決着
「先生にとって、私は顧みる価値もない存在かもしれません。ですが────上ばかり向いていると、そのうち足を掬われますよ」
不敵な笑みを浮かべる私は────ナイジェル先生の足元に展開した魔法陣を発動させる。
彼と戦いながら、少しずつバレないように構築したあの魔法陣こそ、“勝利への切り札”だった。
髪の毛のように細い線で描かれた魔法陣は大量の魔力を帯びて、くっきりと姿を現す。
氷結魔法と時間魔法を掛け合わせた時間凍結魔法が発動されるまで、あと二秒もなかった。
「っ……!!」
バッと足元に視線を落とした金髪の美男子は初めて焦ったような表情を見せる。
『チッ!』と小さな舌打ちを零したかと思うと────彼は両手で木剣を構えた。
棒切れ一つで何をするつもりなのかと目を見開けば、剣先を真下に向け、そのまま勢いよく振り落とす。
そして────発動直前の魔法陣を床ごと切り刻んだ。
「嘘っ……!?木剣なのにどうして……!?」
思わず声を上げる私の目の前には切り刻まれた床と発動直前にして破壊された魔法陣がある。
発動術式を切り込まれた魔法陣は徐々に線が細くなり、シュルシュルと煙のように消えてしまった。
せっかく苦労して作り上げた魔法陣が志半ばで潰えたことに、ガクリと項垂れる。
木剣で魔法陣を切り刻むとか、反則でしょう……というか、魔法も使わずにどうやって切り刻んだのよ。木剣に包丁のような切れ味はないと思うけど……。
不満げに口先を尖らせ、ナイジェル先生にジト目をお見舞いすれば、彼は苦笑を浮かべる。
床に差し込んだ木剣を引き抜き、気まずそうに肩を竦めた。
「────剣気だよ」
その一言だけで何故木剣が床や魔法陣を切り刻めたのか、理解出来た。
と同時にナイジェル先生の実力にある程度察しがつき、『勝てる訳ないじゃない』と愚痴を零す。
────剣気とは、魔力と使用者の血液を混ぜたエネルギーで主に身体や武器の強化に使われる。
剣気で強化された武器は圧倒的破壊力と硬度を持ち、ダイヤモンドやミスリルよりも硬いと言われていた。もちろん、それは使用者の力量によるが……。
でも、木剣を真剣に変えるだけの力は確実にあった。
剣気は生まれ持った才能に左右され、使える者は極端に少ない。
能力自体は比較的シンプルだが、その圧倒的力と完全無詠唱で発動出来る利便性はまさに脅威だった。
まさか、こんな身近に剣気を使える人がグレイソン殿下の他にもう一人居たとはね……。
ソレーユ王国で定められたソードマスターになるための条件が『剣気を完璧に使いこなすこと』だったから、グレイソン殿下が剣気持ちなのは知っていたけど、ナイジェル先生もなんて聞いてないわ。完全に想定外よ。
「はぁ……先生にバレないよう、毛先から魔力の糸を出して魔法陣を構築したのに完全にパァです。絶対に上手く行くと思ったのですが……仕方ありません。今回は私の負けでいいです」
ムッとした表情を浮かべながらも、私は素直に負けを認める。
非常に情けない話だが、勝利への切り札が破られた以上、私に勝てる見込みはもうなかった。
せっかく、逃げずに戦ったのに結局負けてしまうのね。まあ、いい経験になったからいいけど……いや、それでもやっぱり悔しい!次は剣気対策の魔法陣を作って、勝負に挑んでやるわ!それで絶対に勝つんだから!
