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ただいま  作者: 小松 愛梨
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「灯、そこで何をしているの、人間は?」


 柱の影から灯の様子を見ていると、障子の向こうにチラリと女の姿が見える。既に面はつけておらず、獣面の口から牙がギラリと覗いている。


 灯は黙ったまま首を横に振り、元来た部屋を指さした。


「逃げたとは言わないわね?」


 黙ったまま首を傾げる灯に、焦れたように女達はゾロゾロと部屋から出て来た。桃の隠れた柱の前を通り過ぎていく。

 身動き一つせずに耐えていると、丁度柱の前で女の一人が立ち止まった。


「どうかした?」


「いや......」


 すぐ近くで聞こえる獣達の声に、心臓がバクバクと音を立てる。自分で鼓動が聞こえるほどに大きくなるそれを、口に手を当てて抑えつける。


 ミシミシと、獣の重量に桃では鳴らなかった木の音が響き一歩ずつ迫っていることを背中に感じる。ミシッ、ミシッと近づくごとに獣臭がする。その悪臭にさっき吐き切った胃の中身がまた逆流してくる。


「......っくしゅん」


すぐ近くで大きなくしゃみの音が聞こえた。


「あらまぁ、随分可愛らしいくしゃみ。喋らずともくしゃみは出るのね」


 桃の少し手前にいた灯のくしゃみに女達がしゃがれた声で皮肉気に笑う。


「灯に人間の臭いが移っているのでしょう。早く行くわよ。万が一、人間が逃げた時は、灯、お前の番だよ。作り物とて、食感ぐらいは楽しめるでしょう」


 女達の足音が遠くなる。あまりの安堵に思わず腰が砕けそうになり、しゃがみ込んだ。

 胡椒の匂いか、人間の臭いか、あの獣達は臭いにつられていた。いつまた誰が通るともわからない。早く動かなくては。

 恐怖に笑いそうになる膝を叩き、なんとか左の角を曲がり次の角へと歩き出した。


✳︎


 一人で再度歩き出してから、屋敷の違和感に気がつく。着いたときは煌びやかな灯に彩られた清潔な廊下だった筈だが、今は薄暗く、天井の端には蜘蛛の巣が張って見える。


 シンと妙に静まり返った廊下には、気をつけて歩いても桃の足音が響く。自分の足音にも怯えながら急く気持ちを抑えて、音をなるべく立てないように慎重に歩いた。一人で歩く廊下はひどく長く感じる。ようやく3つ目の角が見えたと、息を吐いたところで、背後の気配に気がついた。


 ヒタ、ヒタヒタ。


 桃が歩くスピードに合わせて、同じ足音がついてきている。走り出したら怪しまれるかと思うと、走り出すこともできない。


 ヒタヒタヒタヒタ。


 何がついて来ているのか、振り返ることもできたいまま、もうすぐ角を曲がろうというところで、肩にズンと重みを感じた。


「何をしている」


ゆっくり振り返ると、もう隠す気もないのだろう二足歩行の狐が涎を垂らしながら桃の肩に手を置いていた。恐怖のあまり一瞬遅れそうになる足を叩いて、すぐに駆け出す。


「まて、おい。誰か!人間が逃げたぞ!」


その叫び声にザワと屋敷が揺れた気がした。なんとか3つ目の角を右に曲がり最後の角を目指すも、先程までと違いどこかしこから影が、気配がすぐそこまで迫っていることを感じる。

