薬草学のテスト
「それでは、始めます」
念のため開始宣言をしてから、炎霊草の茎に手袋越しに触れた。
いまいち感触などは分からないが、万が一にも茎を折らないよう優しく掴む。
正面に佇むサイラス先生から期待の籠った眼差しを向けられる中────私は自身の魔力を炎霊草に流し込んだ。
指先に集めた魔力を茎に注ぎ、維管束を通して炎霊草全体に行き渡らせる。
いきなり大量の魔力を送ると、細胞を傷つける可能性があるため、少しずつ慎重に注入した。
なんだか、赤ちゃんにミルクをあげている気分だわ。ちょっと愛着が湧きそうで怖いわね……相手は一応毒草なのに。
母性が芽生える前に切り上げたいわね。
「先生、つかぬ事をお伺いしますが……これは一体いつまで続ければいいのでしょうか?注入する魔力の量を指定して頂けると助かるのですが……」
「そこら辺は君の采配に任せるよ」
「え゛っ……」
まさかの丸投げ宣言に、私は思わず野太い声を上げてしまう。
淑女としてあるまじき行いだが、今回はどうか見逃して欲しい……ボーダーラインのないテストに基準もクソもないのだから。
恐らく、私の魔力についてよく知らないから『任せる』って言ったんだろうけど……この丸投げは酷すぎる。せめて、基準を教えてほしいわ。
「そ、それじゃあ!せめて、サイラス先生が普段どのくらい魔力を注入しているかだけでも教え……っ!?」
『教えてください』と続ける筈だった言葉は途切れ、目の前に広がる光景に息を呑む。
なんと、今の今まで魔力注入を行っていた炎霊草が────突然白い光に包まれたのだ。いや、自ら光を放っていると言った方が正しいだろうか……?
とにかく異様な光景であるのは間違いなかった。
反射的に炎霊草の茎から手を離した私は数歩後退り、眩い光に目を細める。
全く予想だにしなかった事態に誰もが困惑する中、ただ一人だけ……サイラス先生だけが破顔せんばかりの笑みを振り撒いた。
研究者の性と言うべきか、未知のことに遭遇すると恐怖より好奇心が先に立つらしい。
とりあえず、サイラス先生のことは放っておくとして……この光は一体何なの!?
炎霊草に光る特性なんて一切なかった筈だけど……少なくとも私が読んだ資料の中にはそんなこと一言も書かれていなかったわ!
私の魔力注入に何か問題があって、こうなったのかしら……!?だとしたら、後が怖いわね……主に責任問題とか!貴重な植物を駄目にした罪人として、捕えられたらどうしよう……!?
一人サァーッと青ざめる私は『復元魔法って、植物にも有効だっけ!?』と必死に考える。
不安と焦りで、ダラダラと冷や汗を垂れ流す中────ふと白い光が収まった。
半開きだった目を開け、恐る恐る……本当に恐る恐る炎霊草の鉢植えに目を向ける。
結論から言うと……炎霊草は枯れていなかった。むしろ、成長していた。
だが、しかし────図鑑に載っていた絵と全く違う姿をしていた。
図鑑に載っていた炎霊草の成形はアマリリスのような赤い花をつけ、緑の茎をしている。また、茎全体に例の模様がハッキリ表れており、葉っぱは丸みを帯びていた。
それなのに────サイラス先生の手に持つ炎霊草は虹色がかった花に、白の茎と葉っぱを持っている。
鈴蘭のように丸い花は中に光る球体が入っており、その光が白い花弁に透けて虹色に見える。また、茎は1メートルほど伸びており、葉っぱは細長かった。
葉っぱの色一つ取っても、図鑑に載っていた炎霊草の特徴とは全く一致しない。むしろ、一致する点の方が少ない気がする。
これは一体どういうことなの?私の魔力の影響を受けて、細胞変異したってこと……?だとしたら、やっぱり責任問題に問われるんじゃ……?結果的に炎霊草は枯れなかったけど、貴重な実験体を謎の植物に変えてしまったのは事実だし……。
どうしよう……!?死刑とかになったら……!
