第七話 帝都編 新宿 霞ヶ関
久し振りに長い夢を見ていた。しかし、あれを夢と呼ぶべきだろうか?普通見た夢は直ぐ忘れるものだが、その夢には質感、匂い、音、味覚、それら官能を震わせる全てがあり、現実の延長に感じた。サヤカは朝早くに家を出た。微睡の中で彼女が去る際に、金色の柔らかい感触を額に感じた・・・
障子硝子を透過した柔らかな光で目が覚めた。時計を見ると午前九時を過ぎている。前日に受け取った指令では夕方五時から調査を淀橋区新宿で始める予定となっていたので特に問題はない。即席味噌汁に湯沸かし機からお湯を注ぎ、冷蔵庫から簡単な惣菜と凶器に出来そうなくらいに固まったお米を取り出して温めた。夢のせいかしらんが味気ない混凝土色の食事だ。私は軽く腹筋をした後に携帯端末を起動させた。網際を開き検索で「ユメミ」と「共感覚」を鍵単語にして探した。が、検索をかけても、関係ありそうな項は意図的に施錠されており、内容を閲覧する事が出来ない。トモコに頼めば直ぐに分かりそうなものだが、面識もない組織の人間に手伝いを頼むのは危険だ。検索を続けると、一件だけ関連のありそうな項を開く事が出来た。それは貴族院図書館の項で、一冊「ユメミ」と「共感覚」に纏わる書物がある。だが、本の表紙は非表示。細かな内容も記されていない。本の表題は「神子と共感覚の文化学」というもので出版されたのは昭和十年代だ。よく見ると、貴族院図書館の所蔵本は閲覧資格を持つもののみに限定される、とある。閲覧資格の項目を確認すると、貴族院議員、華族、課長以上の中央官僚、一部民間企業経営者、もしくはそれらの閲覧資格を有する人物より紹介を受けたもの、とある。私の知り合いで閲覧資格を持ち紹介を頼めそうなのは組織の人間ではあるがハルオのみだ。貴族院図書館には閲覧許可持つ人物の一覧があった。試しに、ハルオの本名を打ち込むと確かに閲覧資格が確認出来た。限られた選択肢から鑑みるに、危険な道を取るしかなさそうだ。先ずはハルオに連絡を取らなくては・・・彼に電子郵便を送ると返事が直ぐに来た。
タチバナ
貴族院図書館に行き、本を閲覧するのに俺の紹介が必要とゐふ件についてだが、了解した。但し、一つ条件がある、タチバナが何を調べてゐるのかしらんが、俺も同伴する。それで構わないのであれば、明後日の土曜日、午前十時に貴族院図書館の前で待ち合わせやう。
ハルオも同伴となると、少し面倒だが、何かがゆっくりと繋がり始めている心持がした。ハルオが案外あっさりと快諾をしてくれたのにも驚いた。彼には、時期を見て事情を説明をしなくてはならない。
その後も様々な検索を通じてユメミに関する情報を調べたが、特に目立った内容のものは見つけられなかった。始業時間に近付いてきた。私は山手線に乗り国鉄新宿駅まで向かう。新宿駅前は様々な路線から吐き出される人で賑わっていた。仕事は新宿の駅前よりも繁華街から始めたいので、駅前の都電乗り場まで行き、伊勢丹裏へ向かった。そこから徒歩で昭和初期の雰囲気を残す松竹館、大東京などの映画館街を抜け新宿大通りに出た。通りは夕方前だというのに凄い賑わいだ。新宿は関東大震災以降に開発が頓に進んだ個性豊かな街だ。新宿大通り沿いに伊勢丹、三越などの百貨店を中心とした商業地区があり、北部には山手屈指の高級住宅街である百人町、南西部の四谷区辺りには新宿御苑、西部には丸の内摩天楼のさきがけとも言われる淀橋第二府心がある。かつて、ここには淀橋浄水場があった。そこは昭和四十年に閉鎖となりその跡地に開発が行われた。
視線の先に淀橋の高層建築群が見える。特に群を抜いてすらりと高い建造物は東京中央電波塔だ。朱色に塗られた鉄骨は薬師寺東塔の如く軽やかに聳え立つ。新帝冠様式を代表する現代建造物の一つであり、同時に安定成長期を象徴している。その塔を囲むように中高層の建築物が林立している。それらは古典的な伽藍の配置を参考に配置され、人工地盤と歩車分離のお陰もあり全体的に余裕のある計画となっていて心地良い。同時にここは近年新設された地下鉄環状線、帝都線の発着駅でもある。地下鉄網が少ない東京府民にとってこの建設は有難い。東京府庁を含む、幾つかの行政機関は手狭になった丸の内、霞が関から離れ淀橋に移り始めている。この地域が近い未来、更に重要になることが容易に想像出来る。
