妹の逆鱗に触れる行為《スカーレット side》
「こんな状況で聞くのもなんですが、お姉様は何をしに居らしたんですか?」
白々しい態度でそう問い掛けてくるシャーロットに、私はハッと正気を取り戻した。
妹の着替えに動揺して忘れていた本来の目的を思い出し、歯軋りする。
頭の良いシャーロットなら、私の目的なんてとっくのとうに分かっている筈なのに、わざわざ聞いてくるなんて……本当に生意気な子だわ。心底気に食わない……。
「さっきも言った通り、貴方に話があって来たの────ねぇ、シャーロット。私との約束、破ったでしょう?」
確信を滲ませた問い掛けに、布の擦れる音がピタリと止む。
でも、直ぐに着替えは再開され、シャーロットはただ一言こう答えた。
「────はい」
と……。
無機質な声で紡がれた二文字の言葉に罪悪感や後悔は感じられない。
私の手元から彼女のリードが本当に離れたのだと、改めて痛感した。
シャーロットは自分の意思で私との約束を破り、真の実力を発揮した……その認識に間違いはなさそうね。
「何故そんなことをしたの?私との約束を反故にするつもり?」
「このままでは私の将来が危ぶまれると思い、お姉様との約束を破りました。それについては申し訳ないと思っていますが、あのとき交わした約束を継続するつもりはもうありません」
「な、何ですって……!?」
もう私の引き立て役になる気は無いとキッパリ言い切られ、思わず大声を上げてしまう。
シャーロットの顔は見えないが、真剣味を帯びた硬い声から本気なのは充分伝わってくる。
もう二度とあの頃には戻れないのだと悟り、思考が混乱した。
最初はシャーロットを少し叱って、方向修正すればいいと思っていたけど、まさかあの子がここまで本気だったなんて……予想外だわ。
何故いきなり私の引き立て役をやめるなんて、言い出したの?一体何が気に入らなかったと言うの?
『将来が危ぶまれる』と言ったシャーロットの本心を、一ミリも理解していない私はギュッと手を握り締めた。
平穏が崩れ去っていく感覚に陥りながら、何とか正気を保つ。
「……さっき、『将来が危ぶまれる』と言っていたけど、あれはどういう意味なの?詳しく説明してちょうだい」
叱ってダメなら、彼女の気に入らない要素を消し、説得すればいい────と考える私だったが、現実はそう甘くなかった。
「まさか、お姉様……ご自分のした事について、何も分かっていないのですか?」
僅かな怒気を孕んだ声に、私は思わず『何が?』と問い直しそうになる。
でも、既のところで我慢し、視線を右往左往させた。
何故、シャーロットはこんなに怒っているの?自分を引き立て役に使ったことが気に入らなかったとか……?でも、それは今までずっとやってきたことじゃない。何がいけないと言うの?
妹の怒りを理解出来ず、困惑していると……真後ろから深い溜め息が聞こえた。
「はぁ……分かりました。一から説明致します」
何も答えない私に痺れを切らしたのか、シャーロットは声色に呆れを滲ませた。
癪に障る言い方だが、彼女の機嫌を損ねるのは得策じゃないので我慢する。
背を向けているのをいいことにムッとした表情を浮かべていれば、シャーロットはゆっくりと語り出した。
「私は入学当初、お姉様が流した噂のせいで孤立していました。お姉様も知っての通り、子爵令嬢の我々に大して権力はありません。だから、私自身に何か魅力がなければ誰にも相手にされないんです」
あぁ、そう言えば……その噂について以前相談を受けたわね。まあ、あのときは突っぱねてしまったけれど……でも、それがどうして将来に関わるの?確かに人脈作りは大切だけど、貴方は今まで社交界から離れていたじゃない。
想像力の足りない私は学園の三年間と妹の人生を軽視していた。
それがシャーロットの逆鱗に触れる行為とも知らずに……。
「ドラコニア帝国の貴族令嬢が学園生活を通して、婚約者や婿候補を見つけることはお姉様もご存知ですよね?」
「ええ。一部例外も居るみたいだけど、大半の貴族はそうなるわね」
『何故そんなことを聞くの?』と疑問に思いつつ、そう答えれば、後ろからフッと鼻で笑われた……ような気がした。
「では、お姉様に一つ質問です。学園内で腫れ物扱いされる私に────素敵な婚約者や婿候補が出来ると思いますか?」
「!!」
大したことの無い家柄で、特筆すべき才能も持っていない令嬢……ここまではまだいい。他にもそういう人はたくさん居るから。でも……シャーロットには『出来損ないの妹』という追加要素がある。しかも、その噂を流したのは実の姉であり、生徒会副会長でもある私……普通に考えて、シャーロットと結婚したいと思う男性は居ないだろう。
もしも……本当にもしも、私が皇太子妃に選ばれれば、妹のシャーロットにも縁談が舞い込むだろうが……それは『素敵な婚約者』とは言えない。彼女の思い描く素敵な未来とは程遠い筈……。
