植物泥棒
えっ……えぇ!?この人、誰!?制服を着ていないってことは、フリューゲル学園の生徒じゃないわよね!?ということは、まさか……植物泥棒!?本当に存在したの!?
半ば都市伝説のように思っていた植物泥棒が目の前にいる事実に、驚きを隠せない。
目を見開いて固まる私を他所に、グレイソン殿下は私の腰に腕を回し、ギュッと抱き締める。
逞しい腕の中に大人しく収まっていると、彼は片手の腕力だけで泥棒の剣を弾き飛ばした。
さすがはソードマスターと言うべきか、とんでもない怪力だ。まあ、弾き飛ばされた張本人は軽くステップを踏んで衝撃を逃がしたため、平気そうだが……。
フリューゲル学園に来る植物泥棒はタフなのねぇ……。
と感心していれば、私の体から手を離したグレイソン殿下が前へ出た。
彼の髪色のように真っ黒な剣は太陽の光を帯びて、艷めく。
「最初で最後の警告だ。武器を捨てて、大人しく投降しろ」
風紀委員会の手順に則り、グレイソン殿下がご丁寧に投降勧告をするが……植物泥棒はニヤリと笑うだけだった。
素直に投降するほど、大人しい奴ではないらしい。
まあ、大人しく投降するような人間だったら、最初からこんな事しないわよね。
「投降はしないという事でいいな?なら、力ずくで捕らえるのみだ────シャーロット嬢、援護を頼む。俺は前衛に出る」
「えっ?あっ、はい!分かりました!」
ボケっと突っ立っていた私は慌てて気を引き締め、植物泥棒と向き合った。
頭に変なターバンを巻いている男性は山賊のような格好をしており、手には短剣と小さめのナイフが握られている。
両者の睨み合いが始まる中────グレイソン殿下は無表情のまま、一歩踏み出した。
それを合図に、植物泥棒が左手に持つ小さなナイフを勢いよく投げる。だが、黒髪の美青年にあっさり叩き落とされてしまった。
「────一分で片をつけるぞ」
そんなセリフが聞こえたかと思えば、グレイソン殿下は素早い動きで相手との間合いを詰めた。
横に切り裂くような動きで空中に剣を滑らせると、ターバンの男性は慌てて一歩下がる。
だが、完全に避け切れなかったようで服が切れ、彼の胸元に小さな切り傷が出来ていた。
相手が外部の人間だからか、本当に容赦がないわね……。出来るだけ捕縛するように言われている筈だけど……。
「《アイスウォール》」
とりあえず相手の動きを制限しようと、彼の真後ろに氷の壁を作った。
それ以上、後ろに下がれなくなったターバンの男性は氷の壁とグレイソン殿下に挟まれ、完全に逃げ場を失う。
相手を氷漬けに出来れば、直ぐに片がつくんだけど、それじゃあ殺しちゃうのよね……。あとのことはグレイソン殿下に任せよう。
「っ……!!嘘だろ……!?こんなに強い一年生が居るなんて、聞いてないぞ……!?適当に新入りを蹴散らして、炎霊草を盗む筈だったのに……!なんだよ、これ……!!」
追い詰められたせいか、やけに饒舌になるターバンの男性は『こんなの聞いてない!』と繰り返した。
なるほど……私達が一年生だから、どうにか出来ると思ったのね。随分と舐められたものだわ。しかも、炎霊草がターゲットだったなんて……サイラス先生が持ち歩いたりするから、どこかから情報が漏れたんでしょう。
「炎霊草って、毒草じゃなかったのか?」
そう言って、こちらを振り返るグレイソン殿下は『何でそんなもの欲しがるんだ?』と心底不思議そうだった。
実用性のないものに価値を見出せない性分なのか、首を傾げている。
「確かに炎霊草は猛毒を持っていますが、精霊草の亜種とあってか希少価値がとても高いんです。それに無味無臭の毒なら、一定層に人気……というか、利用価値はありますから」
「そういえば、毒殺には持ってこいの植物だとサイラス先生が言っていたな」
授業で話した内容を思い出したのか、グレイソン殿下は『なるほど』と頷いている。
でも、毒殺という陰湿な行為に興味がないのか、理解しただけで納得はしていないようだった。
少し考え込むような動作を見せたあと、黒髪の美青年は再度ターバンの男性に目を向ける。
植物泥棒はもう逃げられないと悟っているのか、特に抵抗する様子はなく……ただひたすら、殿下に怯えていた。
「お前、炎霊草を使って誰かを殺すつもりだったのか?」
