委員会決め
グレイソン殿下と共にC組の教室へ戻った私は多くの視線を集めながら、自分の席に座る。
私とグレイソン殿下の話を盗み聞きしたクラスメイトが既に話を広めたのか、マナ濃度に関する話題があちこちで飛び交う。
『皆、耳が早いな』と感心していれば────本鈴のチャイムと共に緑髪の男性が教室に現れた。
黒の革手袋とメガネが特徴的な彼はターコイズグリーンの短い髪を揺らし、教壇の上に立つ。
レンズ越しに見えるエメラルドの瞳は美しく、中性的な顔立ちは涼しげだった。
グレイソン殿下とはまた違うジャンルの美形である彼こそ────我がクラスの担任である、サイラス・エルド・ラッセル先生だ。
彼は薬草学の研究者で、ポーションという回復薬を開発した天才である。まだ実用段階には達していないようだが、治癒魔法を必要としない回復手段は希少のため、皇帝陛下から博士号と男爵位を賜った。担当科目は言うまでもなく、薬草学だ。
まだ二十代なのに凄いわよね。伯爵家の出だから、環境は恵まれていたみたいだけど、その若さで結果を出せるのは素晴らしいわ……って、年下の私が言うのもなんだけど。
でも、欲を言うなら────あの性格を何とかして欲しいわね。
「午後の授業は事前に話していた通り、委員会決めだよ。でも、僕は────研究データの集計に忙しいから、学級委員長が決まり次第研究室へ戻るね。異論は認めないから、よろしく」
堂々とした物言いで、自分勝手なことを口走るサイラス先生は入学当初から全く変わっていない。
一応授業はちゃんとやってくれるし、担任としての役割も最低限……本当に最低限こなしてくれるのだが、いかんせんワガママが過ぎる。
委員会を決めるだけとはいえ、割り当てられた授業を途中で放棄するなど、有り得なかった。
研究に忙しいのは分かるけど、これは教師としてどうなんだろう?面倒臭がり屋の私でも、そこまでしないわ。
「それじゃあ、早速学級委員長を決めていくね。立候補者は挙手してくれる?」
レンズ越しに見えるエメラルドの瞳を細め、ヘラリと笑うサイラス先生は教室内を見回した。
役職の説明など一切なく始まった学級委員長決めに、生徒達が困惑を示す中────一人の生徒が手を挙げる。
ピンッと伸ばされた細い腕を辿り、視線を少し下げれば、ポニーテールの女性が目に入った。
意思の強そうな目を持つ彼女はダーズリー公爵家のご息女で……クラスの代表を名乗るのに相応しい人物だ。
エミリア様なら、家柄的にも能力的にも申し分ないだろう。
「えーっと、君は確か……ダーズリー公爵家のお嬢さんだったね。とりあえず、前へ来てくれる?」
「はい、分かりました」
サイラス先生の言葉に一つ頷いたエミリア様は席から立ち上がり、促されるまま黒板の前へ向かう。
毅然とした態度で教卓の横に立つ彼女は『美しい』よりも『凛々しい』という言葉が似合っていた。
「他に立候補したい人は居ない?居ないなら、ダーズリー公爵家のお嬢さん……えーっと、名前なんだっけ?」
「エミリアですわ、先生」
「そう、それだ!他に立候補者が居ないなら、エミリア嬢が学級委員長になることになるよ。それでも構わないかい?」
ダーズリー公爵家のご息女であるエミリア様の名前を完全に忘れていたサイラス先生だったが、悪びれる様子もなく我々に質問を投げ掛けてきた。
実に無神経な先生だと思う……。そして、それに全く腹を立てないエミリア様は天使か何かだろうか?
