ゲームスタート
「皆さん、対戦表は確認しましたね?では、表に書かれた場所に各自移動してください」
そう言って、ビアンカ先生がパンパンッと手を叩けば、みんな席を立ち、表に書かれた場所へ移動し始めた。
私も立ち上がり、廊下側の一番奥の席へと向かう。
そこには既にエミリア様の姿があり、凛とした横顔が目に入った。
「エミリア様、今回はよろしくお願い致します」
そう声を掛けて近づけば、彼女は『ええ、こちらこそ』と言って頷いた。
相変わらず表情は固いが、敵対心は感じられない。でも、視線は少し鋭かった。
エミリア様もビアンカ先生と同様に、私を見極めようとしているんだわ。私の位置付けがあやふや過ぎて、困っているみたいだもの。
エミリア様のお墨付きとなれば、私の地位も安定するだろうし、今回は何がなんでも勝たなくては。
そんな使命感に押されるまま、机を挟んで彼女と向かい合う。
すると、こちらの様子を窺っていたビアンカ先生が口を開いた。
「一戦目の役割についてですが、出席番号が早い方が攻め手、遅い方が守り手とします。二戦目になったら役割を交代しますので、頭に入れておいてください。それでは、チェスの駒を配っていきます────《ウインドメンター》」
言霊術の授業とあってか、詠唱で魔法を発動させたビアンカ先生は風を使ってチェスの駒を宙に浮かせた。
柔らかな風に包み込まれた駒は生徒達の頭上を飛び交い、やがて机の上にふわりと降り立つ。
さすがはフリューゲル学園の教師と呼ぶべきか、魔法のコントロールが凄く丁寧だった。
「制限時間は今から十分間です。それでは────始めてください」
ゲーム開始の宣言と共に我々Cクラスの生徒は駒の上に手を翳し、一斉に詠唱を口にした。
それは私とエミリア様も同じで……我先にと魔法を発動させる。
「《バリア》」
「《ファイアボール》」
ほぼ同時に詠唱を口にした私達だったが、魔法の発動自体は私の方が少し早く……机全体を半透明の壁で包み込んだ。
そこに少し遅れて発現した炎の球がぶち当たる。だが、私の結界を壊すほどの威力はなく、少し表面を這って消えた。
今のは少し危なかったかも……結界の展開があと少し遅れていれば、確実に駒を壊されていたわ。これが学年首席の実力なのね……。
『少し甘く見ていたかもしれない』と己の観察眼に溜め息を零し、チラッと周囲を見回す。
このゲームの序盤は魔法の発動スピードが物を言うため、何名か既に駒を破壊されていた。
肩を落とすクラスメイトを一瞥し、再度口を開く。
「《バリア》」
「《ウインドカッター》」
先程展開した結界の外側にもう一枚結界を作れば、高出力の風の刃にヒビを入れられた。
初級魔法なので大した威力はないが、込める魔力の量によって多少効力が異なる。
その法則を利用して、風の刃の威力を上げたのだろう。
これはちょっと……いや、かなり驚いたわね。まさか、結界にヒビを入れられるなんて……念のため、もう一枚展開しておいて良かったわ。
と安堵する私を他所に、正面に佇むポニーテールの彼女は大きく目を見開いた。
「嘘……かなり威力を上げたのに結界を破壊出来なかった……」
『信じられない』とでも言うように頭を振るエミリア様はヒビの入った外側の結界を食い入るように見つめる。
呆然とする彼女は『初級魔法でこの強度と考えると、恐ろしいわね……』と呟いた。
そして、結界の表面を少し撫でて苦笑する。呆れにも感心にも似た表情を浮かべるエミリア様は『降参だ』とでも言うように肩を竦めた。
「私の負けよ。こんな結界、壊せないわ」
時間切れを待たずして負けを認めたエミリア様は『こんなの勝てっこない』と吐き捨てる。
