第四話 満洲編 新京
我々は無事に調査を終え新京に戻った。冬の諾門罕から戻り、最初の数週間はこれまでと変わらずに三人で研究を進め、研究が終わると吉野町や全安橋の歓楽街で馬鹿騒ぎをしていた。が、暫くすると、三人で会う機会は講座や調査の打ち合わせ以外で減って行った。正確にいうとトモミとショウヘイは私に対して何か遠慮があるような素振りを見せ始めたのだ。妙に思っていたところ、彼らが交際を始めた、という噂を耳にした。
たまたま、大学近くの喫茶店で私は硝子越しに彼らの姿を見つけた。ショウヘイはトモミの手を取り、ゆっくりと指先で愛撫をしてる。トモミも、ショウヘイの手の動きに応えていた。一本一本の指が蝸牛のように複雑に絡まっている。トモミの顔が赤ばんでいる。二人の間には関係を持ったもの同士が持ちうる雰囲気が漂っていた。私はそのまま歩き去ろうと思ったが、出来なかった。あの諾門罕で、私が告白をしていれば私はショウヘイの代わりにトモミの指を握っていただろう。私があの時、一歩、そうたった一歩進んでいれば・・・私は喫茶店の扉を乱暴に開けて、ショウヘイとトモミの前に立った。二人は驚き手を離した。
「ああ、タチバナか。久しぶりだな。座らないのか?」
低い横柄な感じの声でショウヘイが口火を切った。いつもなら彼の口調は好きなのだが、今回は妙に棘が感じられた。彼らの前に行ったのは良いが、私は話すべき言葉が見つからなかった。
「おい、折角会ったのにむすっとしていたら会話にならないだろう」
ショウヘイは続ける。
「タチバナの言いたいことは大体想像出来る。お前が何も言わない代わりに俺が応えるよ。俺達は冬の諾門罕から付き合い始めた。聞きたくないだろうが、何も聞かずに悶々するよりはいいだろう。北極光を三人で見た次の日の朝、俺は早くに目が覚めた。外に出て用を足し終わると、トモミがいた。俺はついていると思ったよ。勿論、タチバナがトモミに好意を寄せていることは知っていたけどね・・・」
普段は口数少ないショウヘイが淡々と話している。こういう時に露西亜人の凄みを感じる。だが、はっきり言われることに悪い気はしない。
「俺もトモミに好意を寄せていた。ただ、タチバナの気持ちも知っていたからあえてタチバナの前では感情を伏せて来た。俺はトモミと雪道を歩いた。そこで俺は告白をした。トモミは俺の好意を知らなかったから驚いていたし、タチバナの事もあるから時間が欲しいと言った。以来、何度か二人で会う内に付き合うようになった。タチバナにも機会はあったし、俺にもあった。俺たちの関係を伝えなかった事と、急に距離を置いたことは悪かったが・・・分かるな」
私は返事が思い付かず、終始聞くだけになった。が、胸の内の嫉妬心は砕け、その中に隠れていた敗北感と己の惨めさを知った。
「私達・・・まだ友達よね」トモミの一言は辛かった。
「ごめん、暫く一人で考えたい」
私はそういうと、二人を見ずに喫茶店を出た。それ以来、私達は疎遠になった。建国大学での共同課題は終り、特に誰かと組む必要はなくなったので、以来、一人で作業をするようになった。
建国大学二年目。私はショウヘイとトモミが別離したことを人伝に聞いた。だが、再び彼らに会いたいとは思わなかった。
五月のある天気の良い水曜日、校舎を歩いていると、トモミとすれ違った。私は髪を伸ばしており、視力も悪化した事から眼鏡をかけていたので、トモミは私に気付くのに時間がかかった。私は彼女を無視した。「待って」とトモミは言った。私は振り返らず歩き去った。関係を断ち切る事は哀しくもあるが、私の中でけじめは付いた。
