開会式
────それから、あっという間に月日は流れ……気づけば、体育祭当日を迎えていた。
体育祭の会場の一つであるモイラドームは既に多くの観客で賑わっており、あちこちから笑い声や話し声が聞こえる。
コロシアムのような造りをしているモイラドームには、観客席の下に幾つも通路があった。
その内の一つに我々代表者が列をなして、待機している。
ふぅ……何事もなく、当日を迎えられて良かったわ。私の出場を知った姉が突撃して来るかもしれないと思ったけど、接触してくることは特になかったし。姉もそんなに暇じゃなかったってことかしら?
列の最後尾に並ぶ私はひょこっと後ろから顔を出して、先頭に立つ青髪の美少女に視線を送る。
具合でも悪いのか、それとも私の報復を恐れているのか……姉はどこか暗い表情を浮かべていた。
ギュッと握り締めた小さな拳がフルフルと僅かに震えている。
思い詰めたように俯く姉の姿を見て、少しだけ……本当に少しだけ、胸がスッとした。
私って、少し……いや、かなり嫌な女かもしれないわね。まあ、報復を企てる時点でいい女とは言い切れないか……でも、この決断に後悔はないわ。この報復は今までの鬱憤を晴らすという意味合いが強いけど、姉を矯正するためでもある。
あの人は多分、一度痛い目に遭わないと分からないだろうから……。
密かに溜め息を零し、パッと青髪の美少女から視線を逸らすと────不意に黒髪の美青年と目が合った。
私の隣に立つ彼は制服の上に赤いマントを羽織っており、腰には愛用の剣をぶら下げている。
表情は相変わらず無表情だが、グレイソン殿下は今日も美しかった。
「そのマント、よく似合っているな。その髪によく映える」
そう言って、グレイソン殿下は膝裏まである長いマントに触れる。
私の羽織るマントは殿下のものと違い、澄んだ青空を思わせる青色だった。
私達が制服の上から羽織っているこのマントは各クラスの代表者のみに支給されるもので、トーナメント参加者の証みたいなものだ。
一目で見分けがつくよう、剣術部門は赤のマントを、魔法部門は青のマントを、乗馬部門は緑のマントを身につけている。
正直ちょっと邪魔臭いのだが、殿下に『似合っている』と言って貰えるなら悪い気はしなかった。
「ありがとうございます。グレイソン殿下もよくお似合いですわ」
ふわりと柔らかい笑みを浮かべ、率直な感想を述べれば、黒髪の美青年は僅かに目を見開く。
ラピスラズリの瞳に珍しく感情を滲ませる彼はフッと笑みを漏らした。
「そうか」
新入生歓迎パーティー以降なかなか見られなかった殿下の笑顔に、私は大きく目を見開く。
フェロモン駄々漏れのグレイソン殿下を前に、思わず卒倒し掛けた。
ふ、不意打ちは狡過ぎる……!!破壊力が半端ないわ……!!グレイソン殿下はご自分の顔の良さを自覚するべきよ……!!
