魔王国へ留学⑧ 街路のガス灯と公使館
公使閣下と一緒に館に向かう一同。
さすがに日没近くなり暗くなってきたが、
大通りを通るとガス灯がついており、
少し明るく幻想的な光景であった。
「これを見るのは初めてかね?
これはガス灯と言うらしいよ」
「公使閣下。
ガス灯が既にあるのですか?
魔王国には」
「初めての試験としてこの表通りのごく一部だけだけどね。見ての通りさ。
彼らは石炭から出るガスを回収して、
燃料として灯りに使っているらしい。
硫黄臭いのもその影響もあるかもしれないが
驚くばかりの技術力だ」
「…そんなに進んでいるんですね」
「夜間の通行が便利になり犯罪が減って商店街も賑わっている」
公使閣下が説明する。
それに驚くエリオス君。
ガス灯は比較的高度な技術である。
これは魔王国が既に近代の技術を取得している事を表していた。
初期の照明灯は1,417年サー・ヘンリー・バートン ロンドン市長が
オリーブオイルや魚油などから照明として照らし始め、
1,797年、ウィリアム・マードックは彼の新しい家と
彼が働いていたワークショップにガス灯を設置した事がきっかけになった。
18世紀末の話である。
それから家庭用、公共用として安価な石炭ガス灯が
徐々に普及していくのであるが、史実ではそれはまだ数十年後の話である。
他の一同は、ガス灯を見るのが初めてなので、
夜でも灯りがともる街道に驚きを感じている。
その幻想的な明るさは、文明の力を際立てている。
「すごい。夜でも道が明るいや」
「相当の金がかかっているだろうが、
24時間交代で勤務する労働者には好評である。
ろうそくや魚油で作るととても高価だろうが」
「それだけ沢山の石炭が乾溜されて、
コークスとして使われているのでしょう。
そしてそのコークスは製鉄業や蒸気機関に使用される、と」
「そうだ。流石だ。
詳しいな。エリオス卿」
「本で読みましたので…」
「本?そんな本が既に実在していたのか。驚きだ」
公使閣下の反応を横目を逸らしながらスルーするエリオス君。
しかしガス灯は羨ましい技術である。
簡単に真似したり実現する事は難しい。
まずコークス炉や回収する技術と設備がいるのだ。
「エリオス様。
これをロイスター王国でも欲しいです…」
「シルヴィ君、ティアナさん。
贅沢を言ってはいけません。
我が国は原料の石炭のコークス化をやっと始めた所です。
コークス炉から石炭ガスを回収する技術はまだありません。
そしてコークス炉からガス配管を設置し引っ張ってこなければならないです。
かなりの工事が必要です」
「でもエリオス君。
ガスを集めて、ランプにすれば出来るのじゃない?」
「火力が弱いですよ。
常圧ガスではタンクに殆ど内蔵できませんし、高圧ガスはとても無理。
それにガス状だと体積がかさむので持ち運びに不便です」
「うーん。魚油やろうそくに負けるわね」
「とは言え、製鉄業が始まったら考えてみましょう。
王都くらいは」
「先の長い話だけど楽しみにしているわ」
ガス灯をロイスター王国で実現しようと思ったら、
色々な課題が出てくることに気がつく。
コークス炉と燃料の確保、ガスの供給チューブ配管とガス漏れ懸念、
硫黄と汚れの問題、メンテナンスなどなど。
理屈では分かっていても、実現するまでに相当苦労するであろう。
もっとも、コークス炉から直ぐ近くであればさほど難しくないのであるが、
当然場所と安全などが課題になる。
それを運搬する金属容器や配管も含めて。
そして館に到着する。
かなり大きい、3階建ての立派な館である。
どうやら魔王国はかなり厚遇して建物を律儀に選別したに違いない。
しかし問題はロイスター王国側の人手が足りなかった事であろうか、と。
「凄い館ですね」
「そうだな。
確かに、立派な建屋であろう。
だが手入れ出来ていなくてな」
「…公使閣下」
「なら、まずコックのジェミリールは
食料の確認と調理をお願いね。
ティアナちゃんはジェミリールを手伝ってほしいの」
「承知しました。お嬢様」
「うん」
「それから他の人は、掃除」
「えー」
「文句をいわないの。
さあ片付けましょう」
「…エリカお嬢様」
状況を把握した一同と特にエリカお嬢様は
テキパキと仕事を片付けようと着手する。
しかし、館が立派ゆえに掃除は大変だった。
一同が休憩すると、長旅の疲れが出てきたのかぐったりしてそのまま夕食に入る。
手元にあった食材の関係からシンプルな料理であったが、
味付けはしっかりロイスター王国貴族向けであり、おいしかった。
久しぶりの故郷の味を嬉しそうに堪能する公使閣下。
「ご相談があるのですが、公使閣下」
「なんだね。エリオス卿」
「魔王国の知り合いのツテに相談して
メイドさんを雇いましょう。
それから食料品の調達や、人員を国元に要請しましょう」
「…卿の言う通りだ。
是非協力をお願いしたい」
「承知しました」
「しかしこれからこういう旨い母国の料理を毎日
食べられる様になるのは実に幸せだな」
「あの、公使閣下。
僕等が留学生であり、そのうち帰国する事もお忘れ無く」
「…ならそのコックだけでも置いていってくれ」
「アラ、それはお断りするわ。閣下。
頑張って国元からちゃんと呼び寄せて雇用することね」
「とほほ」
人手と雇用に関しては、一時的には協力できるが
エリオス君達が帰国する日以降は公使閣下が自分で雇用して頂くしかない。
本人に努力して頂くしかないだろう。
それはそれとして、とりあえずおいしいご飯にありつけた
公使閣下は大変ご満足な様子であった。
日頃、どんなご飯を食べていたのだろうかと思ったエリオス君である。
「所で、後日魔王陛下への謁見があるらしいが、
先方はエリオス卿をご指名だ。
当然、一同で参加してほしい」
「…承知しました」
「さすがに嫌とは言えないわね」
「新聞記事にしても良いですか?」
「君が新聞記者のニール君だね。
機密に触れないように事前に内容を検閲させてもらうが良いか?」
「問題ありません。
ありがとうございます」
「…確かに手記を書いて本にしたら儲かるかも知れませんね、これは」
ニールさんは目的である新聞記事に着手する許可をもらう。
ギルド宛に手紙で記事を書いて、新聞を発行してもらう手筈になっている。
大陸封鎖で事実上鎖国状態の魔王国の貴重な情報は
将来こうして各地に喧伝される事になる。