一人で伊通河沿いの整備された遊歩道を歩いた。対岸の静かな住宅地と此方側の高層建築物の建ち並ぶ景色が対照的だ。五月だというのに風が冷たい。学業は特に問題がなかった。だが、私は満たされない。自分の中にある明白な関係欲求を自覚した。衣嚢から金鵄の箱を取り出して、煙草に火を点けた。それは烏龍茶のような苦い味がして、唾を伊通河に吐いた。
以来、私は積極的に飲み会に参加して交友関係を広げる努力をした。最初の内はそこに集る異なる人種に面白味を覚えたが、何度か行く内に、どん詰まり感を覚えた。金銭的に余裕がなかった事もあるが、そこで会う面々の薄っぺらい性質に飽きたのだ。結局、学業に専念する事で苦痛を紛らわすしか当時の私には道がなかった。
目が覚めた。窓掛けの隙間から満洲特有の乾いた風が吹く。外には青々とした街路樹が見えた。昨晩は新京新道の料亭「あきの」で働いた後、厨房の先輩が良い特級国酒を手に入れたというので遅くまで飲んだ為か頭が酷く痛い。時計を見るとまだ朝の早い時間だった。取り敢えず洗面所で用を足し、顔を洗うと妙な感じがした。寝室の机を見るといつもあるはずの携帯端末がない。どうやら「あきの」に置き忘れたみたいだ。中には大切な提出物の情報が入っていたので、私はさっと着替えて下宿を飛び出し、丁度到着した新京駅行きの路面電車に乗る。外気がまだ肌寒い。
日本橋通りでは反格差集会が開かれていた。中には主義者も紛れ込んでいそうだ。満州国における格差の原因は民族性の結果とも言える。縁故雇用で富を占有する支那人や朝鮮人の富裕層への反感が主な原因であろう。
吉野町に路面電車が着いた。私は急いで「あきの」に向かう。通りには先週五輪委員会が決定した満洲五輪開催を祝う旗が見えた。「あきの」の戸は案の定、早朝ということもあり閉まっている。耳を済ませると店の中から音がする。戸を叩くと、女将が出て来た。毎日遅く迄働いても苦労は顔に現れず、いつもの美しい佇まいをしていた。
「あら、お早いわね」
「お早うございます!」
「あらま、汗をかいてる。忘れ物でしょ。今、丁度下宿に連絡を入れた所だったのよ。でも繋がらなくてどうしたのかしらと思ってたの」
下宿に連絡がつかない?下宿は昭和四十年代の第二次建設中に作られた煉瓦造りの古い宿だった。宿と共に設けられた年季の入った公衆電話だけは真夜中の非常識な時間でも元気に呼び鈴を鳴らし続けた。昨晩も機能していたみたいだから大丈夫だろうと思ったが、いよいよ壊れたか・・・
「そうですか。ご迷惑をおかけ致しました。時に携帯端末は無事ですか?」
「それはね・・・誰かが踏んづけたみたいで液晶硝子が粉々よ」
「えっ」
「嘘よ。貴方ってからかい甲斐があるわね。端末は勿論無事よ。そこに置いてあるわ」
と、女将は品良く笑い、机の上のお盆を示した。
「有難うございます!」
携帯端末は傷一つなく大切に保管されていた。
「今晩はお店に来れそう?」
「はい、隕石でも落ちない限り行きます!」
「そういう事は余り口に出すものではないわ」
私は女将さんに、もう一度感謝をして料亭を出た。
一旦下宿へ戻ろうと日本橋通りの駅まで出てみると、出勤時間というだけあり結構な人集りが出来ていた。さっきの集会の影響だろうか?だが、余りにも人が多い。どうやら、路面電車が来ていないみたいだ。何事かしらと思い、適当に聞いてみると、何やら東盛大街で事故が起きた為、運転見合わせをしているそうだ。そこは私の下宿のある通りだ。連絡がつかない事と何か関係があるのでは・・・
どん。
新京駅方面から花火のような鈍い音が聴こえた。
どん。どん。
今度は大同広場の方から音がした。悲鳴や叫び声が聞こえてくる。「危ない逃げろ!」という声が聞こえた。
どどん。
後ろから強い圧力が来る、私の背中に何かがのしかかり、地面が眼前に迫る・・・