外は既に暗くなっており、新宿大通りは正月を祝う電飾の準備が施され始めていた。仕事を始めるのに良い時間だ。私は伊勢丹の化粧室で接眼を装着し、錠剤を飲んだ。先ずは手始めに京王線四谷新宿駅周辺の末広亭、世界堂界隈を調査した。次いで、帝都座を通り過ぎ、三越を散策する。疲労感を感じたので、私は一時間毎に軽い休憩を取る事にした。最初の休憩は三越裏の喫茶店街にある青蛾で珈琲を飲んだ。気を取り直し、角筈一丁目内の昭和を感じさせる第一劇場、赤風車、武蔵野館を調査し、二度目の休憩は中村屋で加哩麦餅を食べた。昭和の香りの残る新宿は反対側の淀橋との対比から、山手線の東側を旧新宿、西側を新新宿とも呼ぶ。旧新宿からは焦げ茶や、緑釉色を観じた。実際にそれらの色合いは建物の塗装や陶器板に使われていたので共感覚の観せる心象と合致する。
広範囲を調査し、可也多くの人達を観て来たが、「彼ら」は二名しか見つけられなかった。一人は既に報告済みで、一人は取り逃がしてしまった。中村屋の外に出ると、街には仕事帰りの勤め人で溢れていた。勤め人達はそれぞれに名のある銘柄の服を着ているが色調は似通って観える。その脇には薄汚れた亜細亜各国の浮浪者達、裏手には連れ込み宿や大陸出身の商売女がひそめいている。
足を伸ばし聚楽、二幸、その裏手の飲食店や置屋を調査した。が、特に収穫は得られない。私は気を取り直して山手線の高架下を抜け、淀橋第二府心へと向かった。大階段を登ると視界が開け、中央広場に出た。新宿駅西口から出て来る人々や大道芸人、若手の音楽家が演奏をしており、広場は賑わっている。視界の先には官庁や中央電波塔、旅館群に高島屋や紀伊国屋書店のような巨大店舗、それらの足元には公園、屋台が点在している。幾何学的な建造物の配置から、以前訪れた大阪の国宝四天王寺を思い出た。この府心景観は全体的に乳白色とも、黄土色とも言えぬ色合いだ。
終業時間まで新宿五大百貨店の残り三つ、松屋、高島屋と三中井を巡った。が、そこでも「彼ら」の発光色を観る事はなかった。人がここまで多いと官能が鈍るのであろう。結局、今日の仕事は「彼ら」を一人も報告する事なく終わった。疲労感を感じ、妙に酒を呑みたい気分だ。そう言えば、淀橋広場旅館に良い呑み屋があったはずだ。
淀橋広場旅館は淀橋第二都心の北東に位置しており、遠方からもその姿を確認する事が出来た。外装には赤い陶器板が打ち込まれており、重厚な印象与える。ライト様式の影響が伺える吹抜けの先にある自動昇降機で四十七階まで上がる。昇降機からは無数の光源で照らされた淀橋の夜景が見える。昇降機出口の先には飲み屋「星」が見えた。店内は昭和四十年代当時の内装が残されている。薄暗い空間が間接照明で幽玄に浮かび上がる。店内を見回したが、「彼ら」はいなかった。硝子からは様々な形状がぶつかり合う脱構築主義様式が斬新な新府庁舎を望める。私は眺めの良い付け台席に座り蘇格蘭火酒十八年ものを無垢で頼んだ
府庁舎の先に初台の街並が見えた。七百万の住む東京府。関東大震災という分断を経ながらも、幾多の努力により脈々と歴史と伝統が続く街。最先端技術、政治と金融が集まる街。そして、サヤカのいる街。私はこの街の全てが好きな訳ではない。だが、自分が愛せる無数の輝く点が線で繋がり、面になる。それが私にとっての東京だ。
「隣、良いかしら?」桃の香りがした。記憶が揺さぶられる。
「・・・ええ、良いですよ」
「お久し振りね」
まさか・・・
「・・・リ・トモミ」
「ふふ、流石タチバナくん、思い出すのが早いわね」
幾年かの時間は流れてはいたが、忘れる筈もない。香りと同様の桃色のその声は私の心を揺さぶる。トモミは紺色の裾が切れた支那服を着ている。黒髮は短く整えられており、切長の瞳で私を微笑みながら私を見ている。
「何をしに来た?」
「貴方に挨拶をしに来ただけよ」
「満洲ではショウヘイや・・・多くの同級生が犠牲になったんだ」
「あの事件は残念だったわ・・・」
「残念だって?」
「・・・私も馬鹿だった。後悔してるわ。亜細亜連邦の術中にいたのね。連中は恐怖行為を事前に察知しながら黙認したの。事件の後は、報復として北支那に大規模空爆や軍事作戦を展開したのは貴方の知っての通り。その結果、満洲国の軍需産業は潤い、満洲五輪に向けて満洲内だけではなく、亜細亜連邦は結束したわ」
「・・・」亜細亜連邦が人柱を立てるとは俄に信じ難い話だが、理解は出来る。
「何れにせよ、三人で良い時間が過ごせたじゃない?」
「それを壊したのもトモミじゃないか!」
「あら、貴方だって壊そうとしたじゃない?そういうものよ」
そうだ。私はトモミと関係を持ちたかった。
「・・・僕を利用しに来たのか?」
「うふふ、そうよ。貴方の所属する組織について協力して欲しいの」
「組織?何の話だ?僕は只の執筆家だ!」
