水曜日 Ⅱ
今日は部活がない日だから、図書室で時間を潰す。入り口近くのテーブルに座って本を開いた。読み始めたら時間を忘れてしまって、ちょうど1冊読み終わった頃に部活終了を知らせるチャイムが鳴った。
私は立ち上がって、荷物を持って図書室を出た。人気のない脱履を通過し、校門に向かう。
そこに誰もいないのを確認すると、私は昨日綾瀬くんがそうしていたように校門の側に立ち、彼が来るのを待った。
やがて、ジャージ姿の男の子がやって来るのが見えた。
「どーも」
彼はそう言って、近寄ってくる。
「どれぐらい待った?」
「えっと、今来たところ、です」
実際に待ったといっても5分もないぐらいだからそう答えたら、
「あんま嘘うまくないね、深和さん」
彼が笑った。
「手が真っ赤だし。寒いの?」
言われて自分の手を見ると、たしかに赤くなっている。両手を顔に近づけて、はあっと息を吹きかけたら、少しひりひりした。
「冷え性なだけだもん」
私は言い訳するようにつぶやいた。
「そういうことにしとく。帰ろーか、深和さん」
「……はい」
ふたりで歩き出す。
「深和さんは今まで、何してたの?」
綾瀬くんは前を向いたまま尋ねた。
「図書室に……綾瀬くんは、えっと、部活お疲れ様です」
「ん、ありがと。毎日こうだと帰り遅くなっちゃうけど大丈夫? 手芸部は火曜日だけ、だったよね」
「うん……でも、そんなに長くないから大丈夫」
そっか、と言って綾瀬くんがうなずく。
「たった数日だもんね」
あ……。私はハッとした。
数日。
違う。違うのに。
私が言ったのは、綾瀬くんの部活が終わるまで待ってる時間のことだった。ほんの1、2時間。本を読んでいればあっという間に過ぎてしまう時間。
綾瀬くんが名前を貸してくれると言ったのは月曜日。そして今日が水曜日。タイムリミットはあと……今日を合わせて5日だ。来週の月曜日まで。そう、たった数日しかなくて。
黙りこんでしまった私を気にして、綾瀬くんが歩調を緩める。
「どうした? 深和さん、なんか泣きそうな顔してる」
気づくとすぐ近くに綾瀬くんの顔があった。心臓がドク、ドク、と大きく鳴る。
「風が目にしみるの」
私は慌てて言った。動揺していた。悲しいことなんてない。どうして私が泣かなきゃいけないの……?
くすっと綾瀬くんが笑った。
「意地っ張りだね、深和さん」
「綾瀬くんって……」
ふいっと私は横を向く。綾瀬くんの昨日の言葉を思い出した。
『俺には思ってること正直に話して』
「綾瀬くんって私のこと、子供扱いしてる?」
「……ご機嫌斜めですか、お姫様」
綾瀬くんはよく笑う。もっとクールな人だと思ってた。綾瀬くんの笑顔は温かい。見てると、刺々しい気持ちもしゅうっと消えてしまう。
「あのね、男の子は苦手なの。怖い、から……」
私は白状する。
「……俺のことも、怖い?」
聞かれて、正直に答える。
「ちょっと、怖い。何を考えてるのかわからないから」
「今、俺が考えてること知りたい?」
こくん。私がうなずくと、綾瀬くんは足を速めて私と距離を置いた。
「ヤバイ。このままだと幸せになっちゃいそう……って」
溜め息と一緒に吐き出すような声が聞こえた。彼の後ろ姿が、なぜか寂しげに見える。
「俺、幸せになっちゃ駄目なんだ」
「……どうして?」
その後を追いかけようとすると、
「着いたよ、深和さんの家」
綾瀬くんが立ち止まった。
私たちは“小笹”の表札の前に立っている。
「じゃあね、深和さん。また明日」
「……うん」
「寂しい?」
私は必死に首を横に振った。必死すぎて首が痛くなるぐらいだった。
「……ハハ、必死だね。ごめん、からかって」
「ち、違うの。えっと、あの、バイバイッ」
逃げるように自分の家に駆け込み、懸命に息を整えた。
ふと気になって窓をのぞくと、もと来た道を歩いていく綾瀬くんの姿が見えた。
そうだ、と思い出す。綾瀬くんの家、反対方向だったんだ。それなのにわざわざ。
「……1週間だけ」
私は震える声でつぶやいた。