頭が痺れる。体が動かない。暗い。目の前に見えるのは?ごつごつとした質感。混凝土舗装された地面だ。よく見ると赤い斑点が混ざっている。音がよく聞こえない、まるで耳に蓋を被されたようだ。その蓋の隙間から同じ様な声が聞こえる。集中をすると、それらは叫び声だ。指先は・・・動く。腕も・・・動く。私は片腕に力を入れる。が、起き上がれない。何かが乗っており、重さに負けて倒れる。もう一度腕に力を入れる。頓に背中が軽くなり、手が見えた。その手は私の胸部を抱きしめ、起こしてくれた。
「大丈夫か?」
私は頷いた。
「良かった、意識はある。すまないが、そこに寝かせるぞ」
男は私の胸を抱いて近くの長椅子に寝かしてくれた。霞む視界から澄んだ空が見える。悲鳴は断続的に聞こえて来る。胸部に痛みを感じた。息苦しい・・・
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?ハオルマー?」
白衣・・・若葉色・・・息が・・・出来る。眼の焦点をゆっくりと合わせると、石膏板の天井が見える。背中に力を入れると、起き上がれた。自分の体が見える。手も足も全部付いている。力も入る。頭に手をやる。頭も無事だ。
「意識はありますね。あ、検査をするので、まだ、動かないで下さい」
どうやら、私は病院内にいるみたいだった。若葉色を観じさせる男は医者の様だ。彼は、私の眼球や口の中を携帯照明で照らし調べた。
「特に異常はありませんね。軽い打撲ですので気分が落ち着きましたら、いつでも退院出来ます」
「そうですか・・・若葉・・・あっ、爆発。爆発は何だったのですか?」
「ああ・・・電波放送の伝える所によると、あれは恐怖行為みたいです。五輪決定に対する嫌がらせでしょう。犯行声明はまだ出てませんが・・・あ、因みに戒厳令が敷かれましたので電波放送で最新の情報を確認して下さい。では、私はこれで。暫く安静にしていれば大丈夫です。貴方は運が良いですよ」
そう言うと、若葉色を観じさせる医者は部屋を出て行った。周りを見回すと寝台の隣に私の鞄があった。片手でそれを手繰り寄せ、中身を確認すると所持品は全部無事だった。携帯端末に電源を入れ状況を確認してみるが電波がない。耳を澄ませると隣の寝台から灰色の電波放送が聞こえた。
「本日午前八時二十五分頃、新京市内複数箇所にて恐怖行為が発生致しました。被害は不明。各位混乱せず、不必要な外出を避け、主要駅や中心部を避けるよう心掛けて下さい」と何度も繰り返された。
体の数カ所が痛んだが、暫く休むと気分は幾分か良くなったので、私は病室を出た。体は痛むが歩けない程ではない。病院には負傷者で溢れており、時折絶叫が聞こえた。自動昇降機乗り場まで行くと、戸が開き、中から急患が運ばれて来た。良く見ると急患には足がなく、切断面には包帯が巻かれており、そこが赤く滲んでいる。頓に急患が私の服の裾を掴んだ。何事かと思い相手の顔を見ると、包帯で覆われていたが、ショウヘイであった。彼は私に露西亜語で何か言った。辛うじて聞き取れたのは「お前は俺だ」という意味の渋柿色の言葉だけであった。それを伝えるとショウヘイは気を失い、医療室へと運ばれて行った。
外は夕方の空だ。六時間ほど意識を失っていたみたいだ。通りには街の中心から離れる為に荷物を抱え、不安な表情をした人達で溢れていた。路面電車は来る様子も無いし、市内が閉鎖されている為か車の往来もない。新京の中心にはいたくなかったので、病院から下宿先へと取り敢えず歩いた。下宿へ近づくに連れて満洲国軍の兵が増えて来た。東盛大街の下宿のある辺りは煙で包まれており封鎖区域となっていた。嫌な予感がした。よく見ると軍の宿舎が破壊されていた。そして、その向かいにある私の下宿にも爆破された建物の破片が直撃しており、血飛沫のようなしみも確認出来た。住み慣れた部屋を建物の外から探した。