逆恨み《グレイソン side》
「────ダニエル様、最初で最後の警告です。今すぐ魔法を解除し、投降してください。今なら特別に見逃して差し上げます」
譲歩する姿勢を見せたシャーロット嬢は硬い表情を浮かべ、一歩前へ出る。
通常なら、殺傷能力の高い魔法を発動した時点で処罰を与えられるのだが、彼女は穏便な方法で済ませたいみたいだ。
助かる道を示した紫髪の美女に対し、紺髪の男はクツリと笑みを漏らす。
「ここまで来て、投降なんてする訳ないだろ!」
その言葉を合図に、ダニエルは顕現した炎の槍を一斉に放った。
その矛先にはシャーロット嬢の姿があり、殺す気満々なのが分かる。
────だが、今回は相手が悪過ぎた。
「《バリアサラウンド》」
飛んでくる炎の槍を前に、シャーロット嬢はただ冷静に結界魔法を展開する。
彼女の前に立ちはだかる半透明の壁は一旦炎の槍を全て受け止めると────突然大きくなった。
ムニョーンと伸びるように広がるそれは途中で角度を変え、炎の槍を包み込むように丸くなる。
燃え続ける槍を内側に閉じ込めた球体型の結界は『素晴らしい』の一言に尽きた。
完全に外部からの干渉を遮断しているのか、使用出来る酸素を制限された槍が徐々に小さくなっていく。
やがて、結界の中の酸素が完全に尽き、フッと炎が消えた。
さすがはシャーロット嬢と言うべきか……周りに一切被害を出さずに炎の槍を消してしまった。これは誰にでも出来る事じゃない……。
普通なら水魔法で相殺するところを水蒸気爆発を心配して、結界で受け止めた。そして、万が一にも周りに火の粉が飛び散らないように結界で包み込み、外部の干渉を完全に遮断する。
そうすることで周りへの被害を抑えると共に、炎の鎮火を測ったのだ。
「見事だな」
「恐れ入ります」
率直な感想を述べる俺に、シャーロット嬢はペコリと小さく頭を下げる。
驕り高ぶらず、謙虚な姿勢を貫く彼女には好感が持てた。
捕縛用の魔法陣を用意する彼女の前で、ダニエルはただ呆然と目を見開く。
「う、嘘だろ……?中級魔法だぞ……?それをいとも容易く打ち消すなんて……!」
『有り得ない!』とでも言うように首を左右に振るダニエルは動揺を隠し切れない様子だった。
シャーロット嬢との実力差を悟り、数歩後ろへ下がる。
これでようやく、決着がつく────かと思いきや、ダニエルはまだ足掻いた。
「……僕が子爵家の小娘ごときに負けるなんて有り得ない……こんなの絶対に間違っている……。だから────僕がお前より秀でていると証明してやる……!」
現実を受け入れられないのか、紺髪の男は半ばヤケクソになりながら、手を前へ突き出した。
怒りと言うより、焦りに近い表情を浮かべ、魔力を高める。
腐ってもコリンズ家の次男と言うべきか、それなりに魔力量は多いようだ。
中級魔法を撃ったばかりだというのに、まだこんなに魔力が残っているのか。完全に宝の持ち腐れだな。
『勿体ない』と呟く俺を他所に、紺髪の男は大きく息を吸い込む。
魔力の高まりに応じて発生した緩い風により、紺色の短い髪がふわりと舞い上がった。
「黒き炎の煉獄 闇を孕む影 立ちのぼる陽炎 純黒を欲する我は世界の破壊を望む者なり 今こそ地獄の炎を解き放ち 世界を混沌へと導こう」
なっ……!?長文詠唱!?ということは、まさか────上級魔法か!?
フリューゲル学園でも扱える者が少ない上級魔法をただの喧嘩のために使うつもりか……!?正気を疑う行動だな……!まともな人間とは思えない……!
いや、それよりも今はあいつを止めなくては!こんなところで上級魔法を放たれたら、学生同士の喧嘩では済まなくなる!