「ち、違う!高く売れそうだから、盗もうとしただけだ!そんな贅沢な使い方、出来るか!」
「そうか」
炎霊草での毒殺を贅沢と言い切ったターバンの男性に、グレイソン殿下は一つ頷くと────剣の柄の部分で相手の首裏を殴った。
突然のことで避けることも出来なかった男性は白目を向いて、気絶する。
グレイソン殿下は前に倒れてきた彼の体を横に避けると、慣れた様子で首根っこを引っ掴んだ。
そのおかげでターバンの男性は顔面を強打せずに済む。
ちょっと乱暴な気がしなくもないけど……まあ、相手は不法侵入の植物泥棒だし。この程度の報いは受けるべきだろう。
「とりあえず、起きた時のために縛っておきましょうか。いきなり暴れ出したら、大変ですし」
そう言って、ずっと手に持っていた捕縛用の魔法陣を発動させる。
僅かな煌めきと共に発動した魔術は細長い紐状のものを作り出し────ターバンの男性を縛り上げる。
首から下をグルグル巻きにされた植物泥棒はちょっと哀れだった。
「侵入者として、正門に待機している騎士達に渡してくるか」
「正門はさすがに遠いので、裏門の騎士に渡してはどうですか?あまり長く持ち場を離れる訳にはいきませんし……」
「確かにそうだな。では、裏門へ向かおう」
私の提案にコクリと頷いた黒髪の美青年は細長い紐状のものでグルグル巻きにされたターバンの男性を軽々と肩に担ぐ。
『力持ちだなぁ』と感心しつつ、裏門へ足を向けると────後ろからガサガサッと物音がした。
も、もしかしてまだ残党が……!?
と警戒しつつ、急いで後ろを振り返る私だったが……そこに居たのはある意味泥棒よりタチの悪い人間だった。
「────やあ、シャーロット嬢。こんなところで会うなんて奇遇だね」
そう言って、茂みの中から現れたのは炎霊草の鉢植えを手に持つサイラス先生だった。
ニコニコと笑う彼は何故か水浸しになっており、髪や服からポタポタと水が垂れている。
『いや、何があった?』と突っ込まずにはいられない酷い姿に、思わず溜め息を零した。
炎霊草の鉢植えは無事みたいね。そこが実にサイラス先生らしいわ。
「おはようございます、サイラス先生。つかぬ事をお聞きしますが、その格好は一体……?」
『雨にでも降られました?』と冗談混じりに言えば、緑髪の美男子は楽しげに笑った。
「はははっ!そんなんじゃないよ。ただ、植物の水やりをやっていたら、手元が狂ってね。それで水を被ったって訳さ。でも、炎霊草はきちんと死守したよ!」
「そ、そうですか……では、これからシャワーを浴びに?」
炎霊草は守り抜いたと自慢げに語るサイラス先生にそう問い掛ければ、彼はキョトンとした表情を浮かべた。
「いや?違うけど?僕はただ肥料を取りに来ただけだよ。また直ぐに植物園へ戻るつもりさ」
「え゛っ……?」
「別に水は害のあるものじゃないし、そのうち乾く。わざわざシャワーに入るような事じゃないよ」
「……」
サイラス先生の納得出来るようで出来ない理論に、私は思わず言葉を失う。
『植物以外にはこんなにも無頓着なのか……』と呆れつつ、グレイソン殿下に視線を向ければ、無言で首を横に振られた。
『あれはもうダメだ』と言われたような気がしてならない……というか、絶対そういう意味だと思う。
きっと、ここで『風邪を引きますから』って言っても意味がないんだろうなぁ……。『死ぬ訳じゃないから、大丈夫!』で片付けられそう……。
「はぁ……仕方ありませんね」
手のひらをパッと上に向けた私は指先から魔力の糸を出し、急いで魔法陣を組み上げた。
即席で作ったものなので上手く行くかどうかは分からないが、とりあえず発動させてみる。
僅かな煌めきを放つ紫色の魔法陣はサイラス先生の足元に展開し────彼の服や髪から水を分離した。
数え切れないほどの大きな水滴が空中に浮き、私の手元に集まってくる。
先生の体が乾いていくのに比例して手元の水は大きくなっていき────やがて、子犬ほどの大きさになった。
「《フレイムファイア》」
火炎魔法の中級に当たる詠唱を口にすれば、手のひらから、ボォッ!と凄い勢いで赤い炎が吹き出す。
呼び出した高温の炎はサイラス先生から集めた水を蒸発させると、パッと消えた。