見つけるのに時間がかかったが、部屋の窓硝子は爆発の影響で粉々になっていた。封鎖区域にいる兵隊に学生証を見せ、下宿の中に入る許可を貰った。部屋へと急ぎ、扉を開けると、室内は硝子片が散乱していた。寝台の枕があった場所には拳ほどの穴があり、その先を見ると混凝土片が埋まっていた。昨日遅く迄、国酒を飲んでいなければ、早起き出来ずに死を実感せぬまま仏になっていただろう。万が一、起きていても、硝子片で大怪我をした可能性はある。日本橋駅でもそうだ。私の後ろに人がいなければ・・・
事件現場と成った下宿にいてもどうしようも無いので、私は取り敢えず生活用品と奇跡的に破壊を免れた卓上電脳を鞄に入れて建国大学迄行くことにした。徒歩で大学迄歩くと四十分近くかかった。相変わらず、通りには車の往来がなく、不気味な静けさがある。途中、黒焦げた路面電車が遠くに確認出来た。かなり大規模な恐怖行為であることが容易に想像出来る。携帯端末は網際と接続が出来ない。電波の規制もされているのだろう。十分おきに流れる放送も「同時多発恐怖行為が発生した為、落ち着いて、中心市街地から離れ待機するように、また戒厳令が発動された為、夜十時以降の外出は特別許可を持つもの以外禁止されております。自宅もしくは、指定の施設内で待機するように」としか言わない。
建国大学に着き、大学の事務に事情を説明した所、臨時に用意された屋内運動場に案内された。運動場の入口で大学の作業員から水、軽食と毛布を渡された。建物の中には学生を中心にかなりの人がいた。頭に包帯を巻いている人もいる。教授も数名見受けられた。妙に淀んだ暗い色が観じられる。クラタもおり、いつもより服が汚れているように見えた。クラタからは朱色が観えた。色を観た際に目が合ったので話す事にした。
「クラタ教授。今晩は」
「えぇ・・・タチバナ君ですか。君も巻き込まれた口かえ?」
「はい・・・巻き込まれました。先ず、東盛大街の下宿がやられました。外にいたので助かりましたが、下宿の目の前にある軍施設が破壊された為、向かいにある僕の部屋も被害を被り壊滅状態になりました。それに僕自身が所用で赴いた中心部で路面電車の爆破に遭遇しました。幸いにも誰かが僕の背後にいたお陰で外傷は大した事ありませんが」
「そうですか。そうですか。君は誠に幸運だ。何故なら、これだけの大事件の現場に遭遇出来た。君がこれから何を目指すかは知らないがこの体験は財産になる。私は直接巻き込まれた訳ではないが、交通機関が麻痺してしまったので、家に帰れなくなってしまった。いわゆる帰宅困難者だよ」
と言い、クラタは笑った。
「服が汚れてらっしゃいますが・・・もしかして、教授も現場に赴かれたのですか?」
「勿論ですよ。最近は国内でこれだけの良い事例は少ないですからねえ。お陰で何度も尋問を受けたり、連行されそうになりましたけど、建国大学の身分証明のお陰で、自由に動き回れましたよ。こんなに建国大学に信頼があるのなら、首謀者は大学関係者かも知れませんね」
「冗談でしょう?」
「あり得ない話でもないでしょう。先ず、建国大学の肩書は信頼はされておりますから何処に行くにも怪しまれません。高学歴な生徒は古来より主義や思想に染まり易く、協力者を作り易い。それに大学は多国籍や他民族の生徒を受け入れている為、敵対国が工作員を送り込ませるには最適の環境です。更に新京内は警察の管轄が複雑に別れているという盲点もあります。何よりも新京に恐怖行為が発生すると政治的な痛手は大きい。格好の標的ですね」
「余り考えたくない事ですね・・・そういえば、この間もBIROBIDZHAN猶太自治区から満洲に亡命して来た猶太人が国家転覆罪で逮捕されてましたよね」