本気で戦って、初めて負けた私は『悔しい』という感情を必死に噛み締める。
屋内の戦闘だった上、周りに人も居たため、全力で戦うことは出来なかったが、私は本気だった。本気でナイジェル先生を倒そうとして、負けたのだ。
『上級魔法が使える状況じゃなかった』とか『剣気なんて知らなかった』とか色々言い訳は出来るが、そんなことはしたくない。
上には上が居るのだと、敗北を通して学んだ私は悔し涙を堪えるように俯いた。
「いや────剣気を使わされた時点で私の負けだ。学生相手に奥の手を使わざるを得ない状況に追い込まれるなんて……私もまだまだだね」
芯の通ったテノールボイスに釣られるように顔を上げれば、金髪の美男子と目が合う。
ガーネットの瞳は至って真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。
己の未熟さを恥じるように少し視線を落としたナイジェル先生は一つ息を吐き、私の方へ歩み寄る。
形のいい唇に緩やかな弧を描く彼はサッとこちらに手を差し出した。
「改めて、名を聞こうか。私はナイジェル・ルメール・カーター。強さと美を追い求める者だよ」
『今度は君の番だ』とでも言うようにじっとこちらを見つめるナイジェル先生に、私はゆっくりと口を開く。
「一年C組シャーロット・ルーナ・メイヤーズですわ。風紀委員をやっています」
「シャーロット嬢か。覚えておくよ」
ただの有象無象に過ぎなかった私を個体識別し、『覚える』と言ってくれたナイジェル先生はニッコリ微笑む。
サイラス先生とよく似た笑みに既視感を感じつつ、私は彼と握手を交わした。
友情とは少し違う感情が芽生え、お互いをライバルのように認識する。
ただ単純にもっと強くなりたいと思った。
「────さて、武術のテストも終わったところでシャーロット嬢の不正疑惑について決議を取ろうか」
完全に透明人間と化していた教師陣をグルッと見回し、ナイジェル先生はそう言い放つ。
多少のトラブルはありつつも、圧倒的実力を披露した私に視線が集まった。
「それでは、シャーロット嬢の実力をまだ疑う者は挙手を」
そう言って、金髪の美男子がコンッと木剣の先端を床にぶつければ、一部の教師はたじろぐ。
迷うように視線を右往左往させ、互いにアイコンタクトを送り合っていた。
まだ疑いは晴れていないようね。正直ここまでやってもダメなら、不正行為の確固たる証拠を持って来て欲しいわ。潔白を証明するのは色々と限界があるもの。まあ、そもそも不正なんてしていないから、証拠なんて見つからないでしょうけど。
「先に言っておくけど、不正を疑う場合は明確な根拠と証拠を提示してもらうよ。一方的な思い込みやイメージだけで疑うのは私が許さない。私に剣気まで使わせた強者をそんな理由で腐らせたくはないからね。君達のエゴで稀代の天才が失われれば……私も黙っていないよ」
ガーネットの瞳をスッと細めるナイジェル先生はただ優雅に微笑んだ。
剣気持ちの彼の脅しに、先生方はビクッと肩を揺らし、コクコクと頷く。
そして、口々に『不正は疑っていません』と断言した。
「ふふふっ。私の気持ちが伝わったようで、とても嬉しいよ。人間話せば、分かり合えるものだね」
話し合いより脅迫に近いやり取りだったが、それを指摘する勇者は居ない。
『ナイジェル先生って、周りから恐れられているんだなぁ』とぼんやり考えていれば、金髪の美男子と不意に目が合った。
「シャーロット嬢、君の潔白は証明された。面倒なテストに付き合わせて、悪かったね。この場を代表して、謝罪しよう。もし、君の不正について疑う生徒が居れば、今日のことを話してくれて構わない。必要であれば、我々教師も証言しよう」
「は、はい!ありがとうございます……!」
ガバッと勢いよく頭を下げれば、ナイジェル先生は『いやいや、これくらい当然のことだよ』と笑った。
他の教師陣も不正を疑ってしまった負い目があるのか、彼の言葉に賛同している。
まあ、未だに私の不正を疑っている一部の教師は少々不服そうだが……。
何はともあれ、不正の疑いは晴れたのだ。たとえ、それが表面上のことであったとしても。
でも、今回のように大っぴらに調査されることはもうないだろう。今はそれだけで十分だった。
「それでは、今このときを以てシャーロット嬢の実力テスト及び不正調査は終了とする────解散!」
────こうして、色んな意味で騒がしかった実力テストは幕を閉じ、私は教師陣の信頼を勝ち取ったのだった。