正月を実家にて② 活版印刷機と聖書の印刷
折角実家に帰ったので、まずは印刷機を組み立てる。
昔に王都で新聞を作るために作ったアレである。
初期のグーテンベルクの活版印刷機である。
プレス印刷機は部品があれば組立可能であるが、
問題の活版印刷の活字が無い。
活字は高さ方向の精度がないとインクが漏れてしまうので
精度良く大量に作るには、鋳型鋳造するしかないのである。
「活版印刷の活字が無いな。
王都で作って運搬するしかない。
大規模なプロジェクトになりそうだ」
一人でそうつぶやくエリオス君。
鋳造自体は難しい技術ではないものの、
1冊の本となると別である。
まして聖書になると文字数では二百二十万字位あるのである。
そして、重版するとなると活版の使い回しは出来ない。
全てのページ分の活版を保管して流用しなくてはならない。
並べ替えるなんて無駄の極地である。
「エリオス。次の機械は何なんだ?」
「お父様。
これが例の印刷機です」
「ほう、ついに来たか。
前に作った紙を使ってコレで印刷するのか?
で、どうやるんだ」
「凹凸のあるテーブルに活字を並べて、
インクを付けて上から紙を敷きます。
でゆっくりプレスして印刷します」
「中々難しそうな作業だな」
「位置がズレたり、インクが漏れると駄目です。
多少慣れが必要です」
「まあそこは練習するしか無いとして、
使い方はシンプルだな」
お父様に活版印刷機を説明する。
まだ完成前だが見つかってしまった。
まあそのうち使ってもらうので、
使い方を覚えてもらう必要はあるのだが。
「肝心の文字はどこにある?」
「実はまだ出来ていません。
王都で作って輸送するつもりです」
「輸送って、そんなに沢山必要なのか?」
「本1冊で推定10万文字は必要です。
そして聖書を印刷する場合、二百二十万字です。
20〜30冊分のイメージで考えています」
「・・・それは凄い規模だな」
話を聞いて驚くお父様。
そりゃそうだろう。
そんな膨大な活字を管理するのは大変だ。
しかし、一旦印刷を始めると膨大な本を作る事が出来る。
本自体はまだ高価だが、中産階級の手元に買える程度になるであろう。
まして文字数の少ない新聞なら更に安価になる。
「それをここで保管して印刷するのか?」
「そうです。お父様。
聖書を1冊づつ印刷して、皆さんに読んでもらいます」
「倉庫だけでは足りないな。
工場が幾つか必要になる。
当然人員も」
「聖書は、人の数だけ必要になります。
皆さんの信仰の支えになるでしょう」
「それは楽しみだな。
教会の偉い人の言葉ではなく、
個人で神の教えを読むことが出来るのか。
沢山の人が神の教えに触れる機会が増えるだろう。
よし、協力しよう。任せろ」
「ありがとうございます。お父様」
気前よく答えてくれるお父様であるが、
活版印刷はグーテンベルクが一生を掛けたプロジェクトである。
もっとも、グーテンベルクは商売のセンスが無かったらしく
スポンサーのフストが裁判で借金の抵当として設備を没収したのちは
大量の本が印刷されて販売されている。
フストが効率の良い量産体制を構築出来た為であった。
「お父様。
今、大学の神学部で聖書の翻訳を依頼しています。
活字を1ページづつ作成してこちらに送ります。
活字が届いたら、印刷をお願いします。
これは一大プロジェクトです」
「分かった。
しかし、活字を収入無く作り続ける金はあるのか?
エリオス」
「そのお金は・・・ 僕にはありません」
「俺が渡している給料と伯爵様の給金では足りないだろう。
俺は出資してやる。
まず本を1冊分、活字を作るんだ。
それを印刷して売って、そのお金で2冊めを作ろう。
段階的に出版していけば時間は掛かっても
最後は全部の聖書が出来るはずだ」
「申し訳ありません。お父様」
「たまには父親らしい事もさせろ。
お前のやりたいことを実現してやる。
もっとも俺に出来る事は人とお金を集めてくる事だけだがな」
グーテンベルクが42行聖書を出版したのは実に1450年頃のことである。
つまり、中世末期である。
出来ないことはない。
グーテンベルクの時代で印刷された聖書はラテン語であった。
一般の人には当然ラテン語は読めないし、識字率もかなり低い。
しかし、マルティン・ルターが1522年頃に新約聖書のドイツ語訳を行った。
そして聖書をラテン語から翻訳し、大量に配布することで
当時の宗教にインパクトを与え、宗教改革に繋がるのである。
この国ではそれは密かに迫っていたのであった。