デマ
入学式を終えた次の日────我々新一年生は事前に発表されたA〜Eまでのクラス割に従い、それぞれ教室で待機していた。
黒板に貼られた席順通りに席に着き、各々お喋りをしたり、本を読んだりしている。
騒がしい教室を一瞥した私は青々とした空を見上げ、昨日の出来事を振り返っていた。
『俺は────グレイソン・リー・ソレーユだ』
彼は確かにそう名乗った。私の聞き間違いではない。
そして、私の記憶が間違っていなければ……彼の名前はソレーユ王国の第三王子と合致する。
ソレーユ王国は武力に秀でた国で、富国強兵をスローガンに掲げている。
北大陸の約半分を手中に収めるドラコニア帝国とは同盟を結んでいるため、争うことはないが、あちこちの国に戦争を吹っ掛けているらしい。
そんな血の気の多い国だからか、ソレーユ王家の人間はみんな武術を身につけていた。
第一王子は賢者の称号を持つ大魔法使いで、第二王子は格闘術に優れた最強の武人。そして、第三王子は────僅か十二歳でソードマスターまで登り詰めた剣技の天才。
社交界になかなか顔を出さない私でも、彼の噂はしょっちゅう耳にしている。
まさか、最年少のソードマスターであるグレイソン王子殿下がフリューゲル学園に入学していたなんて……思いもしなかったわ。
他国の王族がフリューゲル学園に入学するのは珍しいことじゃないけど、これはちょっと想定外。
廊下側の前の席に座るグレイソン王子殿下を盗み見て、『はぁ……』と溜め息を零す。
『あんな凄い人に痴女だと思われるところだったのか……』と落ち込んでいれば、誰かの会話が耳に入った。
「ねぇ、あの子があの……?」
「そうそう。あの子がスカーレット様の妹君よ」
「スカーレット様に甘えてばかりで、全然勉強しないって言う……?」
「私は勉強しても身につかない残念な子って聞いたけど。それで、スカーレット様が根気強く教えてるって」
「確かあまりにも頭の出来が悪くて、講師達が揃って匙を投げたとか……フリューゲル学園に入学出来たのは奇跡だって、お兄様が言っていたわ」
教室の出入口付近でヒソヒソと会話するクラスメイト達に、私は『ん……?』と首を傾げた。
困惑を露わにする私を他所に、彼女達の会話はどんどんエスカレートしていき、ついに『あの子は裏口入学をした』という意味不明な結論に至る。
不名誉でしかない噂話に、私は焦りを覚えた。
え?私が裏口入学?講師も匙を投げるほどの出来損ない?一体何のこと……!?
『スカーレット様の妹君』と断言している以上、『実は全く関係の無い人でした』というオチは有り得ない……彼女達は確実に私のことを言っている。
だけど、その話には全く身に覚えがない。大体、何故そんな噂話が流れているのかすら分からない。
だって、私は昨日入学したばかりの新入生よ?生徒会副会長の妹だから、注目が集まるのは分かるけど、昨日の今日でこんな噂が流れるなんて……予想外もいいところだわ!
腹立たしい気持ちを必死に抑えながら、私はチラッと周囲を見回す。
クラスメイトのほとんどがあの噂を知っているのか、皆『あぁ、あの子が……』と納得していた。
噂の広がるスピードがあまりにも早すぎる……昨日は何ともなかったのに一体どうして?
誰かが昨日、私の噂を言いふらした……?いや、それにしたって噂の出回るスピードが早すぎる。
仮にそうだったとしても、それを信じる者はほとんど居ないだろう。
だとすると、考えられる可能性は一つ……上級生の間に例の噂が既に広まっており、上に兄弟のいる一年生から順番に噂が広まっていった。
そう考えれば、噂の出回るスピードにも納得が行くし、ほとんどの者がその噂を信じている状態にだって説明がついた。
でも、一体誰がそんな噂を……?何か意図でもあるのかしら?私を貶めたところで、大してメリットはないと思うけど……。
姉を失脚させたい人達の仕業とか?いや、それはあまりにも非効率的すぎる。その上、やり方が回りくどい。
そんな面倒なことをするくらいなら、姉に直接関わる噂を流すだろう。
じゃあ、一体誰が……?どんな目的でこんな噂を……?
「私を貶めて、得をする人物……」
小さな声でボソッとそう呟いた私は脳裏に思い浮かんだ人物に、眉を顰める。
『そんな筈はない』と思いたいが、噂の内容やメリットを考えると、その人しか考えられなかった。
その人物とは────私の実の姉である、スカーレット・ローザ・メイヤーズだ。
姉はよく私を笑い者にしていたし、私を下に見ることで優越感を感じていた。だから、実家の時と同じように学園で私を罵倒していてもおかしくはない……。
姉は生徒会副会長だし、生徒達はあまり疑うことなくその話を信じただろう。
もし、そうだとすれば、姉を恨まずにはいられない……。だって、彼女は────私の楽しい学園生活をぶち壊したのだから。
出来損ないの子爵令嬢に近づく人なんて、居ないだろう。関わっても何のメリットも無いのだから。人間関係は損得勘定だけで決められるものじゃないが、最初はみんなメリット・デメリットを考えて関わる人間を選ぶ筈……貴族となれば尚更。
別に小説の主人公のようにキラキラとした青春を送りたい訳じゃないが、寂しいボッチライフを送りたい訳でもない。
ただ普通に友達と遊んで、楽しい学園生活を送りたいだけ!たまにお婿さん候補を探しながら……!それ以上のことは何も望まない!
なのに、これは……あまりにも酷すぎる。
姉は軽い気持ちで私のことを話したんだろうが、その影響力は凄まじかった。
ギュッと手を握り締めた私は周囲を見回すが……皆、私と目が合うなりパッと視線を逸らす。
知らんふりを決め込む彼らと仲良くなれるとは、どうしても思えなかった。
この状況で『その噂はデマカセだ』と弁解しても信じてくれないだろう。副会長のスカーレットとただの新入生である私じゃ、発言力も影響力も全然違う……。
誰にも相手にされず終わる未来が安易に想像出来た。
とりあえず、昼休みになったら姉に会いに行こう。それで噂の真相を確かめるのよ。
もし、私の予想通りであれば、姉に『あの噂は嘘だった』と撤回してもらいましょう。
胸の奥に燻る怒りを必死に抑えながら、私はそう結論づけた。
キュッと口元に力を入れ、周囲の視線に耐える。
────早くも私の学園生活の平穏は崩れ去ろうとしていた。