私みたいな弱小貴族ならさておき、公爵家の……それも入試一位の生徒の名前を忘れるなんて有り得ないわ。まあ、サイラス先生らしいと言えば、らしいけど……入学式後の説明会で何回も生徒の名前を間違えていたし。
でも、不思議なことに薬草の名前や効能はしっかり覚えているのよね。『好きこそ物の上手なれ』とは少し違うかもしれないけど、彼はきっと興味のあることしか覚えられないんでしょう。
不敬と捉えられてもおかしくない先生の言動に呆れる中、クラスメイト達が『エミリア様こそ、学級委員長に相応しいと思います』と口にする。
緑髪の美男子は反対者が居ないことをしっかり確認すると、満足そうに頷いた。
「それじゃあ、学級委員長はエレノア嬢にお願いしよう」
「エミリアですわ、先生」
「はっはっはっはっ!すまないね、また忘れてしまったよ!」
全く心の籠っていない謝罪を口にするサイラス先生に、エミリア様は『いえ』と首を振った。
エミリア様の寛大な心に感銘を受けると共に、見事な鳥頭っぷりを見せつけるサイラス先生に呆れ返る。
今頃、クラスの過半数以上に『残念な大人』認定されている事だろう。
ひょっとしたら、サイラス先生の記憶力は鶏よりも酷いかもしれないわね……。本当に博士号を貰った研究者なのか、ちょっと疑ってしまうわ。
「学級委員長も決まったことだし、僕はここら辺で失礼するよ。研究が僕を待っているからね!それじゃあ、後は頼んだよ、エミリー嬢」
「エミリアですわ、先生」
「ははっ!そうだったね!じゃあ、僕はこれで!」
最後の最後までエミリア様の名前を間違えまくったサイラス先生はヒラヒラと手を振って、教室を後にした。
徐々に遠のいていく先生の足音を聞き流し、『はぁ……』と溜め息を零す。
『本当に居なくなっちゃったよ、あの人』と生徒達が混乱する中、委員会決めをほぼ丸投げされたエミリア様はコホンッと一回咳払いした。
わざとらしいソレに、ピクッと反応を示したCクラスの生徒達は口を噤んだ。
「サイラス先生が研究室に行ってしまわれたので、ここから先は私が司会進行役を務めます。至らぬ点も多いかと思いますが、よろしくお願い致しますわ。それでは、まず残りの学級委員を────」
よく通る声でテキパキと指示を出し、スムーズに話を進めるエミリア様は『さすが』の一言に尽きる。
公爵令嬢だからという訳じゃないが、リーダーシップに溢れており、人の上に立つ資質が十分にあった。
無駄のない進行のおかげで着々と各委員会のメンバーが決まっていく中、私は黒板に書かれた『図書委員会』の文字に釘付けだった。
本の貸し出しや管理があるため、仕事時間は他の委員会と比べて少し長いけど、仕事内容は比較的楽な図書委員会!面倒臭がり屋な私でもやれる委員会なんて、これしかないわ!仕事さえしっかりやれば、勉強や読書をしてもいいみたいだし!
だから、何がなんでも図書委員にならなくちゃ!
と、密かに決意する中────まだ決まっていない役職が図書委員会と風紀委員会だけになる。
決戦の時はすぐそこだった。
「えー……では、図書委員に立候補する方は手を挙げてください」
挙手を促すエミリア様の声に、私は即座に手を挙げる。
でも、図書委員に立候補者したのは私だけじゃなかったようで、他に二人も候補者が居た。
まあ、そうなるわよね……図書委員にならなかったら、自動的に風紀委員になっちゃうから。
危険がある上、人気のない風紀委員会に入りたいと思う輩は居ないだろう。
フリューゲル学園の風紀委員会はちょっと特殊で、学内に限り武器の所持や攻撃魔法の使用が許可されている。
もちろん、ところ構わず武器や魔法をぶっぱなしていい訳ではなく、生徒同士の乱闘や外部の敵を排除するために使っていた。
仕事内容からも分かる通り、風紀委員には危険が多く、時には怪我をすることもある。おまけに生徒からの評判も悪い。
と言うのも、生徒間のトラブルにあれこれ口を出すから。ただの口喧嘩なら放置一択だが、乱闘騒ぎとなれば実力行使もやむを得ない……その結果、野蛮だのやり過ぎだの非難を浴びるため、嫌われやすかった。
