八年後
────それから、八年後の春。
心地良いそよ風に吹かれ、パッと目を覚ました私はゆっくりと身を起こした。
寝起きでぼんやりとする意識の中、紫を基調とした部屋を見回す。
蝶々をモチーフにした壁紙や家具が目に入り、『あぁ、ここは自室か』と一人納得する。
昨日は夜遅くまで参考書を読み漁っていたから、部屋に戻った記憶が無いわ。誰かが運んでくれたのかしら?
「それにしても、眠いわね……寝不足のせいか、変な夢も見ちゃったし」
『姉の引き立て役になる』と誓ったあの日の出来事を夢で追体験した私は溜め息の代わりに欠伸を零した。
最悪の夢見だと唸りながら、近くにあった枕をギュッと抱き締める。
私はあの日の誓いを忠実に守り、間違っても姉より目立たないよう努めてきた。
貴族として必要な礼儀作法も勉強も人並み程度の成績に抑えてきたし、ダンスや乗馬も出来るだけ力を抜いた。
幸い、姉は優秀と言われる部類に含まれていたため、最底辺のレベルまで成績を落とすことはなかったが……その分、授業は面倒だった。
既に理解している部分を何度も何度も教えられ、テストの時は平均点を取れるよう点数を調整しないといけないから……。これほど苦痛だと感じた時間はなかった。
でも、その甲斐あってか当初天才だと持て囃されていた私は完全に凡人と見做され、大人達の関心は離れていった。
その代わり、姉のスカーレットに注目が集まり、『優秀な姉と平凡な妹』と揶揄われるようになったけれど……。
でも、それで姉の機嫌が良くなるなら、別に構わなかった。
私の願いはただ一つ。優しい殿方と結婚して、平穏な人生を歩むこと。それ以外に望むことはない。
だから、その弊害になりそうな姉の機嫌を取るためなら、酷評くらい甘んじて受け入れる。所詮はメイヤーズ子爵家内のことだしね。
「今日も姉の引き立て役として、全力を尽くしましょうかね」
誰に言うでもなくそう呟くと、私は『んー!』と体を伸ばしてタンスの上に置かれたベルに手を伸ばす。
チリンチリンと二・三回ベルを鳴らせば、廊下で待機していた侍女軍団がノックと共に入ってきた。
慣れ親しんだ彼女達に『おはよう』と声を掛け、着替えを手伝ってもらう。
流れるような動作で寝着を剥ぎ取られ、白のYシャツやスカートに腕を通した。
最後にドラゴンの紋章が刺繍されたブレザーを羽織る。
「制服、よくお似合いです。シャーロット様もついにフリューゲル学園に入学する日がやって来ましたね」
侍女の一人が感極まった様子でそう言うと、他の侍女達も『寂しくなりますね』『時の流れとは早いものです』と呟く。
別れを惜しむような彼女達の反応に、私はクスクスと笑みを漏らした。
フリューゲル学園とは、ここ────ドラコニア帝国の最高峰と呼ばれる学び舎だ。
皇家が全面的に支援している教育機関で、規模が大きい。そのため、貴族達がこぞって入学を希望する。
何か深い事情でもない限り、貴族の大半がここへ入学していた。
例に漏れず、私もフリューゲル学園の入学が決まり、入学式当日を迎えている訳だ。
学園は基本的に全寮制のため、余程の理由がない限り、寮へ入る。でも、休日の帰省や外泊は認められているため、全く会えない訳じゃなかった。
「休みの日はなるべく会いに来るから、そんなに落ち込まないでちょうだい。ねっ?」
僅かに目を潤ませる侍女達に笑いかけ、宥めようとするが……彼女達はブンブンと首を横にふった。
「いいえ!そんなの絶対に嘘です!面倒臭がり屋のシャーロット様が頻繁に帰ってくるとは思えません!」
「そうですよ!この前だって、『面倒臭い』って言ってお出掛けの予定を急にキャンセルしたじゃないですか!馬車も護衛も用意して、準備万端だったのに!」
「シャーロット様のお言葉は信用出来ません!長期休暇に入るまで帰って来ないのはお見通しです!」
侍女軍団に怒涛の勢いで反論され、私は冷や汗を掻きながら視線を逸らした。
返す言葉が見当たらず、『あ━━━━』とか『う━━━━』とかよく分からない言葉を発する。
全く反論出来ない……『まあ、来週会いに行けばいっか』とか言って、帰省を後回しにする未来の自分が見えるから。
家族や使用人に会いに行くのは別に面倒じゃないんだけど、そこまでの道のりを考えると、どうもね……長時間馬車に揺られてお尻を痛めるより、部屋のベッドでゴロゴロしていた方がいいんじゃないかって結論に至ってしまう。
小さい頃から変わらない面倒臭がり屋な性格に思いを馳せていれば、侍女達が『はぁ……』と溜め息を零した。
そして、『仕方ありませんね』とでも言うように苦笑を浮かべる。
「別に無理に帰って来なくても構いませんよ。シャーロット様の性格はよ〜く分かっていますから」
「私達はただシャーロット様が元気で居てくれるだけで十分です。それ以上に望むことはありません」
「あっ!でも、いいお婿さんは見つけてきて下さいね!結婚相手探しで失敗したら、痛い目に遭いますから!」
「玉の輿を期待しています!」
グッと両手を握る彼女達は『頑張って下さいね』とエールを送ってくれた。
なんだかんだ、私に甘い侍女達に笑みを漏らしつつ、『ええ、分かったわ』と返事する。
そして、彼女達に連れられるままドレッサーの前に座った。
大きな鏡に制服を着た自分の姿が映し出される。
透明感のあるラベンダー色の長髪に、姉と同じタンザナイトの瞳。肌は雪のように白く、ピンク色の唇が際立って見えた。
「今日は待ちに待った入学式ですし、張り切ってメイクしますね!」
侍女の一人がそう言うと、周りの子達が『私達に任せて下さい!』と胸を張る。
気合い十分の彼女達に苦笑を漏らしながら、私は『よろしくね』と言って、頷いた。