「昔は青瓢箪だったのに・・・只の執筆家がこんなに鍛えたりするのかしら?」
トモミは私の腰を撫でる様に触れた。
「関係ないだろ」
「まあ、良いわ。また、会いましょ。今日は素敵な夜をお邪魔したお詫びに良い事を一つ教えてあげる。組織はユメミを拉致してる。サヤカさんの事、気を付けた方が良いわよ」
「サヤカ・・・拉致だって・・・」
そう言うと、リ・トモミは付け台席を音もなく立ち上がり店を出て行った。私は追おうとしたが、足が竦んで動けない。
リ・トモミが去った後、私は耳栓を通じてトモコに問うた。
「トモコ、遅い時間に申し訳ない。今の女の国民番号を確認出来るか?後、顔の保存も頼む」
「はい、勿論大丈夫です・・・あ、確認を致しましたが、対象には国民番号も外国人登録番号もありません。不法入国者です。また、顔認証でも一致するものは・・・ありません」
「そんな訳はない。新京恐怖行為の実行犯で、リ・トモミを調べれば見つかるはずだ!」
「・・・新京恐怖行為の実行犯にリ・トモミの名前は含まれておりません」
「そんな馬鹿な・・・兎に角、警察と軍に連絡をしないと」
「分かりました。報告致します」
何故、リ・トモミが現れた?私の心の中に、憎悪、恐怖、と一握りの青春の胸騒ぎのような感情が混じり混乱をした。酒の残りを飲んだが味が区別出来そうにない。一杯しか呑んでない筈だが、嫌な酔い方をしている。妙に重い足取りで国鉄新宿駅迄向う。組織がユメミを拉致するだって・・・
雨だ。街は色彩を失っている。建物の庇の下に隠れると、骨まで沁みる冷気が漂って来た。週末の霞が関は人気がなく放棄された街のようだ。官庁施設から漏れる光のみが街の鼓動を微かに伝えている。背後の霊廟建築の如き国会議事堂が無言の威圧感を与える。私は貴族院別館前でハルオを待っていた。約束の時間より十五分早く着いたのだが、肝心のハルオは着くのに暫く時間がかかるみたいだ。貴族院図書館は国会議事堂の中にある。網際の情報では本は国会議事堂貴族院内の図書館ではなく、新館に収蔵されていると出ていた。
「よ。お早うさん!」
「ハルオさん!おはようございます」
「遅れてすまん。寝坊した。夜鍋して本を読むものじゃないな」
「ヴィトゲンシュタインですか?」
「いや、リーマンだ」
「ええと・・・僕では貴族院図書館の閲覧資格がないので、助かりました。絶版の本でどうしても読みたいものがありまして・・・」
「分かっている。俺も丁度、貴族院図書館に用があるからな。まあいいって事よ。仏蘭西語でいうところのNoblesse obligeという所か」
「noblesse・・・高貴なものの・・・oblige・・・責任・・・」
「馬鹿!国語にすると恥ずかしいだろ」
「すみません」
「で、一応紹介するからには聞くが、何を探しているんだ」
「はい。共感覚に関する書物を探しています」
「・・・そうか。よし、じゃあ潜入するか」
貴族院別館の前に新築された防錆鉄と硝子で外装が意匠された簡素な受付で荷物検査を済まし、私達は国民証を提出した。ハルオのは私と異なり緑色だ。それが華族の証明である。ハルオは簡単な書類に数項書込み、本人証明を済ませ、私の入館が叶った。私達は雨除けの付いた渡り廊下を歩き国会議事堂を横目に見ながら、受付と類似した意匠の新館へと向かった。議事堂と新館は仕上げこそ混凝土造と防錆鉄で対称的に見えるが、何も重厚、権威的な黒褐色が観える。自動硝子戸の入口を過ぎると六階分の吹抜けに出た。
「俺はこれから三階で調べ物をする。ここからは別行動だ」
「分かりました。有難う御座います」
「良いって事よ」
ハルオと別れ、網際の情報を元に中央受付迄進む。受付手前には申請書を打ち込む操作盤がある。操作盤にて、希望の本の名前を入れると番号が表示された整理券が出て来た。受付付近には既に数人が腰掛けており、背後には閲覧室で本を読んでいる人達がいる。入場が制限されているだけあり、軍関係者、官僚、政治家、華族、民間商社の重役など珍しい人種が見受けられた。色彩も市井とは異なり、重い色に観える。椅子に腰掛け五分程待つと、私の番号が表示された。
「こんにちは、ようこそ貴族院図書館へ。今回、タチバナ様が御希望の書籍は『神子と共感覚の文化学』で宜しいでしょうか?」
「はい」
「此方の書物は、当図書館においても、閲覧限定図書扱いとなっております。申し訳ありませんが、タチバナ様の国民番号証を拝見させて頂けますか?」
貴族院図書館に入るだけでも敷居が高いのに特別閲覧資格が必要とは想定外だった。私は財布に入っている国民番号証を渡した。それを機械に通すと職員は小さく頷いた。
