カミラの過去
「私のお姉ちゃんを殺したのも、あんな奴だったわ」
ミルクを飲んだカミラは俯き、ぽつりとそう零す。
エクソシスト――腹井真白を元の世界へ送り返した後。しばらく能天気に勝利を噛み締めていた私たちだったが、カミラは腹井が撒いたらしい聖水の跡を見つけると途端に腰を抜かしそのまま目に見えてわかるほどブルブルと震え始めた。
ヴァルキリー様は「聖水の無効化と、神殿の床の修理のために助っ人を呼んでくる」と言って姿を消したので今、神殿にいるのは私とカミラだけだ。腹井真白との激闘が嘘のように静まり返った神殿の中で私はカミラを慰め、なんとか元気づけようとしていた。その矢先にいきなり、そんなことを言い出したので私は驚きながらも黙って耳を傾ける。
「私たちは、生まれた時から吸血鬼だった。人間は吸血鬼に嚙まれるとか、吸血鬼と通じ合うとかで吸血鬼になると思ってるけどそんなの大嘘よ。吸血鬼は人間と違うだけで、立派な生き物だわ。人間より寿命が長くて、体が頑丈なだけで……でも、人間は私たちを忌み嫌った。それだけでなく、排除すべき相手として徹底的に嬲り殺したの。だから私とお姉ちゃんは人間の目を逃れ、必死に隠れて生きてきたの」
ミルクをついたカップを握りしめ、沈んだ目で話すカミラ。私はそんなカミラの傍にただじっと寄り添い、今にも壊れてしまいそうなその姿を目に映す。
ただでさえ弱点が多く、泣き虫なカミラだ。姉と2人とはいえその逃亡生活は決して、楽なものではなかっただろう。腹井真白のように真っ直ぐな殺意を向けられ、剝き出しの悪意を向けられ、どれだけ怖い思いをしただろうか。その悲痛さに思いをめぐらせる中、カミラはそれでもしずしずと自分のことを話し続ける。
「私もお姉ちゃんも、人間の血を飲んだことなんて一度もないわ。まして人間に害を為そうだなんて、思ったこともない。代わりに野生動物の血や乳を採ったり、友達になったコウモリに獲物を分けてもらったりしてなんとか食いつないできた。だけど人間は、それすら許さなかったの。私とお姉ちゃんは人間に捕まって、ものすごい拷問を受けることになったのよ」
不穏な単語の登場に、私は思い出す。
以前おばあさんを召喚した時に、ヴァルキリー様は「魔女狩り」がどんなものであるかを口にしていた。一般人の女性を何かにつけて「魔女だ」と吊るしあ上げ、徹底的に痛めつける……その凄惨なイメージを言い当てるように、カミラは少しずつ言葉を紡ぐ。
「体中を変な刃物でブスブス刺されたり、丸太に縛り付けられ何時間も水の中に沈められたり。大勢の人間にたくさん酷いことをされた。私はそんなことを平然と……いや、むしろ喜々としてやってのける人間たちの方がよほど悪魔に見えたわ。私もお姉ちゃんも、心と体をボロボロにされたわ……」
身を切られるような思いを滲ませるカミラは、ときどき呼吸を整えながら自分の震えを抑えようとしている。それに加勢するように、私が彼女の背中を擦るとカミラは軽くお礼を言ってまた口を開いた。
「そうして最後に、火あぶりにされそうになった時……お姉ちゃんは一瞬の隙をついて、私を逃してくれた。その代わりに、お姉ちゃんは……」
その先は、言わなくてもわかる。堪えきれず、カミラはミルクを一度ぐいっと飲み干すと静かに涙を零した。いつものようにぎゃんぎゃんと泣き喚くのではなく、ただ深い悲しみの中に沈んでいるカミラ。私はそんな彼女を、そっと抱きしめる。
「辛かったね、カミラ。でももう大丈夫。ここには私もヴァルキリー様もいるよ」
私の腕の中で泣き続けるカミラに、そして自分自身に言い聞かせるように私は優しくそう口にする。
カミラはこの世界に来るまでずっと、辛い思いをしてきた。人間は恐ろしい存在だ、自分たちを虐げる存在だ。そう信じざるをえない状況に、追い込まれてきたのだ。だけど、今のカミラはそうじゃない。決して彼女を傷つけ、一人にするようなことはしない。
「私は全然強くないし、ヴァルキリー様もちょっとアレだけど……カミラを傷つけ、悲しませるような真似は絶対しない。何があっても絶対、カミラを傷つけるようなことはしないから。カミラを守るから、安心して」
「……ありがとうヒルダ……私もっ、絶対ヒルダとヴァルキリー様を守るからっ……」
啜り泣きながら、それでもそう言ってくれるカミラに私はうんうんと頷く。
この世界には大魔王フェンリルの脅威が残っているし、世界を救う勇者もまだ現れる気配がない。だけど、それでも私は今ここにいる吸血鬼の女の子を守りたい。たくさん傷つき、たくさん泣いてきた彼女を守ってあげたい。その温もりを伝えるように私はカミラを抱きしめ、その頭を優しく撫でるのだった。
「……で、神殿の床はどうするの……?」
泣き止んだカミラにいきなりそう言われ、私はうっと言葉に詰まる。
「……ヴァルキリー様が今、この床を直してくれる人を呼びに行ってるから……たぶん大丈夫……」
……大丈夫、だよね……?
カミラの言葉を強く否定することができず、私はさっと視線を逸らす。カミラはそれ以上追及することはなかったけれど、その沈黙がかえって気まずい空気を作り出し……私は心の中で
「早くどうにかしてヴァルキリー様あああああっ!」
と叫ぶしかできないのだった……。