マント問題
「報告ご苦労。詳しい事情についてはこちらで調査しよう。そっちの男は関係者か?」
遠回しに『共犯者か?』と問うディーナ様を前に、私は横に一歩移動した。
背に庇ったスタッフの男性を彼女に見せ、僅かに微笑む。
「被害者の方ですわ。事件の関係者ではありますが、共犯者ではありません」
「そうか。では、そこの君にも同行願おう。当時の状況を聞きたいんだ。構わないか?」
スタッフの仕事があるだろうからと選択を委ねるディーナ様に、スタッフの男性は快く頷いた。
『ありがとう』とお礼を言う彼女はこちらへ歩み寄ると、床に転がるダニエル様を肩に担ぐ。
未だに鼻血が止まらないダニエル様を他所に、銀髪の美女はチラリと部屋の中に視線を向けた。
そして、ビリビリに破かれた青いマントを見るなり、『あれは酷いな』と溜め息を零す。
「とりあえず、この件は私が預る。グレイソン殿下はシャーロット嬢の護衛をやってくれ。さすがにないと思うが、室内に罠でも仕掛けられていたら大変だ」
「分かりました」
「お気遣い、ありがとうございます」
ディーナ様は私達の言葉にそれぞれ頷くと、スタッフの男性を引き連れて踵を返した。
遠ざかっていく二人の足音を聞きながら、私はふと部屋の中に目を向ける。
ダニエル様の件は一先ず片付いたものの、まだ大きな問題が一つ残っていた。
「はぁ……あそこまでビリビリだと、着ていくのは無理ですね。もはや、あれは布切れですよ」
「素人の裁縫じゃ、どうにもならないレベルだな。俺のマントを借せれば良かったんだが……色がな」
自身の赤いマントを手で摘むグレイソン殿下は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
何も出来ない現実が歯痒いのだろう。
グレイソン殿下の気持ちは嬉しいけど、本当に困ったわね……このマントはトーナメント戦の参加資格を表すもの。事情を話せば、考慮してくれるかもしれないけど……フリューゲル学園の伝統に泥を塗るような真似はしたくない。
だからといって、今から他の人のマントを借りに行く時間はないし……。
遠くから僅かに聞こえる司会者の声に眉を顰め、私は俯いた。
どうやら、準決勝の試合は決着がついたみたいだ。そして、勝者は我が姉スカーレットだったらしい。
五分程度の休憩時間を挟んだら、直ぐに決勝戦が始まる筈……もう悩んでいる時間はないわ。
「……あれを使うしかないわね」
誰に言うでもなくそう呟くと、私は控え室の中へ足を踏み入れた。
委員長の懸念していたような罠は特になく、私はそのままテーブルに近づく。
無惨に引き裂かれたマントに触れ、私はただ静かに魔法陣を構築し始めた。
魔力消費が凄いから出来れば、使いたくなかったけど……そうも言っていられないわね。出し惜しみをしている場合じゃないわ。
「……シャーロット嬢、一体何をしているんだ?」
背後からひょこっと顔を出したグレイソン殿下は不思議そうに首を傾げ、私の手元をまじまじと見つめる。
だが、かなり複雑な魔法陣だからか、読み解くことは出来ないようだ。
「これは数百年前に失われた古代魔法の一つです。本来の術式は分かりませんが、私なりのアレンジを加えて復活させました。その魔法の名は────時間逆行魔法です」
「!?」
かつて滅亡したグリュプス王国が開発した上位魔法に、グレイソン殿下はこれでもかってくらい大きく目を見開いた。
数字の羅列を見直す私の後ろで、彼は呆然と立ち尽くす。
ほぼ伝説扱いの魔法が実在した上、それを使える人が身近に居て驚いているのだろう。
二年ほど前に姉の私物を壊しちゃって、再現した魔法だけど、役に立って良かったわ。
「う、嘘だろ……?時間逆行魔法は実現不可能なものなんじゃないのか……?」
「実現は可能です。ただ、魔力の消費量が半端ない上、非生物にしか効きませんが……死者を蘇らせたり、老人を若返らせたりするのは無理です」
何年か前に興味本位で擦り傷にも時間逆行魔法を使ってみたが、効果はなかった。
ただ魔法陣が煌めいて、消えるだけ……まあ、魔力はしっかり持って行かれたけど!
「無機物のみに有効だとしても、それは世紀の大発見だろ!シャーロット嬢は本当に……いや、何でもない。今はそんなことより、マントの修復が大事だな」
頭を振って気持ちを切り替えたグレイソン殿下は私の隣に移動した。
半信半疑といった様子で私の手元を眺める彼はまだ混乱しているようだ。
でも、私の邪魔をしないため静かにしてくれている。
「ここを古代文字にかえて、こっちを入れ替えたら……よし!出来た!」
魔法陣の最終調整を終えた私はマントの残骸の上にそれを乗せ、一つ息を吐く。
まだ安心は出来ないと理解しつつも、ちょっとだけ気が抜けてしまった。
「魔法陣を発動させます。暴発する恐れがあるので、気をつけてください」
過去に何度か暴発させた経験がある私はそう声を掛け、じわじわ魔力を高めた。
自身の髪色と同じ魔法陣にゆっくりと魔力を注ぎ込んでいく。
逸る気持ちを抑え、約半分の魔力を分け与えれば、紫色の魔法陣が煌めいた。
刹那────魔法陣が時計盤に姿を変え、ふわりと緩い風を巻き起こす。
発動には成功したみたいね。
「これが時間逆行魔法……なのか?」
魔法の詳細を理解していないグレイソン殿下は不思議そうに時計盤を見つめる。
いつもなら、ここであれこれ説明するところだが……今はそんな余裕はない。
時計盤の針へ手を伸ばした私はキュッと唇を引き結んだ。
十二時をさす二つの針のうち長い方に触れ、私はそれをグルッと一周させる。
これが逆行開始の合図であり、巻き戻す時間の設定方法だった。
長い針から手を離した瞬間────パァッと時計盤が強い光を放ち、時間を巻き戻す。
魔法の対象となった青いマントはふわりと宙に浮き上がり、まるでパズルのピースを当て嵌めるみたいに元の姿に戻って行った。
「ほ、本当に時間が巻き戻っている……信じ難い光景だな」
独り言のようにそう呟くグレイソン殿下は食い入るようにマントを見つめた。
そして、一分もしない内に修復は終わり────用済みとなった時計盤はパッと弾けるように消える。
それと同時に風が止み、宙に浮いた青いマントがふわりとテーブルの上に降り立った。
何とかギリギリ間に合ったようね……今回の件に関しては本当に肝を冷やしたわ。今度から貴重品は手元に置いておくようにしましょう。
綺麗に修復されたマントを手に取り、私はホッと胸を撫で下ろす。
────が、しかし……安堵出来たのはほんの一瞬で、直ぐに選手入場のアナウンスが流れた。
慌てて気を引き締めた私は手に持つ青いマントをバサッと広げ、肩に掛ける。
「グレイソン殿下、付き添いありがとうございました!そして、申し訳ありません……入場があるので、私はこの辺で!また後ほどお礼に伺います!」
挨拶もそこそこに急いで部屋を飛び出せば、後ろから『頑張ってこい』とエールが送られる。
短いながらも心の籠った言葉に頬を緩め、私は先を急ぐのだった。