魔法学
ソレーユ王国の第三王子にエスコートされるという、夢のような一夜が明け────また憂鬱な日々が始まった。
周りから煙たがられ、腫れ物扱いされる私は今日も今日とてボッチだ。
ただ一つ違う点があるとすれば、それは────心の有り様だろう。
私はもう姉の引き立て役なんかじゃない。平凡に振る舞う必要もなければ、実力を隠す必要もない。自分の将来と学園生活のために真の実力を発揮して、友達と未来の旦那様を勝ち取るのよ!
グッと拳を握り締め、決意を固める私は実力発揮計画に思いを馳せる。
そこに『面倒臭い』という感情はなく、『絶対に成し遂げてやる』という使命感とやる気だけがあった。
『念のため、予習しておこう』と一限目の教科書を開いたタイミングで、予鈴のチャイムが耳を掠める。
「────はい、皆さん席に着いて」
ガラガラガラと教室の扉を開ける音と共に、鈴の鳴るような声が鼓膜を揺らした。
教科書から視線を上げると、とんがり帽子を被った一人の女性が目に映る。
紺色のローブに身を包む彼女は毛先に緩やかなカールが掛かった茶髪を揺らし、教壇の上に立った。
「初めまして、私は一年生の魔法学を担当する────ビアンカ・ヴァイス・ブライアントです。これから、一年間よろしくお願いします」
赤みがかったオレンジの瞳を細め、ビアンカ先生は小さくお辞儀した。
穏やかに微笑む彼女に既視感を覚えながら、パチパチと拍手する。
何故だか、彼女には見覚えがある気がした。
なんか、どこかで会ったことあるような……?いや、初対面なのは間違いないんだけど、誰かに似ているというか……。
『う〜ん……』と小さく唸りながら考え込む私の脳裏に一人の青年が思い浮かぶ。
柔和な笑みがよく似合う茶髪の美青年もまた────『ブライアント』という苗字だった。
あっ!そうだわ!アイザック様に似ているんだ!だから、こんなに既視感を感じて……!
苗字も雰囲気も同じだし、姉か従姉と言ったところかしら?
「既に勘づいている方も居ると思いますが、生徒会会計のアイザック・ケネス・ブライアントは私の弟です。大変優秀で自慢の弟ですが、学園内では生徒と教師として接しているので、そこら辺は配慮して頂けると助かります」
遠回しに『アイザックとの橋渡し役に使うな』とキッパリ言い切ったビアンカ先生は肩を竦める。
その手の案件で何度かトラブルがあったのだろう。侯爵令嬢である彼女が一年生の魔法学を担当するようになったのも、それが原因かもしれない。
生徒会のメンバーとお近付きになりたい生徒はたくさん居るものね。その中には手段を選ばない者も居るし……。
おまけにアイザック様はレオナルド皇太子殿下と個人的に仲がいいから、仲良くなっておいて損は無いわ。
優秀な弟を持つビアンカ先生の苦労が目に見え、私は苦笑を浮かべる。
クラスメイトの約半分が同情の眼差しを先生に向ける中、彼女は空気を変えるようにコホンッと咳払いした。
「自己紹介はここら辺にして、早速授業に入りましょうか。それでは、まず基礎の確認から」
白のチョークを手に取ったビアンカ先生はせっせと黒板に文字を書き込んでいく。
その後ろ姿を見つめながら、私は『ようやく、この時が来た!』と密かに歓喜した。
キラキラと目を輝かせる私を他所に、茶髪の女性がこちらを振り返る。
「魔法には四つの種類があります。魔術・言霊術・召喚術・祈願術……それぞれの特性を簡潔に答えられる方はいらっしゃいますか?」
挙手を求めるビアンカ先生の言葉に、私はいち早く手を挙げた。
積極的な姿勢を見せる私に、クラスメイトは大きく目を見開く。
根暗で、消極的だった数日前の私とは思えず、驚いているようだ。
「意欲的なのはいいことです。それでは、そこの貴方答えてください」
私の噂を知らないのか、それとも噂に興味が無いのか、ビアンカ先生は落ち着いた様子で私を当てる。
汚名返上のチャンスだと沸き立つ私は勢いよく立ち上がり、嬉々としてこう答えた。
「魔法陣を使うのが魔術、詠唱を必要とするのが言霊術、精霊や聖獣の力を借りるのが召喚術、そして────願うだけで異能を発揮するのが祈願術です。補足になりますが、祈願術は扱える者が極端に少ないため、幻の魔法と呼ばれています。魔導師の中には祈願術こそ、真の魔法だと考える者も居るみたいです」
「はい、正解です。もう座って頂いて構いませんよ」
柔らかい表情で頷くビアンカ先生に促され、私は椅子に腰を下ろす。
すると、私の行動に目を剥いていたクラスメイトがハッとしたように正気を取り戻し、慌てて前を向いた。
あくまで今回の質問は魔法学の基礎に当たるものなので、凄いと絶賛されることは無い。
でも、『昨日までの私とは違うぞ』とアピールすることは出来ただろう。
今度は難易度の高い質問に答えたいものね。出来れば、実践もやらせてくれると良いのだけれど……。
「彼女の言う通り、祈願術は扱える者が極端に少なく、不明な部分が多いです。なので、私が皆さんに教えられるのは魔術・言霊術・召喚術の三つのみとなります。祈願術は知識として少し教える程度なので、あまり期待しないでくださいね。それでは、教科書十九ページを開いてください。今日は簡単な魔術をやって、終わりましょう」
私の心情を知ってか知らずか、『魔術の実践をやる』と宣言した茶髪の女性は黒板に大きな円を描く。
そして、その中に数字や文字を書き込み始めた。