「そうですね。満洲は日本国の技術を吸い上げて国内の安い労働力で繁栄した対価として、大陸の困難を引き受けて来ました。周辺諸国より危険分子の侵入、蘇維埃への防波堤、恐怖行為の標的、それらの不安要素とは常に隣り合わせですからねぇ・・・地政学的な宿命ですか。北支那は満州国を『偽満』だとか、自国の領土だと主張致しますし・・・おっ、電波放送で事件の全容を発表するみたいですね。タチバナ君。見に行きましょう」
電波放送の前には人集りが出来ていた。事件の全容が発表された。犯行を行ったのは朝鮮独立戦線と名乗る北支那から支援を受けている恐怖行為集団で満洲五輪への妨害という意味を込めて犯行に及んだと犯行声明を出している。私は朝鮮が亜細亜連邦から離脱する事と満洲五輪を妨害する事に何の関係があるのか理解が出来なかったが、格差によって生じた不満を吸い上げて成長した組織故に、その不満のはけ口として行動をしたのかも知れない。実行犯は新京市中心部七箇所で同時多発的に公共の交通機関や軍施設を狙い爆破恐怖行為を行った。死者は判明しているだけで百四十三名、重軽傷者四百数名の被害が出ていた。私も軽傷者に含まれているのだろうか。首謀者らは逃走中で未だ見つかっていない。
携帯端末で課題の書籍を運動場の隅で読んでいると、満洲国兵が数名入ってきた。一人が私の前に立つと「今回の恐怖行為事件に関して幾つか話を伺いたい」と言った。よく見ると兵士の一人は憲兵の腕章を付けており、三十台前半のようだ。腰に下げた時代錯誤的な軍刀と文思南部銃が無言の圧力を与えている。彼からは紺色の気配を観じた。私がどう事件と関わるのかいまいち理解出来なかったが、拒絶する理由もないし、何かが分かるかもしれないと思い、彼らに従う事にした。
憲兵らは私を学生寮の外まで案内し軍用車に乗せた。外は既に暗くなっている。車は誰もいない厳戒令下の街を走り抜けた。三十分程西方に運転すると、車は軍施設の正門で一旦停車し、身体検査を受けてから、再び軍用車で軍庁舎に案内された。建物は陶器製の外装がいかにも権威的な印象を与えている。中は新古典主義的な意匠で設計されている。入り口の吹抜けの奥にある自動昇降機に乗り、三階の狭い廊下を抜けた先の一室に通された。そこは憲兵の事務室のようであった。内装は綺麗だが、昭和初期に造られた建物の有する緊張感が何処となく漂っている。憲兵は私に席に座るように促し、帽子を取とった。
「タチバナ君、今回の事件に関して、同行に感謝する。憲兵というと日常的に手荒な事をするように思われるが、普段は必要ない。君も学業に勤しむ身分だから、私は君を長時間拘束したくはない。ただ、質問には簡潔に、そして素直に答えて欲しい」
「はい」
「先ず・・・今回、タチバナ君が、ここにいる理由は想像出来るかな?」
「いえ、想像出来ません」
「そうか・・・君はリ・トモミとコンシタノフ・ショウヘイの友達だったな」
「ええ。正確には去年の冬迄は友達でした。でも、途中で行き違いがあってからは互いに交友関係を断ちました」
「うむ・・・彼らから荷物とかは預かっていないか?」
「交友関係を絶ってからは一切の交流がないので、皆無です」
憲兵は携帯端末に何やら書き記した。
「うむ、では結論から言おう。今回の連続爆破事件にリ・トモミは深く関与している。我々の方では彼女が主犯格ではないかと考えている。そして、コンシタノフ・ショウヘイも実行犯として関わっている容疑がある」
「え!?」
「リ・トモミは北支那の工作員として建国大学に送り込まれた。彼女は大学内でコンシタノフ・ショウヘイ以外にも何人かの男性と関係を持っていたようだ。そして、関係を持った男達が、今回の恐怖行為の実行犯となっている。その中で唯一生き延びたのはコンシタノフ・ショウヘイだ。そして、我々はもう一人いるのではないかと疑っている」
