ケジメ
姉の引き立て役をやめると決意した翌日────学園側が用意した侍女の手を借りて、ドレスに着替えた私は第二ホールの前で、ある人物を待っていた。
腕を組んだ男女が第二ホールに入っていくのを見送り、壁に寄り掛かる。
髪色より少し濃い紫色のドレスがふんわり揺れた。
今日は新入生歓迎パーティーのため、一年生は授業がない。学園側が準備に時間が掛かるだろうと配慮した結果だ。
また、普通のパーティーと違って厳しいルールや面倒なマナーもないため、入場する順番に決まりはなかった。
もし、順番が決まっていたら子爵令嬢の私は既に会場入りを果たしていただろう。
強制参加という点を除けば、新入生歓迎パーティーは非常に素晴らしいものだ。
それにしても、あの方はまだかしら……?パーティーの開始時刻まであと五分もないけれど……。
扉の上に取り付けられた掛け時計にチラチラと視線を送り、ある人物の到着を今か今かと待ち侘びる。
扉越しに聞こえる会場内の賑やかな声に焦りを覚えながら、キョロキョロと辺りを見回していると────目当ての人物がついに姿を現した。
黒の正装に身を包むその人物は金の金具がついたマントを羽織っている。
闇より暗い黒髪をオールバックにし、黒の革手袋をはめる彼こそ────私が待ち焦がれた人物である、グレイソン殿下だった。
あら、パートナーは居ないのね。いくら格式の低いパーティーと言えど、パートナーくらいは連れて来るものなのに……まあ、私も人のことは言えないけど。
パートナーの誘いどころか、殿下以外の男性とは話すらしていないもの。
目も合わせてくれないクラスメイトの男子を思い浮かべ、内心苦笑を浮かべる。
複雑な心境に陥る私を他所に、黒髪の美青年はこちらを見向きもせず、歩みを進めた。
昨日の件で私にもう興味がなくなったらしい。『無関心』を貫くグレイソン殿下に胸を痛めつつ、私は壁に預けた体をゆっくりと起こした。
「────グレイソン殿下、恐れ入りますが、少しお時間を頂けませんか?」
子爵令嬢が王族に声を掛けるだなんて、本来であれば有り得ないことだが、殿下にはどうしても話しておきたいことがあった。
強い意思を持って彼の横顔を見つめれば、黒髪の美青年が視線だけこちらに向ける。
氷のように冷たい印象を受けるラピスラズリの瞳は喜怒哀楽が抜け落ちたように静かだった。
「何だ?」
感情の起伏が一切感じられない平坦な声は機械のようで、少し怖い。
でも、それ以上にグレイソン殿下の抱く『無関心』が恐ろしかった。
嫌われるより、関心を示されない方が怖いだなんて……初めて知ったわ。
ギュッと拳を握り締める私は震える体に鞭を打ち、一歩前へ出る。
この程度で怖気付くようでは、噂を塗り替えるなんて到底不可能だった。
早くも逃げ腰になる自分を何とか奮い立たせ、瑠璃色の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
昨日の決意を無駄にしないためにも、逃げる訳にはいかなかった。
「お時間を頂き、ありがとうございます。まずは昨日の非礼を詫びさせてください。ソレーユ王国の剣に不遜な態度を取ってしまい、大変申し訳ありませんでした」
胸元に手を当て、深々と頭を下げる。
詫びる姿勢を見せた私に対し、グレイソン殿下は眉一つ動かさなかった。
「謝罪を受け入れよう。それで、話はそれだけか?なら、俺はもう行くが……」
爪の先ほどの関心も抱かない彼は事務的な返答を口にし、視線を前に戻す。
今すぐにでもこの場を立ち去りそうな殿下に、私は慌てて声を掛けた。
「お、お待ちください!話はまだ終わっていません!」
話の途中だと引き止める私に対し、グレイソン殿下は『まだ何かあるのか』と溜め息を零す。
面倒臭がられているのは明白だが、それでも私は一生懸命食らいついた。
「じ、実はその……グレイソン殿下に質問されたことについて、お答えしようと思いまして……」
