手の掛かる先生
この場に僅かな熱気が残る中、私は横髪を耳にかけ、次の魔法陣を構築していく。
先程の水滴を集める魔法陣と違い、これは私も何度か使ったことがあるため、直ぐに完成した。
出来たてホヤホヤの魔法陣を何の躊躇いもなく、サイラス先生に向けて放つ。
すると────紫色の魔法陣から暖かい風が飛び出した。
「うわっ……!?」
突然の強風に驚いた緑髪の美男子は目を見開くが、こちらを警戒する様子はない。
むしろ、『あったか〜い』と手を広げて風を受け止めていた。
『この人、順応性高いな……』と思いつつ、頃合いを見計らって風を止める。
これは私が開発した魔法陣で、風と炎を掛け合わせたものだ。よく髪を乾かすときに使っている。まあ、今回は全身ずぶ濡れ状態だったので少し威力を強めたけど……。
「どうですか?寒くありませんか?」
「うん!全然寒くないよ!ありがとう!」
ニッコニコの笑顔で頷くサイラス先生は感激している様子だった。
でも、興味を引かれるほどのことじゃないのか、魔法陣の詳細などは尋ねてこない……。
グレイソン殿下の方はちょっと気になっているのか、チラチラとこちらに視線を送る。
殿下には日頃のお礼として、後で教えてあげよう。髪の短い殿下が使う場面はないかもしれないけど……でも、覚えておいて損は無いよね?
「シャーロット嬢の魔術は目を見張るものがあるね。ちなみに消火用の魔法陣とかも作れたりするかい?」
『消火用の魔法陣』という突拍子もない言葉に、私は思わず首を傾げる。
一瞬『サイラス先生なりのジョークかな?』と思ったが、彼の表情は至って真剣だった。
「一応作れますけど……私が作った魔法陣を使っても魔法は発動しませんよ?」
「それくらい、僕でも知っているよ。模写用に一つ欲しいだけさ」
「模写用って、何でわざわざ……ご自身で魔法陣を構築した方が早いのでは?」
消火用の魔法陣は別に難しいものじゃないため、魔術の基礎知識さえあれば誰でも組める。
わざわざ模写する意味が分からないと言えば、サイラス先生はキョトンとした表情を浮かべた。
「シャーロット嬢は僕が魔法陣を構築出来るような男に見えるのかい?」
「えっ?逆に出来ないんですか?」
「出来ないに決まっているだろう?魔法陣の法則も魔法文字も覚えていないんだから。むしろ、何で出来ると思ったんだい?」
心底不思議そうな顔をされ、私はついに頭を抱え込んでしまった。
『仮にもフリューゲル学園の教師ですよね!?』という言葉を必死に呑み込む。
植物以外に興味が無いとはいえ、それはどうなの!?魔術の基礎知識すら覚えていない教師なんて、見たことないわよ!知識の偏りが凄くない!?いや、ある意味サイラス先生らしいけど!
