめてくださいってば!」
「あぁっ! 異世界人に暴力を振るわれました! 異世界人にも傷害罪は適用されるのでしょうか!?」
ちょっと腕を振り上げただけなのに、カメラマンの一人が大袈裟にそう叫ぶ。それを皮切りにたくさんのレンズが私に向かい、一斉に大勢の人たちが私へと話しかけてきた。
「今の行為は我々異世界人に対する攻撃行為であると考えられます! あなた方は我々、異世界人に敵対の意思があるのでしょうか!?」
「今のは強要罪や脅迫罪にあたる行為となりますよ! 我々がいた世界での法律をあなた方は遵守しないおつもりでしょうか!?」
「大声を出して取材拒否するのは報道の自由の侵害です! 表現の自由を守ってください!」
え……
あ……う……
一方的に向けられる、悪意ある目線。怒鳴るような声に、威圧的な態度。その数々を前に私は眩暈を感じ、倒れそうになる。
嫌……誰か助けて……!
「いい加減にしなさい!」
威厳ある一喝に、その場にいた全員が動きを止める、その一瞬の隙に、ヴァルキリー様が私とカミラの前に立ち塞がったかと思うと魔法円の光が発動した。カメラのそれとは違う、仄かに温かな光……見慣れたその明るさにほっとしていると、柔らかい感触が私を包み込む。ヴァルキリー様が私を抱きしめてくれたのだ、と気づくと穏やかで優しい声が頭から降ってくる。
「安心なさい、ヒルダ。あの方たちは元の世界にお戻ししました。……ここにあなたを傷つける人はいません。だからどうか、落ち着いてください」
「っそうよ! 私だって日が落ちたら強いんだから、そんなに怖がらないで! 今度あんなのが来たら、私がけちょんけちょんにしてやるんだから!」
ヴァルキリー様の腕の中で固まっている私に、カミラがそう言って肩にしがみついてくる。あぁ、いつもは私がカミラを慰めているのに今日は逆だな……そうぼんやり考えると、ほんの少し気が楽になった。
「ありがとうございます、ヴァルキリー様。ありがとう、カミラ」
もう大丈夫だから、と私は2人に向かって笑いかけてみせる。
いつも泣いてばかりの怖がりな吸血鬼と、ろくでもない奴ばかり召喚する女神様。それでも2人は私にとって、大切な家族のような存在だ。怖がることなんてない、何も不安に思う必要なんてないのだ。
……そろそろ本当に勇者を召喚してくれないと困るけど。
そんな本音をぐっと飲み込み、それでも私は2人に笑顔を見せてみるのだった。