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聖書の訳本と神学部ウィリエルさんと「贖宥状」

 翻訳した聖書を持って神学部の研究所に向かう。

マーガレット教授とウィリエルさんに報告する為である。



「こんにちは。マーガレット教授とウィリエルさんいらっしゃいますか?」

「これはエリオス君。

 ようこそ。

 戦争に行ったと聞いたけど無事で何よりですわよ」


 神学部のマーガレット教授が暖かく迎えてくれる。

やはりこの教授はとても優しい。まさに神の下僕である。

ウィリエルさんさえいなければここにずっといたい気持ちが出てくるのであるが、


「ああ、エリオス殿。

 神の使徒であり救世主よ。

 よくぞいらした

 此度の戦の勝利も神の思し召しです」

「・・・ウィリエルさんも相変わらずですね」


 少々ドン引きのエリオス君である。

ここにいるとウィリエルさんに絡まれるから

出来るだけ遠慮したい気持ちは今も変わらない。

ウィリエルさんは黙ってさえいれば、18歳位でいかにも神父な姿で

メガネを掛けてキリッとしたイケメンであるが。

実に残念で惜しい人だ。



「今日こちらに来ましたのはコレです。

 聖書の翻訳書が出来たのでお持ちしました」

「・・・これが、聖書の訳本」

「ウィリエルさんに翻訳して頂いた本です」

「素晴らしいわ。エリオスさん。

 読みやすいし活字が美しいです。

 非常に良く出来ています」

「ありがとうございます。マーガレット教授。

 どんどん増販して、皆に読んでいただければと」

「それは素晴らしい事です。

 神の教えを広めるには申し分ありません」


 喜ぶマーガレット教授とウィリエルさん。

この人たちは本当に純粋に神学者で、神の教えを広める事に疑いはない。

しかしエリオス君の頭にあるのは商売の事である。

自分の浅ましさに心が痛いエリオス君。


「しかしエリオス君。

 一般家庭にはまだ書籍など無いでしょう。

 我々研究者が私財をはたいてやっとです。

 大学の図書館にしか無いくらい高価です」

「大学の図書館には確かに大量の蔵書がありました。

 でもそれは非常に限られた人だけしか読むことは出来ません」

「聖書の講義は我々研究者に委ねられています。

 古代語の聖書を読み、正しく理解して

 正しき内容と神の教えを、

 母国語によって神父や学生に講義するのです」

「僕は神の教義は翻訳された聖書によって、

 正しく民衆に読まれ伝わることを期待しております。

 皆さんと同じ言葉で同じ文字で理解出来る事ができればと」

 

 書籍を普及させたいのはエリオス君も同じである。

しかしまだ書籍は高価であった。研究者は古代語でかかれた聖書を

正しく翻訳し、理解し、解釈し、伝える事を仕事として研究していた。

どういう意図で書かれたのか?どういう言葉で伝えるか?

当時は古代語を読み書き出来る人はごく少数に限られている。

そして読み書き出来る識字率は非常に低い。

母国語で優しく民衆に語りかける必要があったのだ。


 しかし当時の教会は微妙に違っていた。

お前たちの両親は神への償いを果たせずに地獄の業火の苦しみにある、

お前たちを苦労して育てて、生活させて、財産も残した、

お前たちは地獄で苦しむ両親の為に何もしないのか?

金貨を一枚二枚、この箱に入れて「贖宥状」を買うことで

お前の親は地獄の苦痛から開放されて天国に行けるというのだ、と・・・


 当然、その様な事は聖書には書かれていない。

本人のみならず例えば死んだ親まで巻き込んで

説教者は「贖宥状」を持って売りながらそういう説教をしていたのだ。

神への償いを、詐欺師的な商法だと解釈する事は当時は出来なかった。

当時の人たちは聖書を読めない。だから説教こそが神の教えと信じていた。

そして民衆が安易に神の救いを求めていた。

旧教徒の教会の経済システムの一つに組み込まれてしまっていたのだ。

 

「エリオス殿。

 今日はもう遅い時間なので帰りましょう」

「ええ、ウィリエルさん」


 研究室を出て大学から外に出る時にエリオス君とウィリエルさんの

二人は一人の酔っぱらいに出会った。

庶民のエリオス君から見たら、酔っぱらいなど珍しくもない。

その時は大して気にならなかった。

庶民の世界ではごくありふれた日常であったのだ。


 しかしウィリエルさんから見たら堕落した一人の男である。

「清貧」たる神の教えを放棄しているとしか見えなかった。


「これそこの方。

 そんなに酔っ払って堕落していたら神の救いが得られませんよ。

 神の教えに従い清貧に、誠実に働きなさい」


 ウィリエルさんが言うと男は一瞬驚いた表情をするが、

直ぐに酔っ払いの表情に戻る。ニヤニヤと笑いながらウィリエルさんの顔を見て

一言つぶやいた。


「へへへ。

 これはこれは神父様。

 ワシは大丈夫でっせ。

 この「贖宥状」さえあれば天国へ行けるのさ・・・」


 そう男は言いながら小さな紙をウィリエルさんに見せる。

教会が販売していた「贖宥状」であった。

現代人のエリオス君は、教会のまた詐欺行為だと顔をしかめただけだが、

これを見た若い神学者であるウィリエルさんは途方もなく

大きな衝撃を受けた。大いなる怒りを感じた。

彼が進めてきた研究や教義はこの男には伝わっていなかった。

教会が間違った教義を行っている、と思い込んだ。


 彼は教義に一変の曇りもなくあまりにも純粋で誠実すぎたのであった。

そして聖書と神の教えに疑いを持たなかった。

だが世界は彼の思っていた姿とは違う形をしていた。

彼は長い間、苦悩する事になった。


そして世界はここから大きく壊れてしまったのである。

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