「タチバナ様の閲覧資格を確認出来ました。別の職員が案内致しますので、そちらでお座りになってお待ち下さい」
よく分からないが、大丈夫みたいだ。
十分が経った。妙に待つ図書館だと思い始めたと同時に、背後から聞き覚えのある薄紫色の小さな声が聞こえた。
「タチバナ様でしょうか?」
振り向くと淵の厚い眼鏡をかけた、明るい紅花色を観じさせる短髪で背の低い女職員がいた。
「はい。タチバナです」
「間違えなくて良かったぁ。これから、タチバナ様を閲覧室迄ご案内致します、私はニイナメ・リンコと申します。宜しくお願い致します」
矢張り、リンコという若い女性の声色に不思議な既視感がある。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「どうぞ、こちらへ」
リンコは低い身長の割に早い速度で歩いた。何か齧歯類を思わせる動きに愛嬌を感じた。彼女は私を中央自動昇降機迄案内した。昇降機の中には我々以外に誰もおらず、ゆっくりと移動を始めた。操作盤には地下二階より下の表記はなかったが、地下深くへと移動をしているようだ。昇降機の仕様は床まで防錆鉄で妙にのっぺりしている。
「ここから、昇降機は地下八階に下ります」
「結構、深いですね」
「はい。もしかして、こちらをご利用されるのは初めてでしょうか?」
「ええ。知人の紹介で参りました」
「左様ですか」
五秒ほどの沈黙が訪れた。
「あの、タチバナ様は上級調査員で宜しいでしょうか?」
「はい。そうですが」
リン・シユウが仄めかしてはいたが、いつの間にか昇格されており内心驚いた。
「左様でしたか!すいません大声で。私、調査員の方に会うのは初めてなもので興奮を致しました。組織の上層部の方はたまに訪れるのですが現場の共感覚をお持ちの方に会う機会がないもので」組織の人間も来るのか。
「僕も貴族院図書館は初めてだから興奮してますよ。それにしても深いですね」
「はい。国家の機密に触れる重要書籍は深層階に保管されております。あの、失礼でなければ、私の色を観て頂けますか?」
「勿論良いですよ。リンコさんは紅花色です」
「有難う御座います!色が観えるのって素敵ですね。私、大学でも共感覚の研究をしているのですが、特別共感覚の人に会う機会は殆どないので嬉しいです。これ迄何名か共感覚がある人に私の色を観て貰いましたが、私の色は紅花色でした。不思議なものです」
リンコの顔から特に濃い紅花色に観じた。よく見ると彼女の頬も赤らんでいる。
「そうですか、面白いですね。実は僕も意外に共感覚に関して知らない事が多いので、寧ろ色々と教わりたい位です。因みに、リンコさんはどの様な研究をされているのですか?」
「私は色彩と心象の関係を調べています。色の観え方の差異や共通性の研究です。それと、学問とは関係ないですが、趣味で行なっていた人工知能の研究が組織に採用されまして」
「成る程・・・もしかして、リンコさんの音声も使われてたりしますか?」
「え、あ、よく分かりましたね!はい、組織の人工知能の音声に自分の声を部分的に取り込んでおります。何というか、開発者の署名みたいなものでしょうか」
「そうなんだ。いや、実は僕の利用している組織の調査補助役をしている人が機械並みに作業が早くて、声がリンコさんに似ていたから、もしかしたらとは思ったけど、まさか人工知能だったとは」
「ふふ。驚き桃の木!」
「驚いた。因みに、これから僕が読みに行く本に関しての知識はある?」
「いえ、組織に所属する上級調査員以上の職員、一部官僚、国会議員等、閲覧が限定されている書物ですので未読です・・・」
音もなく自動昇降機の戸が開いた。昇降機を出るとそこは薄暗い地下鉄の構内の様な場所だ。陶器板がふんだんに用いられており、設計も何処と無く昭和初期を連想させる。駅名が見えた。永田町駅と書かれている。
「ようこそ、もう一つの東京へ!ここは関東大震災以降に掘り進められた、地下府心です。常時五千名程が生活しており、政府の中枢機能は殆どこちらに移動しております」
「こんな場所があるなんて知らなかったよ、まさか国会も此処で開かれているの?」
「はい、そうです。此方にいらっしゃるのは初めてと伺いましたので、頑張って説明致しますね。地上部の建物は国会議事堂も含めて殆ど空っぽです。ここは四大国の中枢として凡ゆる非常時に備えて創られました。全区間は免震構造で出来ており大震災、爆撃、津波、洪水が来ても大丈夫なように対策が取られております。この地下空間は東京市全域に広がっており、松代第二首都とも接続されております」