真面目な彼女に限って騙し討ちを狙っているとは思えないので、私は素直に降伏を受け入れた。
パッと手を横に振って、机の周りに展開した結界を二枚とも解除する。
「失礼ですが、エミリア様の言う『負け』とは一戦目のことですか?それとも……」
「このゲーム自体の負けを認めるって意味よ。もし、あの結界の強度が貴方の魔力によるものなら、攻撃魔法も相当強力でしょうから。攻守を交代して仕切り直したところで、私に勝ち目はないわ」
戦い自体を放棄すると宣言した彼女に、クラスメイトはざわついた。
エミリア様が降参するほどの実力者なのかと、私に多くの視線が注がれる。
比較対象が出来たことで、私の実力がよりハッキリと現れ、クラスメイトの大半が『凄い』と素直に称賛してくれた。
だが……やはり、全員が私の実力を認めてくれる訳では無いようで、何人か反発するように声を上げる。
「う、嘘よ!エミリア様が負けるなんて有り得ないわ!」
「そうよ!何か卑怯な手を使ったに違いないわ!」
「エミリア様が子爵令嬢ごときに負ける筈ないもの!今すぐ罪を認めなさい!」
私の力をインチキと決めつける彼女らはいつもエミリア様の傍に居るご令嬢達で……俗に言う、お取り巻き連中だった。
根拠もなければ証拠もない言い掛かりに、私は『まあ、そう思う人達も少なからず居るよね』と苦笑いする。
詠唱を利用する言霊術でインチキなんて不可能なのだが、私は彼女達の罵倒を甘んじて受け入れた。
否定も肯定もせず、ただひたすら聞き流す……が、しかし────エミリア様は彼女達の横暴を許さなかった。
「お黙りなさい!貴方達!」
耳がキーンとなるほどの大声で彼女達のことを黙らせたポニーテールの彼女は目をつり上げる。
エミリア様が声を荒らげる場面なんて見たことがないため、ビックリして声も出せなかった。
Cクラスの生徒達が呆気に取られる中、彼女はこう言葉を続ける。
「明確な根拠もないのに、憶測だけでシャーロット嬢を責めるのはやめなさい!言霊術でインチキなど出来ないのは貴方達だって、分かっているでしょう!それに彼女は私が認めた数少ない実力者です!愚弄することは許しません!」
彼女達に正論を叩きつけるエミリア様は両腕を組み、『はぁ……』と深い溜め息を零した。
エメラルドの瞳には憂いが滲んでおり、彼女のやるせない感情が直に伝わってくる。
申し訳なさそうに眉尻を下げるエミリア様は私に向かって、小さく頭を下げた。
「ごめんなさいね、シャーロット嬢……あの子達の代わりに謝るわ。どうか、気を悪くしないでちょうだい。きっと、私を思ってやった事だと思うから……」
「い、いえ……どうかお気になさらず。私は本当に大丈夫なので」
公爵令嬢のエミリア様に頭を下げてもらうほどの事じゃないと首を振れば、彼女は素直に顔を上げる。
気遣わしげな視線を向けてくるポニーテールの彼女に『本当に大丈夫です』と言う代わりにニッコリ微笑んだ。
正直な話、自分の実力を証明するためにエミリア様を利用した節があるから、その報いだと考えれば安いものだわ。むしろ、お釣りが出るくらい……だから、本当に気にしないでほしい!逆に私の良心が痛むから!
「シャーロット嬢が寛大な方で良かったわ。このお詫びは必ずどこかでするから、何かあれば遠慮なく私に言ってちょうだい」
「は、はい……ありがとうございます」
ホッとしたように表情を和らげるエミリア様に対し、私は何とか愛想笑いを浮かべる。
彼女の良心や気遣いが嬉しい半面、後ろめたい気持ちでいっぱいになった。
罪悪感を募らせる私を他所に、エミリア様のお墨付きを貰った私の評価はぐんぐん上がっていく。
────こうして、私は楽しい学園生活に繋がる大きな一歩を踏み出したのだった。