おずおずといった様子でそう申し出れば、黒髪の美青年がピクッと反応を示す。
そして、ゆっくりと体をこちらに向けた。
「……昨日のダンスの授業でした質問のことか?」
私が実力を隠している理由には興味があるのか、殿下がそう聞き返してくる。
存外分かりやすい反応にホッとしながら、コクリと頷いた。
殿下は周りに関心がないだけで意外と単純な方なのかもしれないわね。まさか、こんなに食いつきがいいとは思わなかったわ。
瑠璃色の瞳に僅かな光を宿すグレイソン殿下に、苦笑を浮かべながら私は気を引き締める。
ざわつく心を宥めつつ、意を決して口を開いた。
「私が今まで実力を隠してきたのは────スカーレットお姉様にそう指示されたからですわ」
結論を先に突きつければ、案の定グレイソン殿下は首を傾げる。
『何故そうなった?』とでも言いたげな彼に、私は順を追って説明した。
「事の発端は私が五歳になったばかりの頃です。貴族としての英才教育が始まり、私はかなりいい成績を修めていました。講師達は私を天才だと持て囃し、『姉より優秀かもしれない』と噂したんです。それがスカーレットお姉様の耳に入り、お姉様は激怒しました。そして、私にこう言ったのです。『私の引き立て役になりなさい』と……」
あの時の光景は今でもよく覚えている。
怒りに歪んだ姉の顔も、面倒臭いと感じた自分の気持ちも全部……色褪せることなく、鮮明に。
「当時の私はお姉様と対立するのが面倒で、彼女の提案を受け入れました。その結果、私はただの平凡な子爵令嬢となり、スカーレットお姉様は近年稀に見る才女となったのです」
ところどころ省略しながら大まかな説明を終えれば、黒髪の美青年は怪訝そうに眉を顰めた。
幼き日の約束を守り、姉の言いなりになる私が理解できないのだろう。
考え込むように腕を組んだ彼は人差し指でトントントンと二の腕を叩くと、深い溜め息を零した。
「……くだらないな」
考え込んだ末に吐き出された彼の本音は珍しく感情が滲んでいて……痛いほど私の胸に突き刺さる。
慰めの言葉一つ言えないグレイソン殿下を前に、私は苦笑を浮かべた。
脳裏に浮かぶのはちっぽけな悩みで八年間を棒に振った愚かな自分……。悲劇よりも喜劇という言葉が似合いそうな過去に、スッと目を細めた。
「そうですわね。実にくだらない……ですから────」
そこで敢えて言葉を切ると、私は声高らかにこう宣言した。
「────お姉様の引き立て役はもうやめることにしました。これからは自分のために生きて行きますわ」
過去の自分との決別を果たすように、一切の淀みなく言い切る。
完全に迷いを捨てた私はただ真っ直ぐにグレイソン殿下の目を見つめた。
「……何故、それを俺に言う?」
「自分の中でケジメをつけるため……という意味合いが強いですが、逃げ道を塞ぐためでもあります。自分で言うのもなんですが、私は面倒臭がり屋なので途中で投げ出す可能性がありますの。だから、グレイソン殿下の前で宣言することによって、自分を追い込んでいるんです」
満面の笑みを浮かべてそう答えれば、グレイソン殿下は一瞬だけ頬を引き攣らせる。
『随分とストイックだな』と呟く彼の声に同意するように、私はクスクスと笑みを漏らした。
殿下に話を聞いてもらったおかげか、かなりスッキリしたわ。特別何かをしてもらった訳では無いけど、気分が楽になった。
「グレイソン殿下、私の詰まらない話を聞いて頂き、ありがとうございました。もうすぐパーティーの開始時刻になりますし、お先に失礼し……」
「────待て」
無礼講とはいえ、さすがに殿下の後に入場する勇気はないため、先に入場しようとすれば……制止の声を掛けられた。
引き止められた理由が分からず、困惑気味に彼を見つめると、黒髪の美青年が一歩前へ出る。
そして────サッとその場に跪いた。
「シャーロット・ルーナ・メイヤーズ子爵令嬢、君をエスコートする栄誉を俺にくれないか?」