路線図が見えた。全部で十二路線が通っている。大阪や奉天、京城には地下鉄が整っているのに、東京には路面電車ばかりで、地下鉄がない理由がよく分かった。国鉄山手線の真下に別の環状線があるのには驚かされた。
「これからは、タチバナ様の国民証を使えば、地下鉄全線はいつでもご利用が出来ます。あっ、早速地下鉄が参りましたので乗りましょう!次の駅で降ります」
車両は小さく、一両編成で四十人乗り程度だ。駅は古い作りだが、車両は流線形の乳白色の躯体である。見た事のない素材だ。車両の奥に一人軍服を来た男が乗っており、私達に会釈をした。運転手はおらず全自動で動いている。
「珍しいでしょう!この車両は、強化磁器板が使われております。また、動力は電磁石で動いております!」
「凄いな。初めて見たよ」
地下鉄が動き出すと妙な浮力を感じた。思いのほか早く、しかも無音で走る。地下鉄は隧道を抜け人工照明で照らされた大空間に出た。部屋の床には見渡す限りに稲が植えてある。全ての田圃が此処では無人で機械管理されている様だ。部屋の壁には車両と同じ、強化陶器板が使われている。
「ここは、作物研究所の地下農場です。植物の育成に必要な照明を天井の有機電子光が照らしております。ここで出来たお米の味も悪くないですよ」
「東京にこんな場所があったとは知らなかったよ」
「タチバナ様もこれからは是非ご利用になって下さい」
地下鉄は大きな部屋から再び隧道に入った。駅と駅の間隔が短い。
「タチバナ様、ここで降ります!」
国会議事堂前と書かれた駅で地下鉄を降りた。駅の構内はさっきよりも広く設計されている。内装も強化陶器板が用いられており小綺麗だ。
「ここに、貴族院図書館新館特別閲覧室があります。こちらです」
広い構内を抜け、端にある廊下を突き進むと貴族院図書館別館と書かれた部屋に出た。内装は新館と仕様が統一されている。中には受付と椅子が数個あるのみの簡素な設計となっている。
「ここから先はタチバナ様お一人で受付に従ってお進み下さい」
「了解した」
「私は此処で閲覧を終える迄お待ちしておりますね」
「有難う、少し待たせるかも知れない」
「はい。どうぞごゆるりとお過し下さいませ」
受付で荷物と携帯端末を預け、国民証と閲覧許可証を提示すると、私は奥の部屋に案内された。そこには長い廊下と、部屋毎に番号がふられた閲覧室がある。私は部屋番号「は」の二十七番に案内された。部屋の中は狭い。椅子、照明、机と本、監視装置、画像読込機以外は何もなかった。「神子と共感覚の文化学」は年季の入った表紙だが状態は良い。著者はヤナギダ・イズミなど複数の研究者が実地調査、文献調査などを広範にしたものをまとめた著作みたいだ。表紙を捲り目次を見た。
一、旧來の神子と近代の神子
二、古寫本に見る神子と共感覚
三、神子文化の衰退
四、神子と共感覚の活用
五、神子と國家防衛
六、日露戰爭以降の神子
どの項も等しく興味をそそられた。取り敢えず一項目試しに捲った。
・・・一部地域ではユメミ、一般的な呼称では神子として知られる存在は古來より外部から靈的存在を呼び込む靈媒行為を生業として來た。そして呼び込んだ靈的存在の代辯者と神子はなる。靈的存在の對象は神子の所属する共同體の要求に應じて變る。具體例を挙げれば、先祖、精霊、動物、土地等がある。靈的存在とは即ち✖✖である。共同體において神子の資質を持つ人材を見つけて、神子に育成する事は重要な作業である。研究により判明した範囲では、神子の資質を持つ人材の發見方法は三つある。一つ目は血族関係であり、神子を輩出した家族や親類の中から發見する方法。二つ目は社會的弱者を育成する方法。社會的弱者は身體機能に困難がある場合が多く、その為に他の感覚が研ぎ澄まされ、神子の資質が開華する可能性が高い。三つ目は共感覚により神子の資質を持つものを發見する方法。古來より一部の人間には神子の資質を有するものに特殊な色を觀る事が出來た。だが、この方法は余り有効に活用された例はない。現在の研究では神子になる資質を有する人は老若男女問わず約✖✖に一人の割合で存在する。神子が共同體に齎す靈的存在を通した言葉は神託と呼ばれ、それらは共同體の将來を占つたり、為政者の政治的選擇への一助となつた・・・
