風紀委員長と副委員長
サイラス先生の小テストに全問正解したせいか、周りから『植物オタクなのでは?』と囁かれるようになった私はグレイソン殿下と共に廊下を歩いていた。
放課後の校舎内は多くの生徒で溢れ返っており、少し歩きづらい。だが、グレイソン殿下と一緒に居るおかげか、生徒達が道を空けてくれるので人混みに流されずに済んだ。
はぁ……ついにこの時が来てしまったのね────風紀委員会のミーティングが……。
いや、ミーティング自体は別に構わないのよ。私が嫌なのは明日から始まるであろう、風紀委員会の活動だから……。『明日見回りを始めます』とか言われたら、どうしよう……?早起き出来る自信はないわよ?
早くも憂鬱になっていた委員会活動に思いを馳せていれば、先頭を歩くグレイソン殿下が不意に足を止めた。
『風紀委員会室』と書かれた室名札を指さし、こちらを振り返る。
「着いたぞ」
「あ、はい……!」
わざわざ部屋に到着したことを知らせてくれた彼は視線を前に戻し、ドアノブに手を掛けた。
『いや、ノックは……!?』と叫びそうになる私を置いて、グレイソン殿下は部屋の扉を開けてしまう。
その瞬間────部屋の中から何かが飛んできた。
えっ?はっ……!?何事……!?いや、そんなことより今はあれをどうにかしないと……!
「《バリア》!」
反射的に前方に手を翳した私は言霊術で魔法を発動させる。
紫がかった白い光が私の体内から放出され、グレイソン殿下の前に半透明の壁を作り出した。
その直後────ガンッと勢いよく何かが当たる。殿下の後ろからひょっこり顔を出して下を見れば、床に拳サイズのボールが転がっていた。
恐らく、これが私の結界に当たったものだろう。
ボールが独りでに動く訳がないし、罠の気配もなかった。ということは、部屋の中に居る誰かが私達に向かってボールを投げたことになるけど……一体誰が?何のために?まさか、ノックもなしに突然部屋の扉を開けたから……とか?
いや、女子の更衣室じゃあるまいし、そのくらいで激怒するとは思えないけど……。
「……何にせよ、中に入って確認してみないといけませんね」
「ああ、そうだな」
私の考えに同意するように頷いた黒髪の美青年はコンコンッと結界を叩き、『とりあえず、これを解除しろ』と命じてくる。
即席で作ったその結界は壁と同じで動かすことが出来ないため、中に入るにはこれを解くしかなかった。
まだ誰が何のためにこんなことをしたのか確認出来ていないから解きたくないけど、それじゃあ埒が明かない……解除するしかないわね。
それにしても、グレイソン殿下は随分と落ち着いているわね。普通こんなことがあれば、少なからず動揺すると思うけど……ソードマスターは体だけでなく心も強靭なのかしら?
動じる様子を一切見せない黒髪の美青年に困惑しつつ、私は右手で何かを振り払う動作をした。
すると、殿下の前に展開した半透明の結界が空気に溶け込むように消え去る。
黒髪の美青年はチラッと私に目を向け、『中に入るぞ』とアイコンタクトを送ってから、部屋の中へ足を踏み入れた。
それに続くように私も一歩踏み出す────だが、しかし……グレイソン殿下が『待て』とでも言うように片手を広げた。
片足だけ部屋の中に突っ込む形になった私は困惑気味に彼の大きな背中を見つめる。
「えっ?あの、グレイソン殿下。中に何かありま……」
『中に何かありましたか?』と続ける筈だった言葉は横から現れた大柄な男によって、遮られた。
『キャー!』と可愛らしい悲鳴を上げる暇もなく、その男は我々に急接近してくる。
木剣を棍棒のように振り上げる彼に呆気に取られていると────黒髪の美青年が一歩前へ出た。
相手の懐に容易く潜り込んだ彼は木剣を持つ手を掴み、そのまま引き寄せる。
相手の男性が『うぇ……?』と変な声をあげる中────グレイソン殿下は彼の鳩尾に思い切り膝をめり込ませた。
「かはっ……!?」
「大きく振りかぶり過ぎだ」
お腹を抱えて蹲る大柄な男にそう吐き捨てた黒髪の美青年は彼の手から乱暴に木剣を取り上げる。
眉一つ動かさず、相手を返り討ちにした彼はふと奥のデスクに視線を向け────何を思ったのか、手にした木剣を投げ飛ばした。
え?ちょっ……!あれって、風紀委員長のデスクよね!?壊したりしたら、怒られるんじゃ……!?