だから、よっぽどの物好きでもなければ、風紀委員になりたいと思う者は居ない。わざわざ嫌われ役に回る必要なんて、どこにもないもの。
「図書委員会の立候補者は三人ですか……定員は二人までなので、一人は風紀委員会に入って頂かないといけませんね。ここは公平にクジ引きで決めましょうか。それから────グレイソン殿下は今のところどの委員会にも属していませんが、風紀委員会に入るということでよろしいですか?」
そう言って、ポニーテールの女性は廊下側の席に腰掛ける黒髪の美青年に視線を向けた。
名を呼ばれたソレーユ王国の第三王子はゆっくりと顔を上げ、静かに頷く。
「ああ、それで構わない」
「え?本当によろしいのですか……?」
「ああ。風紀委員は学内での帯剣を許されているのだろう?」
「え、ええ……確かにそうですが……」
「なら、それでいい。俺は剣を手元に置けるなら、なんだって構わない」
『帯剣が許されているから』というだけで、風紀委員会に入ろうとするグレイソン殿下に、エミリア様は困惑を示した。
だが、『それが本人の意思なら』と最終的には納得する。
こうして、図書委員の争奪戦が行われる前に、風紀委員会の一枠が埋まってしまった。
いや、それは別に構わないんだけど、グレイソン殿下は本当にそれでいいのしら?彼のことだから、怪我をする心配はないけど、自ら嫌われ役を引き受けるなんて……やっぱり、不思議な方ね。
「えー……それでは、風紀委員の一枠が埋まったところで図書委員のクジ引きを始めたいと思います。時間短縮のため、私がクジを引きますが、不正などは一切していないのでご安心くださいませ。皆さんも知っての通り、このクジを用意したのは副委員長ですから」
教室の隅でせっせとクジの準備をしていた副委員長は折り畳んだ三つの紙を持って頷く。
これに関してはクラスメイト全員が目撃しているため、特に反対意見は出なかった。
折り畳んだ三つの紙を教卓の上に置いた副委員長はそそくさと後ろに下がる。
「この三つの紙にはそれぞれ立候補者の名前が書いてあります。私が今からそれを一つ引き、そこに書いてあった名前の人物が風紀委員会に入って頂くことになります。何度も言うように不正は一切していないので、どんな結果が出ても文句は言わないでください」
クジの簡単な説明を終えたエミリア様はそう釘を刺し、教卓の上にある紙に手を伸ばした。
これからの学園生活を左右するクジ引きに、ゴクリと喉を鳴らす。
『どうか、私じゃありませんように!』と強く願う中、エミリア様は折り畳まれた紙を一つ手に取った。ガサガサと音を立てて、それを開く。
「図書委員から風紀委員に移って頂く方は────」
よく響くソプラノボイスが室内に木霊する中、運命の女神に選ばれたのは……。
「────シャーロット・ルーナ・メイヤーズ子爵令嬢です」
無情にも読み上げられた名前は私のもので……ガクリと首を垂れた。
脳内で私の名前が木霊する中、『そんなぁ〜!』と叫びそうになるのを必死に堪える。
果たして、これは運命の女神に愛されているのか、嫌われているのか……。
図書委員になれなかったのは百歩譲って、良いとしよう……だが、しかし!!風紀委員に選ばれるのは運が悪すぎる!何でよりによって、憎まれ役の風紀委員なんかに……いや、その言い方はさすがに失礼ね。でも、これ以上私の評判が下がるのは勘弁して欲しいわ……。
怪我をする心配など微塵もしていない私は溢れ出そうになる溜め息を何とか押し殺した。
ふと顔を上げれば、廊下側の席に座るグレイソン殿下と目が合い……『まあ、知り合いが居るだけマシか』と思い直す。
会釈程度に小さく頭を下げてから、改めて前を見据えた。
「委員会決めはこれで終了となります。ご協力ありがとうございました。各委員会の最初の集まりは明日の放課後になりますので、頭に入れておいてください。それでは────解散」
サイラス先生の代理として立派に司会進行を務めたエミリア様は授業終了を宣言する。
それを合図に、教室内はいつものようにガヤガヤと騒がしくなった。