模擬戦
────その後、グラウンド五十周に加え、スクワット八十回や剣の素振り百回などをやらされ……私の体は既にボロボロだった。
新品の騎士服は汗と砂で汚れまくり、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
『ストイック』なんて言葉じゃ表現し切れない訓練内容に、何度心が折れかけたことか……。
途中で投げ出さず……そして、魔法を一切使わずに地獄のような訓練を終えた私を誰か褒めて欲しい。
今度からはグレイソン殿下じゃなくて、ナイジェル先生に訓練メニューを考えてもらおう……殿下の訓練メニューは毎回0が一つ多いのよ。
毎日鍛えている騎士ならまだしも、私はただの一般人なのに……。まあ、グレイソン殿下は『これでも、かなり数を減らした方』って言っていたけど……あの人は毎日どんな訓練をしているのかしらね……。
『はぁ……』と溜め息を零す私は列の後ろに並びつつ、即席で作り上げた浄化用の魔法陣を発動させる。
髪や服についた汗や砂を落とし、身嗜みを整えた。
風呂上がりのようにスッキリした私は列の間から、ひょっこり顔を出し────ナイジェル先生の姿を目に映す。
実はつい先程乗馬コースの指導を終えたナイジェル先生がグラウンドへ戻って来たのだ。
今回は自分の足で歩いてきたのか、クイーンと呼ばれた白馬は連れて来ていない。
「まずは自主練習、お疲れ様。皆、きちんと励んでいたようだね。時間を有効活用してくれて、私は嬉しいよ。ということで、今日は────模擬戦をやって行こうか」
パンッと軽く手を叩き、ナイジェル先生は嬉々としてそう口にした。
一瞬何を言われたのか理解出来ず、『模擬戦』という単語を脳内で反芻する。
え?模擬戦?今、模擬戦って言った?言ったわよね!?
嘘でしょう!?まだ初日なのに模擬戦なんて……!!大体、私は剣なんて習ったことないのよ!?さっきの体力訓練で初めて木剣を触ったくらいなのに……!!そんな私にどう戦え、と!?
『どうか私の聞き間違いであってほしい!』と願うものの、現実そう上手く行かない訳で……金髪の美男子は笑顔でルール説明を始めた。
「一対一のマンツーマンで、対戦相手は私が決める。そして、使っていいのは木剣のみ。補助程度なら魔法を使っても構わないけど、魔法で直接相手を攻撃するのはなしだよ。そして、勝利条件は二つ。相手を降参させるか、戦闘不能にすること。もちろん、殺しはなしだよ。危ないと判断した場合は、私が止めに入るからね」
近くにある筒状のカゴから木剣を取り出したナイジェル先生はそれを手首の周りでクルリと回す。
まるでバトンのように木剣を扱う彼は愉快げにガーネットの瞳を細めた。
補助程度とはいえ、魔法が使えるなら私にも勝機があるかも……さすがに剣の達人であるグレイソン殿下には敵わないだろうけど。
言い方は悪いけど、そこそこの実力者と当たることを願うばかりね。
実力的な意味でも体格的な意味でも他の生徒より劣っている私は祈るような気持ちでナイジェル先生を見つめる。
ギュッと手を握り締め、眉尻を下げる中────金髪の美男子は木剣で一人の男子生徒を指さした。
「一戦目の対戦相手は君と……」
前列に並ぶ紺髪の男性に剣先を突きつけたナイジェル先生はそこで言葉を切ると、ふと視線をさまよわせる。
キョロキョロと辺りを見回す彼は列の最後尾に居る私を見つけると────ニッコリ笑った。
何でだろう?とてつもなく、嫌な予感がするのだけれど……。
ダラダラと冷や汗を垂れ流し、頬を引き攣らせる私に、ナイジェル先生は情け容赦なく剣先を向けた。
「────紫髪の彼女にしようか」
明るいテノールボイスが発した言葉に、私は思わず崩れ落ちる。
絶望に打ちひしがれる私は一瞬『別の生徒を指名したのでは?』と考えるものの……ただでさえ、女子が少ない剣術コースで『紫髪の彼女』と表現される生徒は私しか居なかった。
うぅ……何で私なのよ!他にもっと居たじゃない!数ある選択肢から、何故私を選んだの!?しかも、よりによって相手が────コリンズ家の次男坊だなんて……!!最悪すぎる!!
私の対戦相手である紺髪の男性は優秀な騎士を数多く輩出してきたコリンズ家の人間だった。
名前は確か……ダニエル・エヴァン・コリンズ。実際の実力は知らないが、コリンズ家の人間ならそれなりに腕は立つだろう。少なくとも、素人が勝てるような相手じゃない。
どうしよう……?体調不良だって言って、棄権しようかしら?でも、逃げたりしたら私の印象が悪くなるかもしれない……せっかく回復した私のイメージを落とすのは憚られる……。
「それじゃあ、両者前へ」
私の葛藤など知らずにナイジェル先生は笑顔で我々を手招いた。
相手が女だからと舐めているのか、ダニエル様は意気揚々と前へ出る。
そうなると、私も前へ出ないといけない訳で……仕方なく先生の傍まで駆け寄った。
他の生徒達に見守られる中、私とダニエル様はナイジェル先生から木剣を手渡される。
この時点で私はもう泣きそうだった。
朝から散々だわ。もう二度と剣術コースなんて来ないんだから……!次は絶対に乗馬コースに行ってやる!体力強化とか運動不足とか、もうどうでもいい!どうせ、大体のことは魔法でどうにかなるんだから!
