呼び出し
風紀委員として初めての見回りを終えた次の日────私は学園側から支給された新しい制服に身を包み、学校に登校していた。
スクールバッグの他に紙袋を持って廊下を歩く私は溢れ出そうになる欠伸を押し殺す。
昨日は色々あって興奮したせいか、あまり眠れなかった。
ダニエル様の襲撃事件に続いて、お姉様の訪問事件(?)もあったから、疲れちゃったわ。
まさか、あのタイミングで来るとは思わなかった……まあ、言いたいことは全部言えたし、宣戦布告も出来たから満足だけど。
でも、お姉様がこれからどう出るかよね。実力は私の方が上でも、地位や権力ではお姉様に敵わないから……大衆を味方につけて来られたら、ちょっと厄介かもしれないわ。
『はぁ……』と溜め息を零して、歩みを進めた私はCクラスの教室に足を踏み入れる。
そして、廊下側の一番前の席に座る人物に目を向け、表情を和らげた。
「おはようございます、グレイソン殿下。昨日は色々ありがとうございました。これは昨日貸して頂いたブレザーですわ。きちんと浄化魔法を使って洗ったのでご安心下さい」
そう言って、黒髪の美青年に紙袋を差し出せば、彼はふと顔を上げた。
白の紙袋を一瞥し、瑠璃色の瞳に私を映し出す。今日も今日とて美しいグレイソン殿下は艶やかな黒髪をサラリと揺らした。
「律儀な奴だな。ブレザーくらい、幾らでもくれてやるのに」
「そういう訳にはいきませんわ。借りたものはきちんと返しませんと。それに殿下のブレザーはサイズが大きいですから。着る機会はほとんどありませんわ」
「それもそうか」
納得したように頷いた黒髪の美青年は『わざわざ浄化魔法まで掛けてもらって悪いな』と言って、紙袋を受け取る。
チラリと中身を確認してから、彼は机のフックにぶら下げた。
「繰り返しになりますが、昨日は本当にありがとうございました」
「いや、大したことはやっていない。俺はただブレザーを貸して、お前を寮の前まで送り届けただけだ。事件の後処理は先輩方がやってくれて……あぁ、そうだ。ちょうど今朝────」
何かを思い出したかのように僅かに目を大きくするグレイソン殿下はそこで敢えて言葉を切る。
そして、周囲の視線を気にするように少しだけ顔を近づけ、声のトーンを落とした。
意図せず縮まった距離に内心ドキドキしつつ、彼の言葉を聞き逃さぬよう耳を澄ます。
「────ダニエルの処遇が決まったらしい。二十分ほど前に委員長と副委員長が来て、お前への伝言を頼まれた」
えっ?ダニエル様の処遇が決まった?こんなに早く?相手はコリンズ伯爵家の次男だから、もう少し時間が掛かると思ったけど……。
ビックリして目を見開く私に、黒髪の美青年は『俺も驚いた』と零し、説明を始めた。
「先輩方が言うにはコリンズ伯爵家がダニエルの行動に激怒し、見捨てたらしいぞ。さすがに勘当まではしていないみたいだが、処遇について口を挟むつもりはないようだ。それで早めに処遇を決めることが出来たらしい」
見捨てるまでの判断の早さから、コリンズ伯爵家の怒りが垣間見え、私は思わず苦笑を浮かべる。
でも、ダニエル様に同情する気持ちは一切なかった。だって、彼はそれ程のことをしたのだから。
この際だから、私の怪我なんてどうでもいいわ。もう治っているし、私自身も気にしていないから。
でも、学園の敷地内で上級魔法を使おうとしたのはさすがに頂けなかった。どう考えても、あれはやり過ぎだわ。下手したら、死人が出ていたもの。失敗してくれて、本当に良かった。
魔法が発動する直前で魔力切れになったダニエル様を思い出し、今更ながらホッとしてしまう。
『もしも、あのとき発動に成功していたら』と思うと、本当に恐ろしかった。
「そして、肝心の処遇内容についてだが────一ヶ月半の停学処分に決まった」
殺人未遂にしては随分と軽い罰に、私は一瞬眉を顰める。
だが、周りの目があるため、何とか表情を取り繕った。
「退学ではないのですね」
「ああ、そうみたいだな。学園側の言い分としては『被害も少なく初犯であるため、更生を促すべきだ』らしい」
