新入生歓迎パーティー
「シャーロット・ルーナ・メイヤーズ子爵令嬢、君をエスコートする栄誉を俺にくれないか?」
上目遣いで私を見上げるグレイソン殿下は黒の革手袋がはめられた手を差し出す。
一国の王子に相応しい風貌を持つ彼はやはり綺麗で……自然と胸が高鳴った。
こ、これってパートナーのお誘いよね……!?どうして、私なんかに……まさか、ボッチの私を哀れんで……!?
いや、でも……グレイソン殿下ってそんな優しいタイプの人間じゃないわよね。
かなり失礼な考えが脳裏を過ぎるが、私の取れる選択肢は最初から一つしかなかった。
「はい、喜んで」
微笑んで頷いた私は差し出された手に、自身の手を重ねる。
王子の誘いを断る理由も度胸もない私は殿下のエスコートをお受けした。
『感謝する』と言って立ち上がった黒髪の美青年は重ねた手を握り直し、パーティー会場の扉へと向かう。
大きな布が垂れ下がった扉は開けっ放しの状態で、入退場は自由だった。
グレイソン殿下の隣に立つ私は『これは一夜限りの夢だ』と自分に言い聞かせる。
分不相応な夢だとは思うが、一人で入場するよりずっとマシだった。
僅かな期待と不安を胸に抱いて、第二ホールの前に立つ。
「気をつけて入れ」
扉に垂れ下がる布を手で押さえ、グレイソン殿下は中へと促した。
きちんとエスコートしてくれる彼に礼を言いながら、新入生歓迎パーティーの会場へと足を踏み入れる。
多くの生徒で溢れ返るそこは入学式の会場だったとは思えないほど、豪華になっていた。
天井から垂れ下がるシャンデリアに、会場の隅に設置されたソファやテーブル、それから音楽を奏でるオーケストラ。
下級貴族が開く下手なパーティーより、ずっと派手で煌びやかだ。
さすがはフリューゲル学園と言うべきか、力が入っているわね。ここまで本格的だとは思わなかったわ。
想像の三倍は豪華なパーティー会場に気後れする中、グレイソン殿下は完璧なエスコートで私をステージ前へと導く。
私達を見掛けた生徒達は隣国の第三王子と出来損ないの子爵令嬢という組み合わせに目を剥くが、表立って詮索することはなかった。
何故なら────ステージ上には既に新入生歓迎パーティーの始まりを宣言する代表者が居るから。
新入生歓迎パーティーの挨拶は新入生代表として入学式で挨拶した人……つまり、入学試験で最も高い点数を収めた秀才が務めることになっている。これは毎年恒例のことで、フリューゲル学園の伝統に近かった。
「えー……では、皆さん。パーティーの開始時刻になりましたので、早速挨拶の方を始めたいと思います。乾杯の挨拶は僭越ながら、私が務めさせていただきますわ」
ステージの中央に立つポニーテールの女性は美しいソプラノボイスを会場に響かせる。
堂々とした立ち振る舞いで私達の前に立つ彼女こそ────トップの成績で入学を果たしたエミリア・キャンディス・ダーズリー公爵令嬢だった。
彼女はダーズリー公爵家のご息女で、凄く真面目な方だと聞いている。
色素の薄い茶色の髪はサラサラで、強い意思が窺えるエメラルドの瞳は凛々しい。
顔立ちは少々地味だが、清楚な感じで好感が持てた。
エミリア様は私のクラスメイトで、私をあからさまに避けたりしない数少ない人物だ。まあ、積極的に話し掛けたりもしないが……恐らく、私がどういう人物なのか、見極めている最中なのだろう。彼女はとにかく真面目な人だから。
難しい言葉を並べ立て、長ったらしい挨拶を口にするエミリア様は手に持つグラスを胸元辺りまで上げる。
乾杯の挨拶もいよいよ終盤みたいだ。
「このパーティーを通して、皆様の親睦がより一層深まることを願います。どうぞ、素敵な夜をお過ごしください。それでは────乾杯!」
「「「乾杯!」」」
パーティー開始を宣言したエミリア様がグラスを高く掲げれば、あちこちからグラスのぶつかる音が聞こえる。
静かだった会場内が瞬く間に賑やかになり、笑い声や話し声で満たされた。
開始時刻ギリギリに会場入りを果たした私とグレイソン殿下は互いにグラスを持っておらず、苦笑を浮かべる。
「とりあえず、飲み物でも取りに行くか?」
「ええ、そうしましょう」
殿下の提案に頷くと、私達はステージ前を離れ、会場の隅へと向かう。
テーブルの上に置かれたグラスから適当なものを選び、それぞれ手に取った。
本来であれば、テーブルから直接グラスを取るのはマナー違反だが、今回は無礼講なので誰も気にしない。
「一応、乾杯しとくか?」
「そうですわね」