私が「彼ら」と呼んでいたのは神子のことだったのか?リン・シユウの言葉と繋げると、神子の存在は国益に適うという事なのだろう。為政者の政治的選択・・・今だにそうなのか。全部で三百項はあるので私は一旦、読込機能で取り込んで接眼より組織とは関係のない私用の端末に情報を読み込む事にした。一項一項捲る毎に興味をそそられる内容が記載されていた。神子、共感覚やユメミなどの文字が散見される。黒塗の箇所が増えて来た。最後の方は丁寧に切り取られている。余程の内容なのか?十五分経っただろうか。本は全項捲れ、読み込みが終了した。部屋は外から施錠されており、呼鈴を鳴らすと受付の男がやって来て扉を開けた。受付に戻るとリンコが律儀に行儀良く席に座って待っていた。
「タチバナ様、お早いですね!お探しの文献は役に立ちましたか?」
「とても役に立ったよ。有難う」
「では、出口迄案内致しますね」
私達は来た道を戻った。自動昇降機に乗るとリンコは何か言いたさそうな顔をしている。きっと本の内容を知りたいのであろう。
「あのお・・・」
「本の内容を知りたいのでしょう?」
「え・・・あ・・・いや・・・はい。いえ。大丈夫です!」
図星だ。リンコは赤面をしていた。とは言え私自身も数項見たのみで、熟読した訳でもない。
「僕も伝えたいけれど、内容の整理が必要なんだ。言える範囲だと、主に特別共感覚を持ったものが神子を見出して来たという歴史的な経緯が内容の中心だったよ」
当たり障りのない程度の内容で答えた。
「では、タチバナ様の所属する組織は神子を見つける事が目的という事なのですか?」
「文献から推察するにその可能性はあると思う」
「興味深いです・・・何かお手伝い出来る事があれば何時でも仰って下さい!」
「有難う、多分助けが必要になる時もあると思う」
リンコは私に連絡先を無線で渡した。妙に時間のかかる自動昇降機を降り、リンコと別れると、トモコの声を聞いてみたくなった。
「トモコ、今日は君の産みの親に偶然会ったよ」
「産みの親と申しますと・・・カンナギ・リンコ様の事ですか?」
「うん。まさか、トモコが人工知能だとは知らなかったよ」
「暴露てしまいましたか。隠していた訳ではないですが必要がなかったので説明しておりませんでした」
「トモコらしい答えだ。これからも宜しく頼む」
「はい、此方こそ!」
よく耳を澄ませると、トモコの声質は微妙にリンコの声とは違ったが、色彩は近いものを感じた。ハルオに会う前に本の内容を少し読みたいので、新館一階の隅にある長椅子に腰をかけた。椅子の脇にある窓硝子から中庭が見えた。外の雨は既に上がっている。庭の桜の樹は雨に濡れて黒い。私用の端末を開き、先の書籍で気になった箇所調べてみた。先ずは、共感覚による神子見つけ方についての該当箇所からだ。
・・・古寫本の傳る所によると、東北山間部の聚落では神子の事をユメミと呼ぶ。その聚落ではユメミを見つける役割は、『イロミ』が果たしていた。似た事例は奄美以南の島々、臺灣の土着民、西蔵でも數例報告されてゐる。が、この傳統は調査を行つた明治後期には失われて久しく、口傳や傳説の類による確認のみである。著者は辛うじて『イロミ』と『ユメミ』の存在を東北の寒村で一組確認した。當事者のイロミ曰く、昔日は年に一度、全住民の色を觀てユメミを探したそうだが、大正を境にその習慣はなくなった・・・
伝統は失われて久しくか・・・私は著者の言葉だと「イロミ」と呼ばれるのだろう。組織に関わる箇所を調べたが、殆どが黒塗である。
・・・このように滅びつつある神子の文化に復興の兆しが訪れた。日露戰爭だ。復興を指揮したのは✖✖✖。彼は✖✖としても有名だったが、同時に神子の研究にも没頭していた事は余り知られていない。彼の研究が活きるのは日本海開戦の際、露西亞海軍の海路が最後迄分からず、日本海側を通ると讀んでゐたが、最後に彼の決断を左右したのが靈媒行為だつた。それにより彼は見事に豫想を的中させ、帝國海軍の勝利に貢献をする。政府は彼の功績を認め、✖✖に靈媒行為の研究機関の發足を担當させる。これは✖✖機関と呼ばれてゐる。✖✖はこの研究の結果、靈媒行為の精度を高める事に成功した。具體的な精度を高める方法は✖✖。これを應用し第一次歐洲大戰の豫想を立て見事に的中させた。早期より戰爭の準備を行っていた我が國はこの戰爭を通じて五大國の仲間入りを果たす。しかし、✖✖は靈媒行為の誤使用により精神を病み引退をした。以降、✖✖機関は✖✖の✖✖として継続してゐる・・・
黒塗の名前は文脈から察するにアキヤマ・サネユキであろう。以降は悉く切り取られていた。私の仕事・・・いや組織の仕事は一種の国家知見という事なのか?私は新館に戻り、三階へとすすんだ。ハルオは窓際の席に座りながら例の丸眼鏡をかけて数冊の資料を脇に置き、脚を組みながら勉強をしていた。