「更生、ですか……被害を最小限に抑えられたのは我々のおかげなんですがね」
学園側の対応に不満を漏らす私はフルフルと頭を振る。
学園側としては穏便に事を済ませたいんだろうが、それにしたって罰が軽過ぎた。
これは更生云々の話ではないと思うけど……まず、学園側の許可もなく上級魔法を使おうとしたことが問題でしょう。それも人に向かって……。
『裁判に掛けるべきだ』とまでは言わないけど、退学にはするべきだったと思うわ。
「一応、委員長や副委員長は学園側に掛け合ったみたいだが、『もう決まったことだから』と取り合って貰えなかったらしい。シャーロット嬢が厳罰を望むなら、俺も掛け合ってみるが……」
「いえ、お気持ちだけで充分ですわ。不満がないと言えば嘘になりますが、とりあえず今は学園側の意向に従いましょう」
グレイソン殿下の立場が悪くなることを恐れ、私はキッパリと首を横に振った。
私の決断に躊躇いがなかったせいか、黒髪の美青年は『分かった』と一言だけ口にする。
意外とすんなり頷いたグレイソン殿下に、再度お礼を言ってから、私はそっと席を離れた。
クラスメイトと挨拶を交わしながら、自分の席へ向かった私は机の上にスクールバッグを置いた。
一限目の時間割を思い出しながら、鞄から教科書を取り出す────と、ここでまだ予鈴も鳴っていないと言うのに、担任のサイラス先生が現れた。
教室の扉に寄り掛かる緑髪の美男子は誰かを探すように視線をさまよわせる。
そして、私と目が合うなりニッコリ微笑んだ。
「シャーロット嬢、ちょっとこっちに来てくれるかい?」
ちょいちょいと私を手招く彼に、クラスメイト達は首を傾げる。
『何かあったのか?』と心配そうにこちらを見つめるクラスメイトに、『大丈夫よ』と言う代わりに小さく首を振った。
突然の呼び出しに心当たりがある私はサイラス先生に促されるまま、彼に歩み寄る。
「この前、話したアレがこれから行われることになったけど……心の準備は出来ているかい?」
内容を一部ぼかして尋ねてくる緑髪の美男子に、私は『はい』と頷く。
自信満々な私の態度に、サイラス先生は満足げに微笑むと、『それじゃあ行こうか』と言って歩き出した。
◇◆◇◆
サイラス先生に連れられてやって来たのは一階にある多目的室だった。
机や椅子などの家具がほとんどないこの空間には────ビアンカ先生やナイジェル先生を始めとする教師陣が顔を揃えている。
もうすぐ授業が始まるため、さすがに全員は揃っていないようだが、フリューゲル学園に務める教師の半数以上がこの場に居た。
どう考えてもおかしい状況に、私は頬を引き攣らせる。
まさか、他学年を担当している先生まで居るとは……てっきり、一年生の教師だけかと……。
想像以上にギャラリーの数が多く、困惑していれば、部屋の施錠を済ませたサイラス先生が私の前に立った。
その両脇を固めるようにビアンカ先生とナイジェル先生が歩み出る。
「まずはここへ呼び出した理由について、話して行こうか。シャーロット・ルーナ・メイヤーズ子爵令嬢、君にはこれから────非公式の実力テストを受けてもらう」
仰々しい言い回しでそう宣言した緑髪の美男子はゆるりと口角を上げた。
実力テストの存在については事前にこっそり教えて貰ったので、大して驚くことなく受け止める。
『サイラス先生が進行役なのか』とぼんやり考えていれば、彼はこう言葉を続けた。
「実力テストの科目は魔法学、薬草学、武術の三つ。それぞれ、担当の教師がテスト内容を考え、君の実力を試す。もし、君が今回のテストで噂通りの実力を出せなければ、不正行為をしていないか徹底的に調べあげるつもりだ。ここまでで質問はあるかい?」
「いいえ、ありませんわ」
決して俯かず、しっかりと前を見据える私はフルフルと首を横に振った。
やましい事など何一つないと言うように堂々とした態度を取る。
ここで俯いたり、自信なさげな表情を浮かべれば、後で揚げ足を取られる可能性があった。
「では、早速実力テストを始めていこうか。最初のテストは────魔法学だよ」