【三巻発売記念SS】散策《エミリア side》
────これは夏休みに突入して、間もない頃の話。
多くの生徒が林間合宿に関心を寄せる中、私は愛馬のエリザベスと共に帰省していた。
久々に会う両親や使用人に近況などを報告し、私は領地の視察に赴く。
と言っても、ただの散策に過ぎないが……。
私はただ、領民の笑顔が見たいだけなのよね。
賑やかな街並みを見ていると、この地を収める一族としての自覚が芽生えるというか……『この笑顔を守らないと』という気持ちになるから。
人の笑い声で溢れる街を見つめ、私は僅かに頬を緩める。
満足感にも似た感覚に襲われる私は、身分を隠すため、羽織ったローブに手を掛けた。
服の内側へ手を滑らせると、熱が籠っているのがよく分かる。
このまま放置すれば、体調を崩すだろう。ただでさえ、暑いのに長いローブを身に纏ってしまったから。
今日のところは、屋敷に帰りましょうか。
領地の視察は、また明日にでもすればいいわ。夏休みはまだ始まったばかりだもの。焦る必要はない。
『もっと通気性のいい布地でローブを作ろうかしら?』と考えつつ、私は身を翻した。
刹那────背後から、悲鳴と罵声が上がる。
突然の大声にビクッと肩を震わせる私は、慌てて後ろを振り返った。
すると、そこには────取っ組み合いの喧嘩をしている二人の男性が居た。
身なりからして、傭兵のようだけど……一体、何があったのかしら?
「おい!こんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
「それはこっちのセリフだ!ボコボコにされたくなかったら、さっさと俺に謝れ!」
「はぁ!?先にぶつかってきたのは、お前だろうが!お前が謝れよ!」
「『ぶつかる』に、後も先もないだろ!あれは単なる事故なんだから!それより、俺を殴った責任を取れ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる二人の男性は、興奮状態で周囲の迷惑など考えていない。
『まあまあ』と宥める第三者の声にも耳を傾けず、感情の赴くまま行動していた。
このままでは、周りにまで被害が及ぶかもしれないわね。
怨恨を残さないためにも、早期解決を図るべきでしょう。
となると────ダーズリー公爵家の人間である私が、仲裁役を買って出るしかない。
『貴族に逆らうほど馬鹿じゃないだろうから』と、彼らの元へ足を向ける。
人混みを掻き分けて前へ進む私は、騒ぎの中心に辿り着くと────フードを脱いだ。
「────エミリア・キャンディス・ダーズリーです。皆さん、静かにしてください」
拡声魔法を使用した上で、私は自分の正体を明かした。
途端に辺りは静まり返る────筈が、二名ほどまだ声を荒らげている。
当事者たる二人の男性は、周囲の状況も把握出来ないようで、自分達の過ちに気がついていなかった。
「いいから、早く謝れよ!」
「いいや、お前が謝れ!」
「いい加減にしろよ!本当にボコボコにするぞ!」
「やれるもんなら、やってみろよ!」
互いに一歩も譲らぬ争いに、痺れを切らしたのか……彼らは戦闘態勢に入った。
ボキボキと手を鳴らす彼らの前で、私は指先から魔力の糸を出す。
万が一に備えて拘束用の魔法陣を構築しながら、私は彼らの間に割って入った。
「お二人とも、一旦冷静に……」
「「部外者はすっこんでろ!!」」
これでもかというほど、目くじらを立てる二人の男性は苛立たしげに────私の肩を押した。
大人の男性……それも、二人から突き飛ばされた私は勢い余って尻もちをつく。
先に手をついたおかげか、幸い大きな怪我はないが……手のひらを擦りむいてしまった。
血の滲んだ手を前に、私は『はぁ……』と一つ息を吐く。
そして────完成した魔法陣を発動した。
「貴族に対する暴行……これは立派な犯罪です。それに私は何度も注意しましたよね?落ち着きなさい、と……なので、容赦はしません」
平坦な声で言葉を紡いだ私は、細長い紐に拘束された二人の男性を見つめる。
強硬手段を取られたことで、ようやく周りの様子が目に入ったのか、彼らはサァーッと青ざめた。
何か言いたげな目をしているが、口まで塞いでしまったため、弁明も謝罪も出来ない。
可哀想なほど震え上がる彼らを前に、私はゆっくりと立ち上がった。
「では、我が家の地下牢にご案内します。少々かび臭いですが、結構いいところですよ」
『さあ、行きましょう』と言って、私は風魔法を展開する。
下から掬い上げられるようにして、宙に浮く彼らは首を横に振りながら、声にならない声を上げた。