「修復魔法って有効かしら……!?それとも、時間逆行魔法を使うべき……!?変異種になってしまった以上、復元魔法は使えないし……」
独り言と言うには大きい声でそう呟く私は涙目になりながら、必死に解決策を探す。
さすがにこの歳で死刑囚になるのは避けたかった。
知恵熱でも出しそうなほど思い悩む私に対して、緑髪の美男子はエメラルドの瞳をキラキラ輝かせている。未知との遭遇に心躍らせる彼は堪らずといった様子で口を開いた。
「素晴らしい!!まさか、炎霊草が変異するだなんて思わなかったよ!これは世紀の大発見だね!実に好奇心を擽られるよ!嗚呼、本当に素晴らしい!今すぐ研究しなくては!」
半ば捲し立てるようにそう言ったかと思えば、サイラス先生はホクホク顔で歩き出した。
興奮気味に頬を紅潮させる彼はテストを放り出して、そのまま部屋を出ていく。
呆気に取られていた私達は止めることも出来ず……ハッと正気を取り戻したときにはもう出て行った後だった。
えっ……?本当に行っちゃったの……?一応まだテストの途中なのに……?進行役のサイラス先生が居なくなったら、困るんだけど……!?マイペースなのは知っていたけど、さすがに勝手すぎない!?
「あの、サイラス先生のこと呼び戻しに行った方がいいんじゃないで……」
「────いや、その必要はないよ」
私の言葉を遮ってそう言って退けたのは武術の担当教師であり、サイラス先生の従兄弟でもあるナイジェル先生だった。
優雅な所作で一歩踏み出した彼は取り乱す様子もなく、ゆるりと口角を上げる。
女性顔負けの美貌を持つ美男子は両脇にぶら下げた二本の木剣を手に取った。
「確かに実力テストの途中ではあるけど、薬草学のテストはもう終わったからね。サイラスがここに居なきゃいけない理由はないさ」
「でも、そうなると進行役の人が……」
「進行役は私が引き受けよう。それなら、問題ないだろう?それとも、この私がサイラスの代理では不満かい?」
「い、いえ!そういう訳では……!」
コテリと可愛らしく首を傾げるナイジェル先生に、ブンブンと勢いよく首を振る。
すると、見目麗しい金髪の美男子はガーネットの瞳をスッと細めた。
「ふふふっ。そうだよね。この美しい私に不満なんてある訳ないよね。そんなの最初から分かっていたさ。だって、私はこんなにも美しいのだから!」
バサッと勢いよく横髪を手で払ったナイジェル先生は自信満々に微笑む。
可愛いこそ正義ならぬ、美しさこそ正義を振り翳す彼はやはり変人だった。
『さすが、サイラス先生の従兄弟』と白けた目を向けれていれば、不意に彼の笑い声が止まる。
「さて、雑談はこれくらいにして、最後のテストを始めようか。もう分かっていると思うが、武術のテストを担当するのは私だ。武術も他の教科と同じく、実技をやることになっている」
そう言うと、金髪の美男子は手に持っている木剣を一つ私に差し出してきた。
テスト内容にある程度察しがついた私は素直にそれを受け取る。
剣術コースの子達がいつも使っている木剣より小ぶりなそれは妙に軽かった。
恐らく、私の体に合った木剣を探して来てくれたのだろう。
これなら、片手でも使えそうね。まあ、ド素人の私が片手剣なんて無理かもしれないけど……。
「武術のテストは剣を使った模擬戦だよ。対戦相手は私。ルールは授業でやった時と同じだ。ただし、今回は魔法の使用を全面的に認める。魔法で直接攻撃してくれても構わない。何か質問はあるかい?」
「いいえ、ありませんわ」
緩く首を振った私は不敵な笑みを浮かべ、金髪の美男子を真っ直ぐに見据える。
己の力に絶対的自信を持つ私に不安はなく、勝利を確信していた。
魔法の使用が認められているなら、私に負ける要素は一つもない!正直『剣術のみの勝負』って言われたらキツかったけど、ナイジェル先生が太っ腹で良かったわ!
緩む頬を抑え切れずにいる私に、ナイジェル先生はスッと目を細めると、一定の間隔を空けるように数歩後ろへ下がる。
そして、大人の余裕をひけらかすように片手で木剣を構えた。
「先手は譲ろう。いつでも掛かってくるといい」