交渉
午前中の授業では、何とか出来損ないのイメージを払拭しようと、頑張った。
小テストでは七割程度の点数を取り、実践では人並み程度の実力を出した。
だが、一度定着してしまったイメージはそう簡単に払拭出来ず……みんな、『たまたま』とか『ズルをしている』と決めつける。
やっぱり、姉の口から直接弁解してもらうしかないわね。
そう思い直した私は昼休みになるなり、急いで教室を後にした。
生徒の半数以上が食堂へ向かう中、私は四階へと向かう。
人混みを掻き分けながら、姉の教室へ向かっていると────廊下でバッタリ姉と出くわした。
食堂へ行く途中だったのか、彼女の手にはお財布が握られている。
「あら、シャーロットじゃない。どうしたの?わざわざ四階まで来るなんて」
自分が流したデマのせいで実の妹が苦しんでいるとは露知らず、姉のスカーレットは優雅に微笑んだ。
『呑気』という言葉がこれほど似合う人はそうそう居ないだろう。
私は今すぐ怒鳴り散らかしたい気持ちをグッと堪え、人差し指で上を指さした。
「お姉様にお話したいことがあるんです。屋上で話せませんか?」
『二人きりで話がしたい』と申し出れば、青髪の美少女はキョトンとした表情を浮かべる。
普段、私の方から接触してくることがないため、不思議に思っているのだろう。
「別に構わないけど、長話はダメよ?レオ殿下とお昼の約束があるから」
レオナルド皇太子殿下のことを親しげに愛称で呼ぶ姉に、周囲は……というか、女子生徒は厳しい目を向ける。
妬み嫉みが籠った彼女らの眼差しに、私はビクッと肩を震わせた。
レオナルド殿下は皇太子という地位に就いていながら、未だに婚約者が居らっしゃらない。
皇太子妃候補は何名か居るが、まだ誰にするか決めていない状態だった。
そんな状況下で現れたのが我が姉スカーレット。彼女は正式な皇太子妃候補ではないが、影の皇太子妃候補として周りに知られている。と言うのも、未婚女性の中で最もレオナルド殿下と親しいのが彼女だから。
正式な候補者と違い、家柄と血筋は劣っているものの、それ以外はほぼ完璧と言える。
だから、未婚女性の多くが姉に妬ましい感情を抱いていた。
『女の嫉妬ほど怖いものはないわね』と身震いし、私は屋上へ繋がる階段に姉を促した。
「話は直ぐに終わります。なので、さっさと屋上へ上がりましょう」
「ええ、分かったわ」
女子生徒からの鋭い視線に気づいていないのか、はたまた気づかないフリをしているのか……姉は陽気に笑っている。
上機嫌な姉と周囲の温度差に頭痛を覚えながら、私は青髪の美少女と共に階段を上がった。
後ろから誰もついて来ていないことを確認し、屋上の扉を開く。
すると、春風が私達の横を通り過ぎ、温かな陽の光が降り注いだ。
屋上って初めて来たけど、こんな風になっているのね。とっても静かだし、眺めもいい。
四方を高い手すりで囲まれた屋上を見回し、私は一歩足を踏み入れる。
青々と広がる空は爽やかで、美しい。
学園生活の息苦しさが軽減され、少しだけ楽になった。
「────それで、私に話したいことって一体何なの?」
後ろからひょこっと顔を出した青髪の美少女に、私は一瞬だけ顔を顰める。
自分で連れて来ておいて失礼だが、『姉が居なければ、もっと良かったのに……』と思ってしまった。
軽くなった気持ちが再び重くなり、憂鬱な気分になる。
これからこの人を説得しなきゃいけないのかと思うと、荷が重かった。
はぁ……あれこれ悩んでいても埒が明かないし、さっさと話してしまおう。姉もあまり時間がないようだし。
「お話というのは私の噂についてです。もちろん、お姉様もご存知ですよね?」
表情をしっかりと引き締め、タンザナイトの瞳を真っ直ぐに見つめる。
真剣な姿を見せる私に対し、姉のスカーレットはと言うと……キョトンとした表情を浮かべた。
「シャーロットの噂……?そんなのあったかしら?」
思い当たる節がないとでも言うように青髪の美少女はパチパチと瞬きを繰り返す。
一瞬『ふざけているのか!?』と怒鳴りそうになったが……姉の表情を見る限り、本当に分からないようだった。
苛立つ自分を必死に宥めながら、私は精一杯の愛想笑いを浮かべる。
「では、質問を変えます。お姉様は周囲に『自分の妹は出来損ないで、何も出来ない無能だ』と言いふらしたりしましたか?」
「私がシャーロットのことを周りに……?あぁ、そう言えば────何回かそういう話をしたわね。周りが面白がるから、貴方のことについて色々話したのよ」
悪びれる様子もなく、あっさりと肯定した青髪の美少女に、『やっぱりか』と納得する反面、苛立ちが募る。