「ハルオさん、無事に資料が見つかりました。有難う御座いました」
「おっ、終わったか。どうだった?何か面白い事が分かったか?」
「はい。序でにもう一つの東京も見れましたし」
「ああ、お前も上級調査員に成ったから許可がおりたのか。地下鉄は入り口が見つけにくいが、入り方さえ分かれば便利だ。無料だしな」
「はい。正直、驚きました」
「ああ。で、タチバナ。最近、お前は『彼ら』に執着しているようだが、改めて言う、職務以上に深入りはしない方が良い」
「忠告有難う御座います」
「まあ、これまでのお前の話の筋から大体想像は出来る。多分、前に話していた例の同級生と接触をしたのだろう。良い機会なので話すが、俺も以前に『彼ら』と接触した事がある。正確に言えば、交際をしていた。組織に入ってからの話だ。まあ、座れ」
私はハルオの向かいに座った。
「以前、お前に『彼ら』の一人を追跡した話をしたな。覚えているか?キヨコのことだ。あれは彼女の本名だ。その当時の俺はお前のように『彼ら』の正体を知りたいと思っていた。その為に『彼ら』の一人を追跡して正体を知ろうとした。幾人かの対象を追跡の候補に入れようとしたが、興味を引く対象は中々見つからなかった。その時だ、俺がキヨコと出会ったのは。大森区山王を調査している時、俺はその女を喫茶店で見つけた。服装は喪服のような黒。痩せ型の長身で、彫が深く、何処と無く憂いのある表情をしているが、美人だ。普段は俺の好みではないが、何か惹かれるものを感じた。彼女を追跡したことは既に話たな。続きがある。俺の見立て違いは、キヨコも俺の存在に気付いていた。ある晩、俺がキヨコの住む高層住宅を陰から観察していると、後ろから声がした。振り返るとキヨコが後ろにいた。俺は彼女が部屋の中にいるのかと思っていたが、実は偽装だった。部屋の照明だけを灯して、背後に忍び寄っていたのだ。キヨコは俺に聞いた、『何故追跡するの』と。俺は答えた。『お前に興味がある』と。キヨコは戸惑いながらも、俺が最初にキヨコを見つけた喫茶店で話しをする事にした。俺は人間観察が好きでキヨコに興味を持ったと伝えた。『彼ら』の事を伝えずに説明するのは難しかったが、少なくとも危害を加える気がない事は理解して貰えた。それに、俺にも多少の興味を持ったみたいだ。次はキヨコが話し始めた。キヨコのことは概ね理解をしていたつもりだが、キヨコが恋人と死に別れたばかりであった事は知らなかった。そしてキヨコは言った、『こそこそと観察をするのは止めて』と。それから『偶になら話し相手にはなっても良いわ』とも言った。以来、俺達は何度か食事を共にした。話をする内に俺はキヨコと幾つか共通点がある事を見つけた。それは読む本であり、音楽の趣向であり、好きな場所であった。何よりも俺は彼女との心地良い会話を心から楽しんだ。キヨコも楽しんでいるようだった。ようは互いに惹かれ合っていたという事だ。五度目に食事を共にした後、俺達は交際を始めた」
そう言うと一瞬、ハルオは遠い目をした。
「俺は既に『彼ら』が人間であるとの確信があったから抵抗はなかったし、キヨコは俺を妙な男と思いながらも好意を持ってくれた。最初はキヨコの発色に戸惑いも感じたが、『彼ら』から感じる妙な心持は、組織の刷り込み効果が原因だと認識していたので、色の違う人間であると思えば大した事はなかった。俺はこの付合いは上手く行くという確信があった。それは俺の好奇心や、組織に抗う緊張感もあったが、キヨコという一人の人間に深く惹かれていたのだ。俺達は数カ月間は上手くやったよ・・・ある時、接眼を装着したままキヨコと食事をしていると、キヨコの国民番号が組織に報告済みになっていた。時期と場所を考えると報告をしたのは多分、お前の仕事だろう。俺自身も彼女がいつか報告される覚悟は出来ていた。報告したのが誰であれ、組織に抗ったのは俺の方なのだからな。結論から言う、それから暫くしてキヨコは失踪した」
報告をしたのは私だ。ハルオの下での研修が終わってから、私は大森区山王の調査を行った。その際に印象深い暗がりのある美女を報告した事を覚えている。ハルオの口調に棘はなかったが、遣る瀬無さが感じられた。
「最初は連絡が来ないので不思議に思っていた。だが、余りにも連絡がないので不審に思い、合鍵で彼女の部屋を見たら、もぬけの殻で何も残っていなかった。失踪の理由は不明だが、組織が関わっている事は容易に想像出来る。組織からの咎めは一切なかった。組織は俺とキヨコの事を認識しているかどうか定かではない。俺は以降、『彼ら』を含む組織の深層に関わる気は失せた・・・まあ、俺が単に臆病なだけなのかも知れない」