両頬に手を当て顔を真っ赤にさせていると、誰かがコホンッと咳払いする。
その音を辿るように視線をさまよわせれば、グレイソン殿下の左隣に佇むエミリア様と目が合った。
緑のマントを羽織る彼女は『しーっ!』と唇に人差し指を当てる。
「もうすぐ入場の時間ですから、お二人ともお静かに」
と小声で注意され、私とグレイソン殿下は慌てて口を閉ざした。
急いで姿勢を正し、緩みそうになる頬を何とか引き締める。
赤く染まった頬を冷ますように、手を扇代わりにパタパタ動かしていると────体育祭の始まりを告げる鐘が鳴った。
「────会場にご来訪の皆様、静粛に願います」
拡声魔法を使った大きな声が会場内に響き、人々のざわめきが一瞬にして静まる。
耳鳴りすらする静寂の中、観客達はもうすぐ始まるフリューゲル学園の体育祭に胸躍らせた。
対する我々代表者は不安と緊張で押し潰されそうになりながら、胸を張る。
「これより、第四百二十六回フリューゲル学園体育祭の開会式を始めます────選手入場。温かい拍手でお迎えください」
その言葉を合図に、観客席の一部を貸し切っていたオーケストラが演奏を始めた。
会場を盛り上げるように軽快な音楽を奏で、観客達は大きな拍手を巻き起こす。
モイラドームに様々な音が溢れる中、先頭に立つ代表者たちはゆっくりと歩き出した。
部門ごとに分けて並ぶ我々の先頭にはアイザック様、レオナルド皇太子殿下、スカーレットお姉様の三人が居らっしゃる。
生徒会役員の登場に沸き立つ観客達は『頑張って下さい!』『応援してます!』とエールを送った。
分かってはいたけど、生徒会の人気は凄まじいわね。特に女性の歓声が凄いわ。まあ、それはきっとレオナルド皇太子殿下が居らっしゃるからでしょうけど。
女性陣のエールに笑顔で応える金髪の美青年は相変わらずの人たらしで……『これはモテない方がおかしいな』と妙に納得してしまう。
キャー!とあちこちから黄色い悲鳴が上がる中、最後尾を担う我々C組の代表者も会場内へ足を踏み入れた。
観客席の中から何人か知り合いを見つけ、小さく手を振っていると、会場の中央で行進が止まる。
それを合図に、オーケストラの演奏も区切りのいいところでフィナーレを迎えた。
観客達の声援や拍手もピタリと止む中、再び司会者が口を開く。
「盛大な拍手、ありがとうございました。それでは、次に皇帝陛下からお言葉を頂きます。陛下、よろしくお願い致します」
そう言うが早いか、他国の王族を除く全ての人々がその場に跪いた。
無論、私達代表者も床に膝を突き、頭を垂れている。
この場に居る誰もがドラコニア帝国の主である皇帝陛下に敬意を表する中、貴賓席に腰掛ける一人の男性が立ち上がった。
片手でスルスルと拡声用の魔法陣を描き上げた彼は艶やかな金髪をサラリと揺らし、それを発動する。
「面を上げよ。楽にしてくれて構わない」
会場全体に響き渡る声は威厳に満ち溢れているのに、どこか柔らかかった。
レオナルド皇太子殿下とよく似た声にスッと目を細め、顔を上げる。
タンザナイトの瞳に映るのは────ドラコニア帝国現皇帝陛下であらせられる、オズワルド・ローレンツ・ドラコニアだった。
月明かりのように綺麗な金髪に、緑の大地を連想させるエメラルドの瞳。顔立ちはレオナルド皇太子殿下によく似ていて、三十代後半とは思えないほど若々しかった。
サファイアやダイヤモンドがあしらわれた王冠を被り、オズワルド皇帝陛下は穏やかに微笑む。
「皇帝オズワルド・ローレンツ・ドラコニアだ。長話をしても詰まらぬと思う故、手短に済ませる────まずは選手諸君、そなた達の活躍を期待しておる。それから、体育祭を存分に楽しんでくれたまえ。余からは以上だ」
本当に手短に……というか、一瞬で挨拶を終わらせてしまったオズワルド皇帝陛下は魔法陣を打ち消し、さっさと椅子に座ってしまった。
一分にも満たない皇帝の挨拶に、貴族の大半が苦笑を浮かべ、肩を竦める。
陛下がこういう堅苦しい挨拶を嫌っているのは有名な話なので、皆『またか』程度の認識だった。
確か皇室主催のパーティーでも、こんな感じだったわね。まあ、さすがに他国のパーティーや会合ではしっかりやっているみたいだけど。
今回はあくまで国内……それも学生の催しのため、短くてもいいと判断したのだろう。
正直、中身のない話を長々と話されても詰まらないから、丁度良かったわ。
皇帝の挨拶だろうと眠る自信がある私はホッと息を吐き出し、ゆっくりと立ち上がる。
おずおずと会場の観客達が元の位置に戻る中、司会者はそのまま式を続行した。
粛々と進められていく開会式は学園長や生徒会長の挨拶を挟み、あっという間に終盤を迎える。
そして────選手退場を合図に、開会式は無事終了した。