無礼講とはいえ、乾杯もせずに飲食を始めるのは憚られ、私と殿下は互いにグラスをぶつける。
カンッという音が鳴り響く中、私達はグラスに口をつけた。
中身は果実酒のようで、甘酸っぱい味と香りが口内に広がる。
「弱いな……」
「子供用に用意されたものですからね。二日酔いになって、明日の授業に支障が出ては大変ですし、その辺は配慮したのでしょう」
アルコール度数の低さに眉を顰めるグレイソン殿下は果実酒を一気に飲み干し、近くのボーイにグラスを渡す。
強いお酒が好きなのか、ノンアルコールと大差ないお酒に不満を露わにした。
『ジュースを飲んでいる気分だ』と文句を言う彼に苦笑を浮かべながら、多彩な料理が並べられたテーブルに歩み寄る。
ローストビーフを小皿に取り分けて黒髪の美青年に渡せば、彼は黙って食べ始めた。
お酒はちょっと残念だったけど、料理は学園お抱えの一流シェフが作ったものだし、舌の肥えた殿下の口にも合うでしょう。
これで少しは機嫌が直ると良いのだけれど……。
意外と世話の焼けるグレイソン殿下の機嫌を取りながら、果実酒を飲んでいると────不意にオーケストラの演奏が始まった。
軽快な音楽と共に生徒達が壁際へ寄り、会場の中央を空ける。
そこへエミリア様と彼女のパートナーが躍り出た。
新入生歓迎パーティーのダンスは新入生代表とそのパートナーから始まるようになっている。
そこから二位のペア・三位のペアと続き、五位のペアまで加わったら、他の人達も自由に躍ることが出来た。
エミリア様のペアがクルッとターンを挟んだところで会場の奥の方から、二位のペアが歩み出る。
美しい音色と共に二組のペアが軽やかなステップを踏んでいく。
他の生徒達が彼女らに羨望の眼差しを向ける中、グレイソン殿下が私の手からグラスを奪い取った。
『えっ?』と声を上げる暇もなく、彼は近くのボーイにグラスを押し付ける。
「行くぞ」
「はい……?」
行動の意図が読めず、首を傾げる私だったが、殿下は遠慮なく手を引っ張る。
そして、エミリア様達が見事なダンスを披露する会場の中央へと歩み出た。
「えぇ……!?ちょっ、これは一体……!?」
思わず大声を上げる私の脳裏に『グレイソン殿下は他国の人間だから、フリューゲル学園の慣習を知らないのかもしれない……』という考えが過ぎる。
最悪の事態を想定し、サァーッと青ざめる私にグレイソン殿下は僅かに首を傾げた。
「何を考えているのかは分からないが────お前は入試三位の俺とペアになったんだから、きちんとダンスに付き合ってもらうぞ」
「えっ……?入試三位……?」
聞き捨てならない単語にピクッと反応を示し、そう聞き返せば、グレイソン殿下は何でもないようにコクリと頷く。
「ああ、そうだ。言ってなかったか?」
『そんなの一言も聞いてませんよ!』という言葉を何とか呑み込み、深い溜め息を零した。
無自覚に私を振り回すグレイソン殿下に、ジト目を送り、静かに抗議する。
でも、黒髪の美青年には首を傾げるだけで私の意思は伝わらず……そのままダンスを始めた。
陽気な音楽と共にステップを踏む彼は私の腰に腕を回し、そのまま抱き寄せる。
「ちゃんと俺についてこい」
そういうや否や、黒髪の美青年は一気に踊りを激しくした。
他のペアなんて霞んで見えてしまうくらい、華麗な足さばきを見せつける。
自重を知らないグレイソン殿下に呆れながら、優雅な足運びで彼のリードについていった。
ここで完璧に踊り切ったところで、『グレイソン殿下のリードが上手いだけ』と言われるだろうけど、もう手は抜かない。本気を出すって決めたから。
ギュッと彼の手を握った私は品を損なわない程度に振りを大きくし、軽やかにステップを踏んでいく。
他のペアがどんどんダンスに加わってくる中、私達はクルリとターンした。
向かい合ったところで黒髪の美青年に抱き寄せられる。
抱擁と言っても差し支えない距離まで近づいたところで、音楽が止まった。
どうやら、一回目の演奏が終わったらしい。
直ぐそこにある端整な顔にドギマギしていると────周囲から歓声が上がる。
何事かと思い、辺りを見回せば『素晴らしいダンスだった』と、あちこちから拍手が巻き起こった。
彼らの視線の先には私とグレイソン殿下が居る。
言うまでもなく、彼らに絶賛されているのは私達で……僅かに頬が赤く染まる。
グレイソン殿下に向けた賛辞がほとんどでしょうけど、私も褒められているみたいで嬉しいわね。
割れんばかりの拍手と歓声に包まれた私は頬を緩め、柔和な笑みを浮かべた。