逆上
「では、早速部屋の中を確認させてもらおう」
『本人の許可も得たことだしな』と付け加える黒髪の美青年はガチャッと部屋の扉を開けた。
テーブルと椅子しかない質素な室内は数時間前と特に変わらない。でも、一つだけ違うところがあった。それは────テーブルの上に置かれた青いマントがビリビリに破かれていること。
まあ、うん……大体予想通りの展開ね。ダニエル様が私の控え室から出てきたという時点で、ある程度予想はついていたわ。でも、まさか本当にやっていたとは……。
「状況から見て、お前がマントを台無しにした最有力容疑者になる訳だが……弁解はあるか?」
振り返り様にダニエル様を睨みつけるグレイソン殿下は怒っているようだった。
普段は喜怒哀楽全てが抜け落ちたように淡々としているのに……。
怒っているグレイソン殿下を見るのは初めてかもしれない……。
「もう一度、聞く。弁解はあるか?ダニエル・エヴァン・コリンズ」
言い訳があるなら聞いてやるとでも言うように彼はダニエル様に一歩近づいた。
ビクッと肩を震わせたコリンズ伯爵家の次男坊はギュッと拳を握り締める。
おどろおどろしいオーラを放つグレイソン殿下を前に、彼が取った行動は────。
「ぼ、僕は悪くない……!!」
────まさかの逆上だった。
敬語も忘れて叫びまくる彼は癇癪を起こした子供のようだ。
でも……実力がある分、普通の子供よりずっとタチが悪い。
「《ファイアランス》!」
ここに来てヤケを起こしたのか、ダニエル様は炎の槍をこちらへ投げつけて来た。
三方向に分かれる炎の槍は私、グレイソン殿下、運営スタッフの元へ飛んでいく。
少し迷った末、私は運営スタッフの傍まで駆け寄った。
「《ウォーターバリア》」
腰を抜かす運営スタッフを背に庇い、私は急いで水魔法を展開させる。
透明度の高い水が顕現し、我々を守るように分厚い壁を作り出した。
そこへ炎の槍が直撃し、ジュワッと白い煙を立てて消える。水蒸気爆発の危険があるため、気は抜けないが、何とか攻撃を防げた。
「ご無事ですか?」
「は、はい……ありがとうございます」
床に尻もちをつく運営スタッフを助け起こし、周囲の被害状況を確認する。
私の元居た場所は床が焦げているものの、火災の心配はない。また、グレイソン殿下は……剣でバッチリ弾いたのか無傷だった。
やっぱり、グレイソン殿下の心配はいらなかったみたいね。スタッフの保護に動いて、良かったわ。
「っ……!!またインチキか!!」
悔しそうな表情を浮かべるダニエル様は未だに私の力がインチキだと信じているようだ。
最近停学が解けたばかりなので、あのことを知らないのだろう。
まあ、知っていても不正を疑う生徒はまだたくさん居るので、彼の認識が変わるとは限らないが……。
「インチキかどうかはさておき、ダニエル様には事情聴取を受けて頂きます。状況が状況なだけに見逃す訳にはいきませんから。今、投降すれば手荒な真似はしませんが……どうしますか?」
いつでも応戦出来るよう体勢を整えつつ、ダニエル様の出方を窺う。
本音を言えば今すぐ投降してほしいが────彼はそれほど聞き分けのいい人間じゃなかった。
「ここまで来て、投降なんてする訳ないだろ!こうなったら、お前もズタズタに引き裂いて人前に出られないようにしてやる!」
『騎士道をどこに捨てて来たんだ?』ってくらい、最低な発言をするダニエル様は私に手のひらを翳した。
すっかり落ちぶれてしまったコリンズ伯爵家の次男坊を見据え、私はスッと目を細める。
私の出る幕はなさそうね。
「あのマントみたいに無惨に引き裂かれて、死ね!!ウインドカッ……うぇっ!?」
詠唱を中断させ、奇妙な声を上げたダニエル様はバタンッと派手に転んだ。
その拍子に顔面を強打したのか、彼の鼻からドバドバと真っ赤な血が流れ出る。