パラパラと教科書のページを捲った私は十九ページに描かれた魔法陣に目を細める。
光属性の魔法陣ね。ロウソク代わりに使う極々普通の魔術だわ。殺傷能力もなければ、周りに危害を加えることもない。
「皆さんもご存知かと思いますが、魔術に各属性の適性はあまり関係ありません。よっぽど、相性が悪くなければ、どの属性も使えます。ただし、相性の善し悪しで魔術の効果や魔力の消費量が変わりますので、そこら辺は気をつけてください」
魔術の注意事項を述べるビアンカ先生は黒板に魔法陣を書き終えると、チョークを置いてこちらを振り返った。
「今回使う魔法陣は光属性のものです。ロウソク程度の明かりが灯るだけですが、失敗する恐れもあるので決して気を抜かないように。それでは────準備が出来た方から、魔術を発動してください」
その言葉を合図に、生徒達が一斉に魔法陣を空中に描き始めた。
手のひらや指先から魔力で出来た細い糸を放出し、それで魔法陣を構築していく。
基本的に魔法陣は己の魔力で描いたものじゃないと発動しないため、こうやっていちいち魔法陣を構築しないといけない。これが魔術の最大の欠点であり、面倒臭い点でもあった。
魔術は細かいコントロールや効果の指定が出来るため便利だが、戦闘向きではない。
だって、魔法陣を描き終わる前に絶対に殺られちゃうもの。だから、普段は多用しないんだけど……授業なら仕方ないわね。
『ふぅ……』と息を吐き出し、私は手のひらを天井に向ける。
そして、細部まで完全に記憶した例の魔法陣を思い浮かべながら、構築を始めた。
複数の糸で魔法陣を描いているせいか、見る見るうちに魔法陣が出来上がる。
他の生徒より一歩出遅れたと言うのに、誰よりも早く魔法陣を完成させてしまった。
「う、嘘……早すぎて見えなかったわ」
「しゃ、シャーロット嬢って出来損ないなんだよな?」
「そ、その筈だけど……」
「でも、あれが出来損ないなんて有り得ないだろ!」
ざわざわと騒がしくなった教室内で、私は一人満足げに笑う。
格下だと決めつけていた私からの下克上に、クラスメイトは動揺を隠せない様子だった。
思わず作業の手を止める彼らを前に、私は『もう一押しだ』と、魔法陣を発動させる。
私の髪色と同じ紫色の魔法陣は僅かに煌めき────眩いほどの白い光を放出した。
あまりの眩しさに、この場に居る誰もが反射的に目を瞑る。
C組の教室を白い光が満たすこと一分……魔術の効果時間が切れたのか、眩い光はパッと消えた。
規定の魔力量より少し多めに魔力を込めただけだけど、まさかここまで効果が跳ね上がるなんて……これはちょっと予想外ね。
ロウソク程度の明かりとは到底思えない魔法の効果に『ちょっとやり過ぎたかな?』と反省していると、ビアンカ先生がのそりと一歩前へ出た。
呆然とした様子でこちらを見つめる茶髪の女性は驚愕を露わにし、額に手を当てる。
「有り得ない……生活にも使われる一般的な魔術でこれほどの光が出るなんて……私が見た限り、魔法陣に不備は見られなかった。となると、考えられる可能性は二つ。よっぽど光属性と相性が良かったか、もしくは────彼女の持つ魔力がかなり強力だったか……」
独り言のようにボソボソとそう呟くビアンカ先生は『信じられない……』とでも言うように首を左右に振る。
そんな彼女の反応にクラスメイトは困惑を示し、『魔法陣に不備があった訳じゃないのか?』とザワついた。
さすがはフリューゲル学園の教師とでも言うべきか、ビアンカ先生は鋭いわね。
彼女の言う通り、私の魔力はかなり強力だ。しかも、量も多い。
私達の体内に存在する魔力は空気中のマナと酸素を取り込み、それらを掛け合わせることで誕生するエネルギーだ。
マナと酸素の比率やエネルギーの変換速度は人それぞれで、個人差が大きい。
マナの濃度が高いほど魔力の質は良くなり、心臓の中にある魔臓が大きいほど魔力量が多くなる。
そして、どういう訳か、私は高濃度のマナが秘められた魔力を持っており、魔臓も大きかった。
「あ、貴方……お名前は?」
私のことを指さし、ビアンカ先生は掠れた声で名前を尋ねてくる。
このことを上に報告するため、私の名前を知っておく必要があったのだろう。
ビアンカ先生は私に偏見を持っていないようだし、悪いようにはしない……と思う。
まあ、なんにせよ名前なんて隠しても直ぐにバレるのだから、素直に答えよう。
「シャーロット・ルーナ・メイヤーズですわ」
「メイヤーズ……ということは、スカーレット嬢の妹さんですか?」
アイザック様と同じ質問をする彼女に既視感を覚えながら、私は『はい』と答える。
すると、ビアンカ先生は『あぁ、なるほど』と納得したように頷いた。
どうやら、彼女は姉のことをよっぽど高く買っているらしい。
「スカーレット嬢の妹さんなら、桁外れの力にも納得が行きます。まあ、それでもかなり非常識な力だと思いますが……」
呆れ半分感心半分といった様子で溜め息を零すビアンカ先生は一度姿勢を正し、ピンッと背筋を伸ばした。
────と、ここで授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「それでは、今日の授業はここまでとします。各自復習を欠かさないようにしてくださいね」
まだ動揺が抜けない生徒達を置いて、授業を終了したビアンカ先生は『それじゃあ、また明日』と言ってこの場を後にした。