 大会の時よりも速く、速く。生存本能がもっと早く走れと急き立てる。


 ようやく最後の角を曲がろうとした瞬間、

『ぬっ』と先ほどよりもさらに大きくなった男が現れた。


「ひっ」


あまりの驚きに短くて悲鳴をあげる。


「そんなに怖がらないで。このお面が怖いかい」


 気遣わしげで、優しげなその声が、状況とあまりに乖離しており、酷く不気味だった。


「さぁ戻ろう。広間でみんな待っている」


大きな手を桃に向けて差し出して、桃の首をグッと掴んだ。


「苦し......っ」


そのまま上へと持ち上げる。重力によって益々締まる桃の首に意識が飛びそうになりながらも、灯との計画通り、手元のクラッカーを鳴らした。


パン、と発砲音が響く。続いて火薬の臭い。


 「銃だ!!!」


 一瞬の静寂の後、屋敷はたちまち阿鼻叫喚の様相を呈した。男も桃から慌てて手を離し、距離を取る。


 その隙を逃さず桃は角を曲がり玄関へと走り出した。

 ぐにゃり。と空間が歪む。足元が揺れながらも『玄関からしか出られない』という言葉に忠実に玄関を目指した。


 クラッカー音を苦手な銃声と勘違いした獣たちは、屋敷の状態を保てず思い思いの所へと逃げる。


ようやく玄関に辿り着くと、既に待っていた灯が桃に「早く!」と手を伸ばした。


 迷わずその手をとり一緒に走り出した。外に出てみれば立派に見えた屋敷もボロボロで、獣道が続いているように見えた森は、高い草の生い茂る平原だった。


 ハードル走をやっておけば良かった、と後悔しながらも足元の悪い道を走り続けた。

 灯に手を引かれながらも背後に目をやれば、面の大男がゆらゆらと揺れながらこちらに向かってくる。最初はゆっくりと、段々速く。


 ゆらゆらした動きが初動だったのでは、と思い至りゾッと鳥肌が立つ。追いつかれないように速度を上げて駅の入り口のある神社に向かう。


 行きと同じぐらいの距離を走った頃に、神社が見えてきた。桃が登ってきた階段は無く、あるのは井戸のみだ。


「煙草に火をつけて吸って、吐いて、井戸に飛び込んだら元の場所に戻れるはず」


 随分、詳しく知っているものだと、桃は怪訝に思う。怪しく思ったものに見ないフリをしたから、こんな状態になってしまったのだ、助けてくれるとはいえ、疑問は解消しておいたほうが良い。


「あの、なんで帰り方がわかっているのに、帰らなかったの?」


「私は、息が無いから。煙草を使って帰ることはできない。そして、煙草をもってここに来た人間は今までにいない。少なくとも、前の私のご主人はこの方法で帰っていた。私は落とされてしまったけど」


本当にここに飛び込むのか、と井戸の中を覗く。暗くて底が見えそうに無い。灯の言うご主人はここから本当に帰れたのだろうか。それは本当に元の世界なのだろうか。


 男のゆらゆらとした影がもうすぐそばまで迫っている。例えどんな世界だろうとここで喰い殺されるよりはましだろう。

 そこで、ハタと自分がマッチの付け方をわからないことに気がついた、そういえば教科書で見たことがあるだけで実際に付けたことはない。


「梅、梅。怖いことは何にもないんだよ。帰っておいで」


 明らかに人ではない獣の姿で、二足歩行のまま鋭い爪の付いた手を差し出す。灯が黙ったまま、桃を守るように立ち塞がっている。


「灯、梅とこっちに来なさい。今なら許してあげる。そうだ、話せるようにしてあげよう。そうしたら屋敷の者とも打ち解けられるだろう」


 男は焦れた声音で少しずつ桃たちに近寄ってくる。その間にもマッチの火を付けられず狼狽えることしかできない。

 中々火をつけない桃を灯が訝し気に見つめ、マッチの箱を取り上げた。


 二人の気が男から逸れると同時に、男は二人へと距離を詰める。

 灯がマッチに火をつけるのと、迫った男が桃の髪をひっぱりあげるのは同じタイミングだった。


「梅!」


咄嗟に声を上げた灯は瞬間、姿をキーホルダーへと変える。


「ああ、灯が元の姿に戻ってしまった。梅のせいだね。でも大丈夫。灯は美味しくないけれど、梅のためだ、寂しくないように一緒に食べてあげよう」



 ゾワッと体中の毛が逆立つのを感じる、恐怖と嫌悪感がない混ぜになりながらも男に掴まれた髪を引きちぎり、もう一つのクラッカーを鳴らした。

パン、と軽快な発砲音が境内に響く。

 男が一瞬怯んだ隙に、灯の見様見真似でマッチに火をつけた。そのままポケットに入れていた煙草に火を移す。


「ゴホッゴホッ」


 大きく吸い込みすぎて勢いよくむせ、もう一度軽く吸い、吐き出しながら井戸の中へと飛び込んだ。


✳︎


ガクッ、

と首が落ちたことで目が覚めたことを知る。

慌てて辺りを見回すと、そろそろ最寄駅に着く、というところだった。すごく長い夢を見ていた気がする。


ふと気がつくと、いつの間にかセーラー服が有名なアニメキャラクターのキーホルダーを握りしめていた。首を傾げながらもカバンにつける。いつ、誰にもらったものなのか思い出せないが、大事なものだったような気がした。


 帰宅ラッシュの波に乗り、改札でICカードをタッチするも、乗車記録が無いと弾かれてしまった。

 仕方なく、乗ってきた駅名を伝えて駅員さんに処理をしてもらう。いつもより少し愛想の悪い駅員さんにお礼を伝えて、改札を抜け家路についた。


「ただいま」


「おかえりなさい、梅、遅かったね」

なんとかホラー2020に間に合ったので、ギリギリですが、初投稿になります。

宜しくお願いします。

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[一言] 桃じゃない。ヤバ。
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