「それより、消火用の魔法陣お願い出来るかい?」
「……それは別に構いませんが、一体何に使うんですか?」
私の葛藤など露知らず、『ちょうだい』と手を出してくる緑髪の美男子に、内心溜め息を零す。
手のひらに視線を落とし、魔力の糸で魔法陣を構築していれば、サイラス先生がケロッとこう答えた。
「実は今日、炎霊草の実験をやろうと思ってね。本当に人体発火現象が起きるのか、試そうと思っているんだ」
「なっ……!?まさか、あの炎霊草を食べるつもりですか!?」
思わず手を止めて、顔を上げれば先生は『違う違う』と首を横に振った。
「食べるのは僕じゃなくて、モルモット用の虫だよ。草が主食のカタツムリとかに食べさせようと思っている。自分自身で試したいのは山々だけど、死んじゃったら研究が出来なくなるからね」
『死ななかったら、食べたんですか?』という疑問を胸の奥に押し込み、とりあえず魔法陣の構築を再開させた。
複数の糸が文字や記号に変化していく中、サイラス先生の変人っぷりに思考を巡らせる。
凡人では到底理解できない彼の考えに、私は溜め息を零すしかなかった。
「えっと……とりあえず、これ消火用の魔法陣です。一時間ほどで消えると思うので、模写するなら早めにお願いします」
「恩に着るよ、シャーロット嬢!」
紫色の魔法陣をそのまま渡せば、サイラス先生はニッコニコの笑顔で受け取る。
『これで気兼ねなく、実験が出来る!』と喜ぶ彼を尻目に、私はチラッと気絶した泥棒を盗み見た。
まだ起きる気配はないが、正直いつ起きてもおかしくない。出来れば、彼が起きる前に騎士達に引き渡したかった。
「あの、サイラス先生。私達はここら辺で失礼し……」
「まあまあ、待ちたまえよ。お礼くらい、させておくれ」
私の言葉をわざと遮った緑髪の美男子はスッと目を細めると、形のいい唇に弧を描いた。
普段の笑みとは少し違うそれに、思わず口を噤む。
黙って次の言葉を待っていれば、サイラス先生は炎霊草の鉢植えと消火用の魔法陣を持った状態で顔を近づけてきた。
植物オタクの変人だと分かっていても、顔は……いや、顔だけはいいので不覚にもドキドキしてしまう。
僅かに頬を紅潮させる私に、サイラス先生はクスリと笑みを漏らした。
「これは昨日の職員会議で決まったことなんだけど────近々シャーロット嬢の実力テストを行うことになったみたいだよ」
「「!?」」
『お礼』と題して告げられた事実に、私はこれでもかってくらい目を見開く。
グレイソン殿下もこれは予想外だったようで、肩に担ぐターバンの男性を落とし掛けていた。
「僕はシャーロット嬢の実力云々なんて、正直どうでもいいんだけど、他の先生はそうじゃないみたいでね。入試の成績と授業の実力がどう考えても釣り合わないって度々話題になっていたんだ。それで、『いっそのこと、テストで白黒はっきり付けたらどうだ?』って話になったんだよ」
なるほど。だから、実力テストを……。
確かに私の成績の伸び方は異常だし、不正を疑われてもおかしくない。授業を通して少しずつ先生達の信頼を勝ち取っていこうと思ったけど……そんな回りくどい方法じゃダメみたいね。
いつまでも『不正じゃないか?』って疑われるのも嫌だし、受けて立とうじゃない!
グッと拳を握り締め、気合いを入れる私に不安や焦りはなかった。
『合格出来なかったら、どうしよう?』という不安よりも、『絶対に合格してやる!』という使命感の方が強い。
「有益な情報を教えて下さり、ありがとうございます。でも、私に教えちゃって良かったんですか?守秘義務がどうこうとか言われません?」
「別にバレなければ問題ないよ。それに僕が教えたのはあくまでテストの存在だけだから。内容が分からなければ、対策のしようがない。テスト自体に大して影響はないよ」
悪びれる様子もなく、そう言い切ったサイラス先生は肩を竦めた。
『いいのか、それで……』と思うものの、彼の考えはある意味正しい。
入学試験のようにテスト範囲が決められている訳では無いので、予習も復習も出来ない。そのため、自分本来の力でテストに挑むしかないのだ。
まあ、それでも事前に知っておいた方がこちら側に有利になるけどね。気持ち的な意味で。
心の準備も出来ぬ間にテストを始められたら、全力を出し切れないかもしれないもの。それで不合格になったりしたら、やり切れないわ。
「精神的余裕を得られれば、問題ありませんわ。必ずテストに合格してみせます」
そう言って勝気に微笑めば、レンズ越しに見えるペリドットの瞳が愉快げに細められた。
「ふふふっ。そう来なくっちゃね。君がテストでどんな結果を叩き出して来るのか、今からとても楽しみだよ」
期待という名のプレッシャーを掛けてくる緑髪の美男子に、私は『はい!』と元気よく頷いた。
明日(2021/07/18)から、一日一回更新に切り替えます。
もし、この作品の更新を楽しみにしていた方が居たら、申し訳ありません┏○ペコ
(さすがに毎日0時近くまで起きているのはキツくて……)