決断
六限目の授業も無事に終わり、放課後を迎えた私は一人寂しく帰路についていた。
他の子達が友達と一緒にクラブの見学や図書館に行く中、私は女子寮へと向かう。
寮へと続く道にほとんど人は居らず、楽しげに会話を交わす二人の女性が前を歩いているだけだった。
ちょっと羨ましいわね。私もあんな風に友達とお喋りしながら、下校したいものだわ。
現状では到底叶えられない夢を抱きながら、仲良さげな彼女達を後ろから見守る。
すると、三つ編みの女の子のポケットから何かが落ちた。
あれは……ハンカチかしら?
目の前の落し物にゆっくりと近づき、とりあえず拾ってみる。
薄ピンク色のそれは百合の花が刺繍されたハンカチだった。
手触りからして、上質な布地で作られた高級品なのは間違いない。
「あ、あの……!」
拾ってしまった以上放置する訳にもいかず、私はハンカチ片手に三つ編みの女の子に駆け寄った。
素直に足を止めた三つ編みの女の子とその友人はゆっくりとこちらを振り返り、僅かに目を見開く。
どうやら、私のことを知っているようだ。
まあ、あれだけ噂が広がっていれば、知っていてもおかしくないわよね。むしろ、知らない人の方が珍しいくらいだわ。
「え、えっと……私達に何か用でしょうか?」
困惑気味にこちらを見つめる二人は私を警戒しているようで、一歩後ろへ下がる。
クマでも相手にしているかのような態度に胸を痛めつつ、私はさっき拾ったハンカチを三つ編みの子に差し出した。
「このハンカチ、貴方のでしょう?さっき、そこで落としていましたよ」
百合の刺繍が見えやすいよう、四つ折りにしたハンカチの角度を少し変えれば、彼女は『あっ』と声を漏らす。
ブレザーのポケットを上からポンポンと叩き、ハンカチが無いのを確認すると、おずおずとこちらに手を伸ばした。
「あ、ありがとうございます……」
慎重な手つきでハンカチを手に取ると、申し訳程度に頭を下げる。
そして、こちらが何か言う前に友達の手を引いて踵を返した。
「じゃ、じゃあ私達はこれで……!」
私と一緒に居るところを誰にも見られたくないのか、半ば逃げるように彼女達は走り去っていく。
遠ざかっていく彼女達の背中を見つめながら、私は『はぁ……』と深い溜め息を零した。
姉の流した噂に派生して、裏口入学やカンニングなどを疑われる私と一緒に居たくないのね。まあ、賢明な判断だと思うわ。真実はどうであれ、悪い噂しかない人物と関わるのは勇気がいるもの。もし、逆の立場だったら、私もそうしていただろうし。
だから、これは────。
「────仕方の無いことなのよ」
自分に言い聞かせるようにそう呟く私だったが、ズキリと痛むこの胸は誤魔化せない。
ギュッと胸元を強く握り締め、青空の下を再び歩き出した。
酷い孤独感を抱えながら、無心で歩みを進め、無事女子寮へと辿り着く。
昨日と同じ過ちを繰り返さぬため、屋根の色をしっかり確認してから、建物の中へ足を踏み入れた。
シーンと静まり返った寮内に人の気配は感じられない。
青系の家具で統一されたエントランスホールを一瞥し、私は二階にある自室へと直行した。
パタンッと扉の閉まる音と共に、私はヘタリとその場に座り込んだ。
これから先ずっとこんな日々が続くのだろうか……?誰にも相手にされず、皆から避けられ、友人も婿候補も見つけられないまま卒業する……この貴重な三年間をそうやって、浪費していくの?
そう自分に問い掛けたとき、せき止めていた何かが溢れるように左目からポロリと一筋の涙が零れた。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!そんなの絶対に嫌!」
口を突いて出た本音はどんなものよりも雄弁に私の心情を物語っている。
『仕方ないことだ』と割り切れなかった感情がどっと押し寄せ、次から次へと涙が溢れた。
嗚咽を漏らしながら、皺になるくらいスカートを握り締める。
────ふと、グレイソン殿下の言葉が脳裏を過った。
『お前は悔しくないのか?本当はこの場の誰よりも優秀なのに不名誉な噂を流されて、散々馬鹿にされて……』
悔しいに決まっているじゃない……!事実とは異なる噂を流されて、平気な訳ないわ!『それはお姉様の虚言だ』と声を大にして言いたいくらいよ!
────でも、副会長の姉とただの新入生である私では発言力も影響力も違いすぎる……!
私が『違う』と喚いたところで、誰にも相手にされないだろう。それどころか、更に立場が悪くなってしまうかもしれない……。
姉の力を借りず、事実無根の噂を晴らすためには口先だけの弁解じゃダメだ。行動で示さなくてはならない。
つまり────。
「────隠し続けてきた力を解放し、本気を出す」
本気を出して、噂を塗り替える以外に方法はない。人脈も発言力もない以上、私に取れる選択肢はこれしかなかった。
最初の頃は『不正をしているんじゃないか』と疑われるかもしれないけど、時が経てば私の実力を認めてくれる筈……。
でも、この選択肢を取る場合……。
「スカーレットお姉様との関係に亀裂が入ってしまう……」
五歳の頃に交わした約束を破り、私が本気を出せば、姉は激怒することだろう。
『何故、私の言うことを聞かなかったのか』と……。
正直、姉と対立するのは避けたい……。だって、凄く面倒臭いから……。
姉のことだから、絶対に文句を言ってくるだろうし、私が態度を改めなければ嫌がらせをしてくるかもしれない。
まあ、何にせよ私の日常に干渉してくるのは間違いなかった。
でも────私にだって、譲れないものがある。
姉との対立を避けるためにフリューゲル学園の三年間と自分の将来を擲つことは出来なかった。
それに先に一線を超えてきたのは姉の方だ。姉が私の学園生活をぶち壊さなければ、こんな事にはならなかったのだから。
もう我慢する必要はない筈だ。
『いい加減、もう自由になりたい』という気持ちに押されるまま、私は涙で濡れた目元を拭う。
迷いが吹っ切れた私は晴れやかな気持ちで顔を上げた。
「────この八年間、お姉様の引き立て役に徹してきたけれど、今日でもうやめるわ」
自分自身に誓うかのように、私はハッキリとした口調でそう宣言した。