ヒュンッと風を切る音と共に飛んでいく木剣に肝を冷やしていると────デスクの後ろから、短髪の女性が現れた。
サラサラの銀髪を耳にかける彼女はデスクの上にあるペーパーナイフを手に取り、飛んできた木剣をいとも容易く弾き飛ばす。
そして、勢いよく壁に直撃した木剣を見て、彼女は────琥珀色の瞳を愉快げに細めた。
「あっはっはっはっ!まさか、ジェラールを倒すだけでなく、私に木剣を投げ付けてくるとは……はははっ!実力を試すために奇襲を仕掛けたとはいえ、これは一本取られた!」
腰に手を当てて大笑いする彼女は本当に楽しそうだが……いまいち状況が掴めない。
困惑する私を置いて、ジェラールと呼ばれた大柄な男はお腹に手を当てつつ、立ち上がった。
「いてててっ……笑い事じゃないッスよ、委員長!めちゃくちゃ痛いんスけど!」
えっ……?委員長?ということは、もしかして────彼女が風紀委員長のディーナ・ホリー・ヘイズ……!?ヘイズ侯爵家の長女で、女騎士を目指している変人だっていう、あの……!?
周りから聞いた噂と照らし合わせるように、私は彼女の顔をまじまじと見つめた。
シャープな輪郭と左目の下に出来たホクロが特徴的な彼女は綺麗めの顔立ちをしている。
また、彼女の両耳には琥珀で作られた大ぶりのピアスが揺れていた。
言われてみれば、噂で聞いた外見的特徴と一致するわね。それにあの豪快な笑い方と喋り方……とてもじゃないけど、普通の貴族令嬢には見えない。木剣をペーパーナイフで弾いた技量といい……風紀委員長と見て間違いなさそうね。
金のネクタイピンをしているから先輩だろうとは思っていたけど、まさか委員長だったなんて……ブレザーを着ていなかったから分からなかったわ。
と、一人考え込んでいれば……銀髪の美女と不意に目が合う。
琥珀色の瞳に私を映し出す彼女は笑うのをやめ、こちらへ一歩近づいた。
「言い忘れていたが、君の実力もなかなかだったぞ。私の投げたボールを結界で防いだ時は実に驚いた。これでも腕力には自信があるんだが……君の反射神経と魔法技術には勝てなかったみたいだ。心の底から敬意を表する」
「あ、ありがとうございます……」
『あのボール投げたの委員長だったんだ……』と思いつつ、私は小さく頭を下げる。
戸惑いを隠せない私に、ディーナ様はニッコリ微笑むと、クルリと身を翻した。
木剣から守り抜いたデスクに近づき、椅子に掛けられたブレザーを手に取る。
そして、己の地位を誇るかのようにバサッとそれを広げ、腕を通した。
左側の襟には風紀委員長を意味する剣と盾のマークが刻まれたバッジが付いている。
「さて、まずは自己紹介と行こうか。私は風紀委員会の長を務めている、ディーナ・ホリー・ヘイズだ。委員長でもディーナでも好きなように呼んでくれ。それから、そっちの大柄な男が……」
「────ジェラールっス!これでも一応、風紀委員会の副委員長ッス!平民出身ッスけど、仲良くして欲しいッス!」
ニカッと白い歯を見せて笑う副委員長は宝石のペリドットを彷彿とさせるライム色の瞳を細めた。
炎のように真っ赤な髪がサラリと揺れ、日に焼けた肌が露わになる。如何にも活発そうなジェラール先輩は子供のように無邪気だった。
お腹を抱えたままなので、ちょっと情けない印象を受けるが……。
「それでは────改めて、二人ともようこそ!生徒人気ワースト一位の風紀委員会へ!一緒に楽しい一年を過ごそうじゃないか!」
全然楽しそうじゃない……むしろ、不吉な予感しかしない言葉を並べ、風紀委員長のディーナ様は私達に手を差し伸べる。
「我々は二人を歓迎しよう!これから、よろしく頼む!」
大ぶりのピアスを揺らし、ニッコリ微笑む銀髪の美女は笑顔で私達を迎え入れてくれた。