と、かなり極端な答えを出す私は余裕そうに笑うダニエル様と向かい合う。
勝利を確信しているのか、彼は全身から力を抜き、剣先を下に向けていた。
「両者、構えて」
その声に釣られ、とりあえず両手で木剣を構える。だが、正しい持ち方も知らない私の構えは子供のチャンバラごっこと大差なく……ダニエル様にフッと鼻で笑われてしまった。
「お互い、やり過ぎないように頼むよ。それでは────始め!」
ナイジェル先生が振り上げた手を下ろすのと同時に、ダニエル様は駆け出した。
風魔法も強化魔法も使っていないのに、まるで風のように軽やかで素早い。
さすがはコリンズ家の次男坊と言うべきか、後ろに下がる暇もなく間合いを詰めてきた。
「一撃で終わらせてやる!」
そう言って、木剣を振り上げる紺髪の男性に迷いや躊躇いは感じられなかった。
勝負に性別は関係ないとはいえ、女性に躊躇いもなく剣を向けるのは如何なものか……。
不敵な笑みを浮かべるダニエル様を前に、私は一つ息を吐き出すと────思い切り地面を蹴り上げた。
「《フライ》!」
宙に浮いた体を補助する形で風を巻き起こし、ジャンプ力を跳ね上げる。
成人男性ほどの高さまで舞い上がった私はビックリして顔を上げるダニエル様の────顔面を踏みつけた。
『ふぎゃ!?』と変な奇声が上がる中、彼の顔面を踏み台にしてもう一度ジャンプする。
そして、風魔法で体の動きを補助しつつ、クルリと一回転して彼の後ろに着地した。
「《ブースト》」
身体強化魔法の詠唱を唱えながら、剣を握り直し、少し腰を落とす。
踏まれた顔面を手で覆い隠すダニエル様は痛みで冷静さを失っているのか、こちらの動きに気づいていなかった。
────今なら、いける!
「油断して、必要以上に剣を大きく振り被るから、こうなるんですよ……っと!」
セリフに合わせて、横に薙ぎ払うように木剣を振るった私は────ダニエル様の首裏を思い切り切った……いや、殴った。
身体強化のおかげで腕力やスピードが上がったため、ガンッと鈍い音が鳴り響く。
紺髪の男性は私の強力な一撃に一瞬息を止め……白目を剥いて気絶した。
バタッと顔面から地面にダイブした彼はピクリとも動かない。でも、呼吸音は僅かに聞こえるので生きているのは確かだった。
今朝、グレイソン殿下が植物泥棒に使った攻撃(?)を真似したのだけれど……ちょっとやり過ぎたかしら?女性の腕力とはいえ、身体強化を使っていたし、全力で殴ったのは不味かったかも……。
僅かに亀裂が入った木剣と昏倒したダニエル様を交互に見つめ、あわあわしていると────パチパチと小さな拍手が聞こえた。
「見事だったよ。剣の扱いは素人そのものだけど、補助魔法の使い方が完璧だった。状況判断も的確で素晴らしい!」
気絶したダニエル様には目もくれず、金髪の美男子は『ブラボー!』と口にする。
そんな彼に釣られるように観戦していた生徒達もパチパチと手を叩いた。
「え?いや、あの……勝てたのは本当にたまたまです!ダニエル様が本気だったら、勝てませんでした!」
称賛されるようなことはしていないと首を横に振り、困惑を露わにした。
さっきも言った通り、ダニエル様が油断して剣を大きく振り被ってくれなかったら……最初から本気で来ていたら、私に勝ち目などなかった。
それこそ、一撃で倒されていただろう。
「いやいや、そんなことはないさ。たとえ、相手の油断が勝因だったとしても、勝ちは勝ち。胸を張っていいんだよ。この私のようにね!」
『いや、何でそこで先生が出てくるんだ……』と思うものの、とりあえず頷いておく。
誇らしげに胸を張る金髪の美男子は高笑いしながら、横髪を手で払った。
「さて、一戦目の勝敗がついたところで早速二戦目に行こうか。あぁ、白目を剥いて倒れている彼は助けなくていいよ。大して怪我はしていないからね。放っておいてもそのうち目を覚ますだろう。ということで、二戦目の対戦相手を決めようか」
気絶したダニエル様を完全に放置し、ナイジェル先生は意気揚々と二戦目の対戦相手を発表していく。
自分で倒しておいてなんだが、誰にも顧みられないダニエル様が不憫でならなかった。
なんか、倒しちゃってごめんなさい……。