最悪の事態を想定し、信号弾を打ち上げようか迷うが……今はそんな時間すら惜しかった。
『魔法の発動を阻止するために手首を切り落とすしかない!』と判断し、急いで抜刀する。
漆黒の剣を片手に、ダニエルの元へ駆け寄ろうとする俺だったが────シャーロット嬢の方が少し早かった。
身体強化でも使ったのか、彼女は軽やかな身のこなしでダニエルの元へ行き、彼の腕を掴む。
「《テレポート》!」
「《デスフレイム》!」
紫髪の美女と紺髪の男はほぼ同時に詠唱を口にし────俺の前から消えた。
その直後、上空からドカンッと派手な爆発音が轟く。
嫌な予感を覚えながら、空を見上げれば────黒い煙と真っ赤な炎が見えた。
状況から察するに、『発動を止められない』と判断したシャーロット嬢がダニエルを連れて上空へ転移したのだろう。そして、ダニエルの放った上級魔法もどきが爆発を引き起こした、と……。
この際だから扱える者が少ない転移魔法を使っていたことは措いておくとして……彼女がダニエルを連れて空へ移動していなかったら、大惨事になっていたな。
気配探知で二人の生存を確認した俺は目を凝らして、黒い煙を見つめた。
ダニエルは自業自得として、シャーロット嬢は受け止めなければ……と使命感に駆られていると、目の前に二人の男女が現れる。
比喩表現でも何でもなく、本当に二人が現れたのだ。それも瞬きの間に……。
『転移魔法で帰ってきたのか』と一人納得しながら、二人の男女を見下ろす。
ダニエルは魔法の反動に耐えきれず気絶したのか、スースーと寝息を立てていた。
全く以て、呑気な奴である。
「シャーロット嬢、怪我は……」
『怪我はないか?』と紡ごうとした言葉は途中で途切れた。
何故なら────背中に酷い火傷を負っていたから。ブレザーやYシャツが燃えたことで露わになった白い肌は焼け爛れ、赤黒く変色している。
────一瞬、息が詰まった。なんと声を掛ければいいのか、分からなかった。
絶望にも似た感情が胸に湧き起こり、目の前が真っ暗になる。俺の気持ちを表すようにカタカタと剣先が震えた。
────生まれて初めて、誰かを本気で殺したいと思った。
派手な爆発が起きたことから、ダニエルが魔法に失敗したのは分かっていた。
だって、あの魔法は……『デスフレイム』は別次元にある黒い炎を呼び出し、操るものだから。爆発する魔法ではないし、目視した炎も黒ではなく赤だった。
だから、失敗したにもかかわらず無傷だったダニエルを見て、勝手にシャーロット嬢も無事なんだと思っていた。
そう、だよな……彼女の性格からして、ダニエルを庇うに決まっている。だって、彼女はとんでもないお人好しだから……たとえ、相手がどんなにクズでも彼女なら助けるに決まっている。
優し過ぎるシャーロット嬢に呆れると共に、その優しさに甘えるダニエルが憎らしかった。
今すぐ奴の首を斬り落としたい衝動に駆られながら、ギュッと剣を握り締める。
『殺したい』と叫ぶ心を必死に宥め、一度深呼吸した。剣を鞘に戻し、ブレザーを脱ぐ。
そして、それをシャーロット嬢の肩に掛けた。
背中とはいえ、女性の素肌を晒したままにするのは良くない。
「あっ、ありがとうございます。後で洗ってお返ししますね」
ダニエルを地面に寝かせる紫髪の美女はこちらを見上げ、ニッコリ微笑む。
本当は火傷の痛みで今にも倒れそうな筈なのに、彼女はそれを表に出さない。
その強がりが……気遣いが健気すぎて、見ているこっちが辛くなった。
「いや、ブレザーは返さなくても構わない。予備ならたくさんある。それより、怪我はその……大丈夫なのか?」
なんて切り出せばいいのか、分からず直球で質問を投げかければ……シャーロット嬢はキョトンとした表情を浮かべる。
そして、暫く考え込んだあと納得したようにポンッと手を叩いた。
「あぁ、そう言えば────背中に火傷を負っていましたね。魔法で痛みを遮断したのですっかり忘れていましたわ」
背中の火傷を瑣末事のように扱う彼女は自身の胸元に手を当てると、『ヒール』と唱えた。
治癒魔法にも適性があるのか、彼女の体は淡い光に包まれ、皮膚の焼けるような匂いがスッと収まる。
直接確認した訳じゃないので、断言は出来ないが……恐らく完治したのだろう。
なんだ、この肝の据わった女は……。治癒魔法が使えるとしても、普通は怪我の心配をするだろ。痛みを遮断しているとはいえ、怪我の存在を忘れるなんて有り得ない……。
色んな意味で規格外なシャーロット嬢の言動に、目眩すら覚える。
あまりにも彼女の考えが常識外れで……ダニエルへの怒りも憎悪も消え失せてしまった。
「はぁ……シャーロット嬢には敵わないな」
呆れ半分感心半分といった様子でそう呟けば、紫髪の美女は不思議そうに首を傾げる。
「えっ?それ、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
困惑する彼女に、『深い意味はない』と告げて肩を竦める。
詳細を教える気がない俺の態度に、紫髪の美女は首を傾げるものの、それ以上言及して来ない。
緊張の糸が切れたように脱力する中、校舎の方から風紀委員長と副委員長が現れた。
「おーい!凄い音がしたが、大丈夫だったかー!?」
「怪我してないっスかー!?」
と口々に叫びながら、駆け寄ってくる二人にコクリと頷き、ふと空を見上げる。
青々と広がる空は先程爆発が起きたとは思えないほど、綺麗だった。
さて……とりあえず、ダニエルの身柄を先輩方に引き渡して、シャーロット嬢を寮へ送るか。
完治したとはいえ、いつまでもその格好で居させる訳にはいかない。放課後の見回りは俺一人で行うとしよう。