夏に焦がれて、愛に焦げる。
「お母さん」
「お父さん」
ぽつり。
「俺、今から逝きます」
ケチャップの搾りカスが、口から出た。
朝飯なんだったっけ。
「ちょっと待ってよ」
祐一は四人の天使に担がれていた。
祐一は俺だ。
俺は構想ビルから落ちた。
はずだ。
「失敗が心配してるよ」
天使は言う。
「ハイタッチ」
元気のない俺に、左手担当の天使はそう言って、
「お父さんの名前は?分かる?」
そして四人は一斉に手を離した。
「意地」
呟くと、草原に居た。
「成功だ」
俺は三角座りから、立ち上がった。
「がちゃり」
腰の骨が喋った。とっても細長い、ダンボールハウスがあった。先が雲隠れするくらいの階数だ。
構想ビルと俺は呼んでいる。中に入ると、こちらも細長い、黒猫が迎えてくれた。
草原で三角座りの中、呟く。
視界が滲んだから僕は多分、悲しい。
他人事のようにそう、気が付いた。
「成功を育てるのは、意地だけだよ」
返ってくる。別の誰か。
すぐさま頭を持ち上げる。
さっきのがちゃりは目の開いた音らしかった。
ぱっと広がる米色の原っぱ。
久しぶり、太陽。
声の出所は姿を見せない。
「だからね?みせてよ。意地わるいとこ」
鼓膜を小さく、熱が跳ねる。
どこにどこにと探るたび、眠たくなる。
蝉が唄っている。ほどほどに大気はぽかぽかで鈍かった。
「…はぁ」
むず痒い昂ぶりは深呼吸しても出て行ってくれない。
ススキが肌を撫でてくる。
鼓動がうるさい、吐きそうだ。
しわになるくらいポッケを掴んで、二酸化炭素にむせながら。
「スズナ!」
僕は咆哮を彷徨わせる。
黒目の奥で、群青の泡は膨らんでいく。
それはとてもとても大きくて、惑星くらいに大きくて。静かに膝をついてしまう。
だけれど。僕は呼ぶ。
彼女を叫ぶ。
逃げるように体を伝う水滴。
だけど決して。涙だけは流さない。
「叔父さん」
ドクン、ドクンと。
五千回目の脈音。記念に女の子の声が響いた。
「だからさ叔父さんはやめろって」
愚痴る。そうだ。年は同じだって。
「でも、兄弟は違うでしょ?」
違う。年離れた姉さんの子。
「まだまだ青い年頃なんだよ」
「緑茶みたいな青?叔父さんだから」
見上げた先の少女へ。
泣き笑いする少年に向けて。
僕は。
少女は
舌を動かす。
まるで蝋燭のゆらめく炎みたいに。
夏は空気を震わせる。
「…改めて変わらないね。叔父さん」
枯れた喉の少女。
べそ顔の姪。
僕の大好きな、可愛い彼女。
何年ぶりだろう。記憶の夏のそのまんまだ。
とっさに腰は浮遊を始め、足を踏み込んで草に立つ。
僕の右手をすする彼女の黒髪。ぐっと重心をよろめかせ―――
「ん…っ」
キスを僕らにくれた。
空気が蒸していくのが熱くてたまらない。
お互いの頬が上気して、綺麗に重なる。
交差した味覚を溶いて、そっと僕ら息を紡ぐ。
スズナがいた。
目の前に、スズナがいた。
漏れる。どちらのものでもどうでもいいぬるい息。
「ただでさえ天然パーマで悩んでるのにさ。泣かれるともっともやもやする」
だからさ。
「スズナ。キミは笑っていて、ね?」
言って。確かめる。確かめる。僕はスズナの形を確かに手のひらで舐めつくす。
いじわる……とひそり告げられたけど、構いっこなかった。
ざらついた目尻を僕にぶつけてくる。そんな彼女をみぞおちで捕まえて。
「キミ、こんなに、素敵だったっけ?」
と、長い髪をくちゃくちゃに。笑みにため息。わざとこぼす。
初め、ちゃぽんと聞こえた。
ズボンをぽたぽたと登ってくる、来る、スズナの雨音。僕の体表を登り切り、目が合う。
やあ。
この瞳はどの源泉よりも価値がある。
「もう。オシオキ」
スズナは言葉を注ぎ込むのが好きだった。
肉を喰らわされる。離さないスズナの再びの涙。甘じょっぱい。
僕の方から深く閉じ、他の誰にも許すつもりのない抱擁。
どこかではちゃんと二人、なんだ。
けれど。
河川敷の空。太陽だけが熱くて、もうそれ以外を忘れて。
ここでは一人が、双頭の影に寄り添うだけ。
「さ、じゃあ、スズナ」
水中から息を継ぐように、スズナから離れ、会話する。
「ご飯いこう」
このままじゃ唾で胃がいっぱいになる。
「どこにもいかなくていいよ。このままがいい」
「そんなわけにもいかないよ。このまま餓死嫌」
「どこいくの?」
「営業時間やってるとこ」
右腕で時計がカチカチ急かす。
どちらからも歩き出そうとしなくて。
仕方がないと、僕から走り出す。
「ここ、間に合う…かな?」
「…」
スズナと河川敷を出て、アスファルトの道路を渡った。
なのに独り言になった。
きちんと後ろについてきてる。足元がぬかるみに戻って前のめりになる。
彼女は僕に黙ったまま、自分に聞かせるよう喋った。
「本当、あえてよかったね…」
抱きついてくる彼女。
置いていかれた言葉のために意地悪だけど、僕は何も言わず、笑った。