一話 神に選ばれし者
〜前回のあらすじ〜
廃墟の校舎の屋上から、事故で落下した悠翔。
話は三日前に遡る。
〜三日前の朝〜
頬に硬い物がぶつかり目が覚める。目を閉じたまま手で触ると、すぐにスマホだと分かった。
ぼやける視界で時間を確認した――6時42分、7月8日水曜日。
普段なら二度寝している時間帯。だけど今日は、重たい体を持ち上げてベッドを降りた。
階段を降りてリビングへ行くと、父さんが一人で朝ご飯を食べている。
母さんが居なくなってから、父さんとは口を利かなくなった。なので、二人きりは気まずい。
僕は台所の菓子パンを手に取ると、一番離れた席に着いた。
『――続いてのニュースは、『東京に潜む闇』です。
近年東京都で、急激に増え続ける行方不明者。その多くが動機、原因が不明の為、犯罪に巻き込まれている可能性が高い状況です。
警察は、深夜に一人での外出を避けるように呼びかけています。
不安と恐怖が高まる中、日本の警察に対する――』
テレビが消え微かに電子音が聞こえた。
父さんはリモコンをテーブルに叩くように置くと、荷物を持って足早にリビングを去っていく。
「行ってきます」
「…………」
階段を軽快に駆け降りる音とともに、明るい声が聞こえてくる。
「あっ、パパ行ってらっしゃい!」
「行ってきます」
リビングの扉に目を向けると、すらっとした長い足に魅せられる。
視線を上げるとふっくらした胸元まで、チョコレートカラーの髪がふんわりと伸びている。
さらに視線を上げると姉ちゃんと目が合い、すぐに目を逸らす。
「ハルちゃんおはよう、早起き偉いね!」
「……おはよう姉ちゃん」
美人な姉ちゃんに笑顔を向けられて、早起きして良かったと思った。
姉ちゃんは僕より三つ年上で、今年高校二年生になった。僕と違い運動も勉強もできる姉ちゃんに、憧れと少しの好意を抱いている。
「ハルちゃん夏服どう? 可愛い?」
そんな好意を知りもしない姉ちゃんは、一回転して僕に夏服を――白いシャツに赤いリボンが付いていて、シャツをスカートの中に入れている――見せびらかしてくる。
「……う、うん」
「ありがとう」
楽しく会話をしているうちに、姉ちゃんが学校に行く時間になった。
「それじゃあ、行ってくるね。ママの事は警察官のパパが絶対に見つけ出してくれるから、ハルちゃんは早く元気出して学校に行こうね!」
姉ちゃんに励まされるも、喪失感は無くならない。まだ上手く笑えず、作り笑いで姉ちゃんを見送る。
「姉ちゃん行ってらっしゃい」
僕は自分の部屋に戻ると、ベッドに寝転びながらアプリゲームを開く。
あれ? メンテナンス……終了予定時間は10時か、早く起きたし、それまで寝てよう……
――気が付いたら、赤紫色と青紫色でグラデーションされている綺麗な世界。
一人ポツンと立っている。
周囲を見渡しても何も無い。音も無く風も無く、匂いも無い。
そんな不思議な世界に、僕は一人で立っていた。
――突然、僕の目の前が真っ黒に染まる。いや、真っ黒い影が現れる。
『我は神だ、貴様に五九天使の力をやろう』
聞き覚えの無いノイズの掛かった声が、頭に直接聞こえてきた。
目の前の真っ黒い影が震えている。その影が話しかけて来たのかな?
