異変
その後、他クラスの一年生が先輩方にどんどんねじ伏せられていく中、私は準々決勝・準決勝と勝ち進み────ついに決勝戦への切符を掴み取った。
噂の証明をするかのように出来るだけ派手な立ち回りをしているせいか、生徒からの注目度は高い。私の順位を予想して、賭けをする輩まで居た。
現在エトワールドームで行われている準決勝の試合に姉が勝てば、『決勝戦は姉妹対決だ!』と更に盛り上がることだろう。
まあ、私もそれを望んでいる訳だが……。
「────それにしてもエミリア様、惜しかったですね。もう少しで決勝戦進出でしたのに」
そう言って、隣に立つ御仁を見上げれば、ラピスラズリの瞳と視線を交わった。
エミリア様の準決勝試合を一緒に応援しに行ったグレイソン殿下は『そうだな』と頷く。
ゆったりとした足取りでエトワールドームに向かう彼は私の案内役みたいなものだった。
どうやら、グレイソン殿下はまだ私のことを方向音痴だと思っているらしい。
実に不名誉な認識だが、前科があるので何も言えなかった。
「何はともあれ、C組の生き残り……じゃなくて、選手はお前だけになったな。俺は準々決勝の試合で敗れたし、エミリア嬢も決勝戦まで進めなかった」
わざとなのか、無意識なのか地味にプレッシャーを掛けてくるグレイソン殿下に、私は苦笑を浮かべた。
「そうですね。でも、お二人の敗北は仕方のないことだと思います。お相手が去年優勝したアイザック様とレオナルド皇太子殿下でしたから……って、勝ち進んだ私が言っても嫌味にしか聞こえないかもしれませんが」
ポリポリと頬を掻き、グレイソン殿下の顔色を窺うものの……無表情なので何を考えているのか分からない。
怒っているのかすら分からず、オロオロしていれば、彼は僅かに目を細めた。
「そうだな。確かに相手が悪かった。でも、レオナルド皇太子殿下に剣技で負けたのは事実だ。そこに学年や歳は関係ない────正直、こんなに悔しいと思ったのは久しぶりだ」
悔しいと言う割に表情は晴れやかで、淀みがない。
『まだまだ鍛錬が足りないな』とボヤくグレイソン殿下に、妬み嫉みといった感情は一切なかった。
敗北を恥じる様子もなく、ただ真っ直ぐに前を見据える。その横顔は夜空のように静かで、美しかった。
「それより、ずっと気になっていたんだが……マントはどうしたんだ?」
少し歩調を緩めて、私の背後を覗き込んだグレイソン殿下は青いマントがないことに困惑を示した。
『まさか、なくしたのか?』と問い掛けてくる視線に、私はクスリと笑みを漏らす。
「マントは控え室に置いて来ただけです。汚すと大変ですから」
「なるほど。確かに汚れたマントで決勝戦に出場する訳にはいかないな。格好がつかない」
納得したように頷くグレイソン殿下は何も無い背中を一瞥し、歩調を元に戻す。
私の斜め前を歩く彼はエトワールドームの裏口へと足を踏み入れた。
一応、風紀委員会の一員である彼は運営スタッフに止められることなく、歩みを進める。
その後ろに続く私は控え室に近づくほど大きくなっていく人の話し声に首を傾げた。
会話の内容は聞き取れないけど、声色からして言い合いをしているのは間違いない。でも、何で選手の控え室で言い合いなんか……準決勝の試合まで進んだ今、控え室を使える人は限られているのに。
腑に落ちない点を並べながら、控え室へ続く廊下の曲がり角を曲がれば────見覚えのある人物が目に入った。
運営スタッフと思しき男性と対峙しているその人物はひたすら怒鳴り散らす。
「だから、迷っただけだって言っているだろ!何度言えば、気が済むんだ!」
「たとえ、迷っただけであっても事情聴取は受けて頂きます。事実をきちんと確認する必要がありますので」
「僕は急いでるんだ!そんなの後にしてくれ!」
「それは出来ません。何度も言うようにこれは規則なんです。大体、裏口と正面入口をどうやったら間違えるんですか!」
押し問答とも言える口論が繰り広げられ、彼らは私の控え室の前で言い争う。
たまたまだと思いたいが、相手が────ダニエル・エヴァン・コリンズである限り、それはないだろう。
これは控え室の使用者として……そして、風紀委員会の一員として事情を聞かねばなるまい。
はぁ……決勝戦前にトラブルなんて、本当についてないわね。
まさかの急展開に額を押さえながら、私はグレイソン殿下と密かにアイコンタクトを交わす。
『行きましょう』と促す私に、彼はコクリと頷き、ダニエル様に歩み寄った。
「何の騒ぎだ?」
怒号で満たされる廊下に、どこまでも平坦な声が響く。
声量はそこまで大きくないが、不思議と彼の声は通った。
一秒と待たずにこの場は静かになり、二人は恐る恐るこちらへ視線を向ける。
そして、風紀委員であるグレイソン殿下と私を見るなり、目を剥いた。
「ぐ、グレイソン殿下が何でここに……」
「見回りついでにシャーロット嬢の送迎に来ただけだ。そういうお前は何故ここに居る?」
訝しむような視線を送る殿下に対し、ダニエル様は『そ、それは……』と言い淀んだ。
ここで下手に嘘でもつけば、後に響くと分かっているのだろう。
他国とはいえ、グレイソン殿下は一国の王子だから。
自分より目上の人には強く出られないって訳か。もしも、ここに居合わせたのが私だけだったら適当にはぐらかされていたかもしれないわね。殿下について来てもらって、正解だったわ。
方向音痴という不名誉な認識もたまには役に立つものだと感心していれば、スタッフが一歩前へ出た。
「横から失礼します。魔法部門の運営スタッフを務めている者です。私はこの者がシャーロット嬢の控え室から出るところを目撃し、問い詰めた次第です。選手リストにはない顔でしたし、挙動不審に見えたので」
「報告、感謝する」
「いえ、滅相も御座いません」
ペコリと頭を下げて後ろに下がるスタッフに、グレイソン殿下は一つ頷く。
嫌な予感を覚える私は、妙に落ち着きのないダニエル様に不審感を抱いた。
悪戯がバレた子供のようにオロオロする彼を尻目に、グレイソン殿下は私の控え室へと歩み寄る。
「ま、待ってください……!グレイソン殿下と言えど、女性の控え室に無断で入るのは……!」
「既に無断で入った奴が何を言っている」
焦ったように止めに入るダニエル様はグレイソン殿下に正論を叩きつけられ、『うっ……!』と言葉を詰まらせる。
さすがに『自分は良くて、殿下はダメ』とは言えないのか、縋るような目をこちらに向けてきた。
────まあ、当然ながら彼のSOSに応える気はないが……。
「グレイソン殿下なら、別に構いませんわ。どうぞ、中を確認なさってください」
見られたら不味いものなんて何もないので、どうぞどうぞと入室を勧める。
あからさまに殿下の味方をすれば、ダニエル様はサァーッと青ざめた。
視線を右往左往させる彼を置いて、グレイソン殿下はドアノブに手を掛ける。
「では、早速部屋の中を確認させてもらおう」