「それが・・・僕という事ですか?」
「そうだ。リ・トモミと直接関係を持った人物の中、君は爆破に巻き込まれてはいる。が、傷は軽微だ。更にもう一点、今回の事件現場の一つである東盛大街の軍施設の手前に君の部屋がある」
「それはこじつけです。現に僕が軽い打撲で済んだのは運が良かったからで、現場にいたのも偶然です。それに一歩間違えば重症だったかもしれない。下宿は安くて大学迄の交通の便が良かったから選んだのが理由です。実際に僕の部屋も爆発に巻き込まれ滅茶苦茶に成りました。リ・トモミとは二カ月前に擦れ違っただけで、去年の冬以来口を聞いてません」
「うむ。意識の戻ったコンシタノフ・ショウヘイに先程、聞いて分かった事がある。彼はリ・トモミと関係が破綻した後も連絡を取り続けたそうだ。そして、事件の前日、荷物を渡された。コンシタノフ・ショウヘイは路面電車に乗る際荷物を車両前方に置き、後部に座っていたので爆発の際、死なずに済んだ」
「僕はリ・トモミから荷物は受け取ってません!」
「まあ、落ち着いて聞いて欲しい。ショウヘイのことは残念だが、彼はリ・トモミに利用されたのだ。同様に他の他界した実行犯達も利用されたのだろう。つまり、君も知らない内に彼女に利用されていたのではないかね?」
「僕は・・・そう言われると急に自信がなくなりました。無意識の内に利用されていたのかも知れません」
「そういうことだ。故に君はこれから暫く我々の監視下におかれる。と言ってもどこに行こうと何をしようと、それは君の自由だ。『あきの』の女将さんから、君の早朝の行動は確認しているから、我々としては君は限りなく白に近いと考えている」
「はあ・・・」
「まあ、リ・トモミらが捕まるまでの事だ。長くはかからないだろう。で、今回我々がタチバナ君から聞きたい事は一つ。リ・トモミの諾門罕における行動に関してだ。彼女に不審行動があったならば教えて欲しい」
「僕が把握している限りにおいては、真冬の諾門罕に行った際に、トモミは基本的に我々と行動を共にしていました。ですが・・・一度だけですが、トモミが夜中に一人で天幕を抜け出すのを見ました。僕は彼女を探しに行くと、かなり離れた場所でトモミは遠くを見ていました」
「そうか・・・有難う。多分、蘇維埃か北支那の連中と連絡をとっていたのだろう。本来、諾門罕は紛争地域だから君らのような許可を取った学生か研究者しか冬季は立ち入れない。それに、あそこら辺は我々の電波妨害を抜けて奴さんの電波が繋がるからな。まあ、何にしろ殺されなくて良かったな。事情は分かった、これから暫く君を監視する。不愉快な感じになる事もあるだろうが、君の保護も兼ねていると思ってくれ。協力に感謝する。車を用意させよう」
建国大学の寮まで軍用車で送られた。物凄く疲れていた事もあり、その晩は運動場の隅で毛布に包まりながら泥のように眠った。翌日、網際を開くと日本橋駅での実行犯が被害者の中にいたことが判明した。主犯格の名前が出てこない事から、リ・トモミは未だに逃亡中のようだ。ふと考えると、私がショウヘイのようになっていたかも知れない。その真相はトモミに聞けば分かるのだろうが、それが叶う事はないだろう。
私が最後迄感じた不思議な心持ちは、ショウヘイに対する一種の敗北感だった。彼は恋に落ちる選択を取った。結果はどうであれ、彼はそこで何かを得て、そして、失った。リ・トモミがどこまで計算して、どこまで本気だったのかは定かではない。私は何も得ず、何も失わなかったが、どこにも進んでいない。例えその選択が間違っていたとしても、二度と惨めな思いはしたくない、そう私は自分に言い聞かせた。以降、選択の際は取り敢えず、飛び込む道を選ぶようになった。