ハルオは私を見ながら言う。
「お前が関心を持っている『彼ら』について探求をするのを俺は止めない。ただ、一応親切心から警告をしておくが、ここから先に進むには危険が伴うだろう。お前は何かを得て、何かを失う。二度と同じ場所には戻る事は出来ない。ただ、誰も傷つけるな。傷付くのはお前一人で十分だ。あと、決定的になる前に一度、お前には考えて欲しい。俺で良ければ相談に乗る」
ハルオは残って勉強を続けると言った。私は礼を言い貴族院図書館を離れた。組織が「ユメミ」を拉致している。これは多分事実だ。それが、これまで報告をして来た「ユメミ」の末路であろう。その補助を私はしている。その結果、組織は「ユメミ」を使い知見を得る。それは国益になる。これなら大まかな筋は通る。その知見は「ユメミ」の名前が示す通り、夢と関係があるのだろう。私はどうするべきか?サヤカをこのまま放置すればいつかは組織に拉致される。そして、私も何らかの咎を受けるだろう。ハルオは華族だ。私の様な市井の人間とは違い国から保護されている。サヤカの事を組織に報告し、再び平坦な喜びのない生活に戻るか?それはない、只々惨めな日常が続くだけだ・・・
北風が強い。手袋をはめないと末端が冷える。私は蒲田区蒲田で調査を終えた後、自室に戻って来た。床が冷気を吸い込み温まる迄に時間がかかるようになって来た。台湾の烏龍茶を淹れ、椅子に座り一息つくと携帯端末に番号が非通知で電話がかかって来た。
「もしもし、何方ですか?」
「トモミよ」
「どうやって僕の番号を手に入れた?」
「あら、伝えてなかったかしら、私は情報工作員よ。この程度の情報入手は雑務の内ね」
「何の用だ?」
「話を聞いてくれるのね。嬉しいわ・・・単刀直入に言うわ。今度は、私を利用してみない?」
「どういう意味だ?」
「貴方、八方塞がりでしょ」
「・・・」
「勿体振るのはやめましょ。貴方の交際しているユメミの話よ。彼女との関係を今後続けて行くならば、この仕事、いや、亜細亜連邦を抜けない限り無理だわ」
「つまり・・・」
「・・・北支那に亡命するの」
「亡命・・・条件は?」
「一組のイロミとユメミ、つまり貴方とサヤカさんで北支那に亡命して貰う。向こうでの身分と安全は保証する。その代わり、北支那、及び蘇維埃でも貴方の所属する組織のような知見研究所の設立に協力して貰う。貴方がこのまま亜細亜連邦にいても、貴方達はいつかは離れ離れになる。それに、私の知る限りでは組織に拉致をされたユメミは一人も戻って来てない」
「・・・何で僕なんだ」
「腐れ縁という奴ね。貴方の事は長い事、此方も監視をしていたの。不思議なものね。あの恐怖行為が切欠で貴方は特別共感覚に覚醒して組織に入るとは想定外だったわ。それ以降、貴方へは別の関心を持つ様になったの」
「僕を監視していたのか?」
「ええ、そうよ。その中で、貴方の巻き込まれている状況を知り、亡命の提案を考えたの」赤坂で感じた嫌な視線も北支那の監視だったのか?
「話が見えない」
「以前は北支那もユメミやイロミを拉致していたわ。でも、効率は良くないかった。拉致をする際の危険が多過ぎる。それに知見に関わる作業は率先して協力をしてくれる相手でないと上手くいかないわ。それに拉致を続けたら、亜細亜連邦に空爆をさせる良い口実にもなり、経済的な制裁も受ける。そんな危険は国家的に犯せない」
確かに、蘇維埃連邦の衛星国である北支那が亜細亜連邦にちょっかいを出す毎に、亜細亜連邦から大規模な空爆や軍事作戦、及び経済制裁を受けて来た経緯を見るに、拉致という手段の効率は良くない。亡命ならば、同じくユメミを拉致している亜細亜連邦にとっても手を出し難い。北支那にとっては願ったり叶ったりだろう。
「考えさせて欲しい」
「勿論・・・但し、此方もそう長くは潜伏出来ないから。大晦日までに答えを出してくれる?」
「・・・・」
「その時は、迎えに行くわ。第一台場公園でサヤカさんと夜中の十二時に来て」
と伝え電話は切れた。満洲の恐怖行為に巻き込まれて以降、私は惨めな思いをしない為に生きて来た。それは自分の願望に素直に生きるという事だ。だが、願望通りに行動をしても、本当に希求する状況、即ち細やかな幸せを得られなかった。それは、これまでの願望は私が本当に求めたものではなかったからだ。だが、今度は違う。私はサヤカと共にいる為に、万難を排してでも行動をしなくてはならない。例えそれが、ここでなくても・・・