驚いて後ろを振り返るダニエル様だったが、化け物でも見たかのように慌てて顔を背けた。
「────騎士道の欠片もない奴だな」
そう吐き捨てるグレイソン殿下は恐ろしく整った顔に怒りを滲ませる。
そして、彼の左足はダニエル様の背中を強く踏みつけていた。
ちなみにダニエル様を転ばせた……いや、蹴飛ばしたのもグレイソン殿下である。
「ひっ……!た、たすけ……」
「殺しはしないから、安心しろ。俺だって、そのくらいの理性はある。それより────」
そこで言葉を切ると、グレイソン殿下はダニエル様の顔を覗き込むように少し身を屈めた。
そのせいでダニエル様の背中に更なる負担が掛かる。でも、自業自得なので止める気は一切なかった。
「────どうやって、ここまで来た?お前一人で来た訳じゃないだろ」
確信を滲ませた声色でそう尋ねるグレイソン殿下の目は厳しかった。
これは私も疑問に思っていたところだ。
エトワールドームの一階は正面入口を除いて、ほぼ全てが関係者以外立ち入り禁止。しかも、選手の控え室は建物の奥の方にある。
そこまで辿り着くのに誰にも会わなかったなんて……考えられない。必ず誰かに呼び止められている筈よ────本来ならば。
「選手でも風紀委員でもないお前が誰の手も借りずにここまで辿り着ける訳が無い。共犯者の名前を吐け」
関係者の中に協力者が居るのか?と尋ねるグレイソン殿下に、ダニエル様は一瞬キョトンとした表情を浮かべる。
『共犯』という言葉に違和感があるのか、鼻を押さえながら首を傾げた。
「共犯は居ない……です。控え室までは副会長と一緒に来ました。『シャーロット嬢に用があるけど、中に入れない』って言ったら、『じゃあ、一緒に行きましょう。私と居れば大丈夫』って誘ってくれて……まあ、準決勝の準備があるからって直ぐに帰っちゃいましたが……」
徐々に冷静さを取り戻し始めたのか、ダニエル様の体から力が抜ける。
もう反抗する気力はなさそうだ。
ここで姉が絡んでくるか……。ダニエル様の証言が正しければ、姉は良かれと思って犯行に加担した被害者になるけど……どうも腑に落ちない。
ただ、マントの件に関してはダニエル様の単独犯で間違いないだろう。姉も彼が何をするのかは知らなかった筈だ。
でも────ダニエル様が私に何か危害を加えると分かっていて、中へ入れた可能性はあるわ。
コリンズ伯爵家の次男坊が私とのトラブルで停学処分になったのはかなり有名な話だ。恐らく、その話は姉の耳にも入っていただろう。
だとすれば、ダニエル様が私に仕返しをする可能性も直ぐに思い浮かんだ筈だ。なのに姉は彼に協力した……これが全ての答えである。
「……まあ、不戦勝に出来るならそうしたいわよね」
姉の思惑が透けて見えた私は『はぁ……』と深い溜め息を零し、まんまと利用されたダニエル様を見下ろす。
『愚かね』という言葉を必死に呑み込み、頭を抱えていれば────廊下の曲がり角から、見知った人物がひょっこり顔を出した。
「────焦げた匂いがすると通報を受けて、やって来たが……これはまた凄いことになっているな」
感心半分呆れ半分といった様子でそう呟くのは────風紀委員長であるディーナ様だった。
急いで駆け付けてくれたのか、サラサラの銀髪は少し乱れている。
「とりあえず、報告を聞こうか」
「はい。不法侵入したダニエル・エヴァン・コリンズがシャーロット嬢のマントをビリビリに破きました。マントの件についてはまだ容疑の段階ですが、彼の犯行と見て間違いないと思います」
端的な説明を終えたグレイソン殿下はダニエル様の背中から足を避け、剣の柄に手を掛ける。
いつでも切り殺せるぞと無言で威圧する殿下に、ディーナ様は苦笑を浮かべた。
「報告ご苦労。詳しい事情についてはこちらで調査しよう。そっちの男は関係者か?」