あぁ、そういうことだったのね……シャーロットの言っていた意味がようやく分かったわ。確かにあの状況が続いていれば、彼女の将来は危ぶまれただろう。
いきなり反抗を始めたシャーロットの謎が解け、私は『なるほど』と納得する。
私にしては珍しく、心の底から『申し訳ないな』と思えた。
「シャーロットの言いたいことはよく分かったわ。なら、あの噂は私の方から撤回しましょう。多少、私の評判に傷がつくけど、貴方の将来のためなら仕方ないわ。だから、シャーロットは今まで通り私の引き立て役に徹し……」
「────さっきも言いましたが、お姉様の引き立て役に戻る気はもうありません」
さも当然かのように『元の関係に戻ろう』と促す私に、シャーロットは食い気味でそう答えた。
ここまで譲歩したのに拒絶される意味が分からず、カッと頭に血が上る。
「何ですって!?こっちが下手に出ているからって、調子に乗っているの!?ふざけるのもいい加減にしなさい!」
『何様のつもりだ!?』と怒鳴り散らし、私は目を吊り上げた。
あまりの怒りに手が震え、屈辱に耐えるようにキュッと口を引き結ぶ。
出来ることなら、今すぐ妹を殴り飛ばしたかった。
「いい!?これが最後のチャンスよ!今すぐ私に謝罪し、服従しなさい!そうすれば、今回は許し……」
「────は?」
私の言葉を遮るように発せられた声は低く、ゾッとするほど冷たかった。
未だかつて妹を本気で怒らせたことなどない私は思わず身を強ばらせる。
振り向かずとも……シャーロットの顔を見ずとも、彼女が激怒しているのは明白だった。
「黙って聞いていれば、ふざけるのもいい加減にしろだの、謝罪しろだの……お姉様は私を何だと思っているのですか?絶対服従を強いられる奴隷だとでも?」
「そ、それは……!」
「お姉様は自分がどれだけ理不尽なことを言っているのか、理解していますか?」
淡々と告げられる言葉は冷え切っており、私の知っている妹とはかけ離れていた。
言い返したいのに声が震えて、上手く言葉が出ない。私の本能が『シャーロットに逆らうな』と警告していた。
「お姉様、気づいておられますか?貴方は一度も私に謝っていないんです。ただただ理不尽な言い分を押し付けるばかりで、自分の非を認めようともしない……何故そんな方の言いなりにならないといけないんですか?」
「っ……!」
突き付けられた事実とぐうの音も出ない正論に、私は押し黙るしかなかった。
別に謝る気がなかった訳じゃない。自分の非を認めていない訳でもない。
ただ謝ろうという考えが頭に思い浮かばなかっただけ。だって、シャーロットに謝らないのは────私にとって、普通のことだったから。
「私はもう貴方に縛られたくありません。ただ自由に……自分らしく生きたい。だから、もう自分の実力を隠したりしません。お姉様の言いなりにもなりません。私は私のために生きます」
「っ……!でも……!」
「先に一線を越えてきたのはお姉様です。貴方に反論する権利はありません」
『恨むなら過去の自分を恨め』と言外に言い捨てられ、私は我慢出来ずに後ろを振り向いた。
すると、そこには────黒のマーメイドドレスに身を包むシャーロットの姿があり、その手には何かの魔法陣が握られている。
『攻撃用の魔法陣か!?』と焦る私を他所に、紫色の美女は感情を削ぎ落とした顔でこちらを見た。
「スカーレットお姉様、私の学園生活を妨害した件については必ずどこかで報復を受けてもらいます────それでは、ごきげんよう」
その言葉を合図に、紫色の魔法陣は発動し────白い光が私を包み込んだ。
反射的に目を瞑る私は言霊術で慌てて結界魔法を展開させる。
そして、光の消滅と共に目を開ければ────私は寮の前に居た。恐らく、転移魔法で無理やり追い出されたのだろう。
天才なのは知っていたけど、まさか転移魔法まで使えたとは……知らなかったわ。
でも、とりあえず攻撃用の魔法陣じゃなくて良かった。シャーロットの攻撃魔法なんて防げる気がしないもの。
水色の屋根がついた建物を見上げ、私はホッと息を吐き出す。
でも、一息つけたのはほんの一瞬で……直ぐに様々な悩みや不安が押し寄せる。
『もう一度、会いに行った方がいいかしら?』と迷うものの、会いに行く勇気が湧かなかった。
感情まで凍らせたかのように冷たいあの無表情を思い出し、恐怖に震える。
────結局、『シャーロットを説得しに行くのはまた今度にしよう』と自分に言い聞かせ、その場を立ち去るのだった。
明日(2021/07/25)から一週間ほど、諸事情により不定期更新になります。
(出来るだけ更新するようにしますが、タイミングが合わず更新出来ないかもしれません……)
更新を楽しみにして下さっている方が居たら、申し訳ありません┏○ペコ