だが、ここで怒ってはいけないと自分を諌め、ギュッと拳を握り締めた。
「やはり、そうでしたか……では、今すぐその話を訂正して下さい。お姉様の妹は平凡ではあるが、出来損ないと言うほどの無能ではないと……」
「あら、どうして?この手の話は実家で嫌ってほどして来たでしょう?別に訂正する必要なんて……」
「────ここは実家じゃありません!学園でそんな話をされたら、私の立場が悪くなるんです!現に私は出来損ないの妹だと噂され、クラスメイトから距離を置かれています!私はただ普通に学園生活を楽しみたいんです!だから、お姉様の口から噂を訂正して下さい!」
『実家では問題なかったから、学園でも大丈夫』という子供じみた考えを持つ姉に、私は怒鳴り散らす。
能天気すぎる姉の態度に、どうしても怒りを堪えきれなかった。
メイヤーズ子爵家では、家の中で話が終わっていたから別に良かった。私を『平凡な妹だ』と見下すのも姉と講師だけだったから……でも、学園は違う。
実家とは比べ物にならないほどの人間が居り、そのほとんどが子爵家より、上の存在……。無能という烙印を押された弱小貴族が生き残れるような場所じゃなかった。
姉の横暴もワガママも、今までは『怒らせると面倒だから』と我慢してきた。
でも、私にだって許容出来る範囲と出来ない範囲がある。今回はさすがに姉の横暴を放っておく訳にはいかなかった。
フリューゲル学園を卒業するまでに良い婿を見つけられなければ、好色家の男性や親子ほど年齢の離れた男性と結婚する羽目になるかもしれない……そんなの絶対に嫌!!
貴族令嬢にとって、結婚とは人生の墓場だ。
ハズレを引けば、死ぬまで一生苦しむ羽目になる……。
子爵家の次女に過ぎない私に男を選ぶ権利なんて無いかもしれない……でも、私にだって譲れないものがあった。
美形じゃなくてもいい。優秀じゃなくてもいい。私を愛さなくたって構わない……。
私が相手に求める条件は二つ。誠実で、優しい人であること。ただそれだけ。
だから、婿選びの……私の平穏な未来を邪魔すると言うのなら、姉であっても許さない。
「お姉様、もう一度言います。私の噂を訂正して下さい。別に間違っていたと言って欲しい訳じゃありません。ただちょっと語弊があったと、言ってくれるだけでいいんです」
心の奥底からフツフツと湧き上がる怒りを必死に抑えながら、優しい口調で再度お願いする。
姉の地位を守るための妥協案も提示しつつ、私は彼女の手を両手でそっと包み込んだ。
祈るような気持ちで黙り込む青髪の美少女を見つめる。
お願い……!頷いて!『分かった』と一言言ってちょうだい!
期待の籠った眼差しを姉に向ける中、青髪の美少女はじっとこちらを見つめ返した。
そして────ニッコリ微笑んで、私の手を振り払う。
「悪いけど、それは出来ないわ。副会長の私が間違った噂を流したとなれば、少なからず問題になるもの。それに────シャーロットは私の引き立て役なんだから、これくらい我慢出来るでしょう?私のために耐えてちょうだい」
暴挙と呼ぶべき姉の返答に、私は目眩を覚え、思わず目頭を押さえた。
怒りよりも呆れの方が勝ってしまい、何も言えずに固まってしまう。
どうやったら、この横暴な姉を説得出来るのかと……本気で悩んだ。
引き立て役の私には学園生活を謳歌する権利すらないって訳ね。今まで何も言わずに姉のワガママを我慢してきたから、私が我慢するのは当然だとでも思っているのでしょう。
それに関しては私も悪いけど、だからと言ってその言い分はどうなんだろう?
姉の正気を疑う言動に頭痛を覚えていると、青髪の美少女が『あっ!』と大きな声を上げた。
「やだ、もうこんな時間!早く食堂に行かなきゃ……!」
扉の上に設置された掛け時計を見て青ざめた姉は慌てて身を翻す。
「え?ちょっ!待って下さい!話はまだ……!」
「何度言われようと、噂の訂正はしないわ!だから、この話はもう終わり!それじゃあ、レオ殿下を待たせているから、これで失礼するわね!」
制止の声を振り切り、屋上の扉を少し乱暴に開けた青髪の美少女は急いで階段を駆け下りていく。
あっという間に見えなくなった姉の後ろ姿に、私はガクリと項垂れた。
一人ポツンと屋上に取り残された私は姉を追い掛ける気力すら湧かず、溜め息を零す。
あの様子だと、姉を説得するのは難しそうね……。きっと、何を言っても無駄だわ。
今までのように私が我慢するしかないのかしら?
悲観的な考えが脳裏を過り、私はこの世の全てに絶望するように俯いた。