まだ状況を理解出来ていない中、再び声が響く。
『貴様がこの世界に不要だと思う人間を、59時間以内に一人殺せ……我が与えた天使の力を使っても構わん。
殺せ無かった場合、貴様の一番大切な人間が天使の導きによって……この世界から消えるだろう』
話が終わると、真っ黒い影が僕を包み込んだ――
「うわっ!!」
迫り来る黒い影に驚き、跳び起きた。
「……夢か」
その後、特に夢のことを気にせず考えず、過ごしているうちに二日が過ぎた朝。
昨晩遅くまでゲームをしていた僕は、寝付けずに日の出を迎えていた。
朝になったが起き上がらずにだらけていると、急に強い痛みが頭を締めつける。
――とっさに顳顬を手で抑えた。
眠らずにゲームをやっていたせいだと思っていたが、すぐに痛みの原因が判明する。脳に鈍いノイズ音が響き渡る。
『貴様がこの世界に不要だと思う人間を、12時間以内に一人殺せ……天使の力を使っても構わん。
殺せ無かった場合、貴様の一番大切な人間が天使の導きによって……この世界から永遠に……永遠に消えるだろう――』
二日前に見た夢の声と同じ声が聞こえてきた。しかし、今は現実。それに、夢の中とは少し内容が違っていた。確か59時間以内だったはず……
――強い胸騒ぎがして、夢の出来事を思い出しながら頭の中を整理するも、すぐにパンクしてしまった。
暫くして僕はペンを持ち、机の上の紙にメモを取った。メモを取ることで考えがまとまった。
だけど分かった事は、信じ難い絶望だった。
・僕は天使に選ばれた?
・他の天使も、選ばれた人間なのかな
・天使の力? 謎
・天使の導きとは……殺し?
・増え続ける行方不明者
・僕の一番大切な人は姉ちゃん
・姉ちゃんの命を救うには、僕がこの世界で不要だと思う人間を、殺さないといけない!
神は僕の心を読めるのかな?
神には僕の考えが分かるのかな?
神は残酷だ。
僕がこの世界に、不要だと思う人間。
それは……
――僕自身だ。
勉強も運動も普通以下、何の取り柄もない。母さんが居なくなると、学校にすら行けなくなる。
なんの取り柄もない僕は、この世界に必要とされていないんだ……
「姉ちゃんは……絶対に巻き込まない!」
スマホを片手に、勢い良く部屋を出た。
――ひらりとメモ用紙が舞い、ゆっくり地面に落ちる。天使の文字が、濡れて滲んでいる。
* * * * * * * * * *
〜そして現在〜
意識が朦朧とする中で、まるで天使のような心地よい声が聞こえてくる。
「ねぇねぇ」
重たい瞼をゆっくりと開くと、可愛らしい美少女が僕の顔を覗き込んでいる。
「ねぇねぇ、お兄さんだいじょうぶ〜?」
ミルクティー色のツインテール少女は、微笑みながら手を差し伸べる。
透き通るような肌、純白のワンピースを着ていて、少女はまるで天使のようだ。
――僕は死んだのかな。じゃあ、天使が迎えに来てくれたんだ。
少女の手を握り起き上がると、少女は不思議そうに僕の体をじっくり見つめ周る。
「もしかして、お兄さんって〜力持ってる人?」
「力? あれ?」
ふと背後を振り返ると、僕が倒れていたコンクリートの地面が粉々に砕けている。
僕は恐る恐る背中を触ると、血の一滴も流れていない事と、死んでいない事に気がつく。
「この高さから落ちて無傷って、すごい力だね〜!」
学校の屋上から落ちて無傷で生きている……常識では考えられない出来事に、驚愕しつつも安堵した。
どうやら神の力……いや、天使の力のお陰で助かったらしいが、力を使った覚えは全くない。
ふと冷静になると、机のメモを思い出した――僕以外にいる天使の存在を。
僕が生きているという事は、天使が姉ちゃんを……それに少女は一体何者なんだ!?
「もし……かして、天使?」
僕は恐る恐る尋ねた。
少女のサラサラ髪を夜風が揺する。
「天使? 天使じゃないよ〜!」
僕は安堵の表情を浮かべて、ホッとした。
こんな可愛い女の子が、姉ちゃんの命を狙うはずがない、僕の早とちりだった。
「そうだよね。余りにも可愛かったから、天使かと思っちゃって」
美少女は優しく微笑むと、耳を疑う言葉を発する。
「堕天使だよ」