月曜日
「そういうの、駄目なんだ」
放課後、ふたりっきりの教室。日が傾き、窓から紅い光が差す。
目の前で、綾瀬くんが困ったように笑っている。
……わかりきったこと。
ショックなんて受けない。そう自分に言い聞かせる。
ただひとつ不安なのは、露実ちゃんたちのこと……。がっかりして、どうしようもないぐらい私に失望するに違いないということ。そして冷めたように笑って「見る目ないね綾瀬は」って言うだろうということ。
私って本当にどうしようもない。
「もしかして、泣いてる?」
綾瀬くんの声で気づいた。
泣いてる……。
「あの……俺の問題、だから」
綾瀬くんが慰めようとしているのがわかって、慌てて顔を上げて、無理に笑う。今の私の顔って、泣き笑い、で合ってるのかな。いったいどんな表情になっているんだろう。
「……ごめんね、私なんかが、迷惑だったよね」
「そうじゃなくて」
「忘れて、ください」
「だから、違うんだって」
低いけれど太くはない綾瀬くんの声が、私を遮った。
「勘違いしないで。付き合えないの、俺が原因だから」
「……え?」
そんな慰め方、されても。どうしていいかわからない。
「俺、喪に服してるから付き合うとかそういうの、ちょっと。ごめんね」
喪に服す……?
私は今すぐ辞書を引きたくなった。“喪”というのはたしか、親族が亡くなったときに公の場に出るのを控えて身を慎むこと、だったと思う。私の家でも去年母方の祖母が亡くなって、新年には年賀状を出さなかった。でもそのことと綾瀬くんの言葉がいまいち繋がらない。
そんなことを考えている間に、瞳はすっかり乾いていた。
「誰か、亡くなったの?」
「あ、うん、ちょっとね」
「そう、なんだ」
喪に服しているときって、そんなにも行動を制限されるものなのかな。それとも綾瀬くんが私に気を遣ってくれてるだけ?
「……ありがとう、綾瀬くん」
「えっと……何が?」
私は元気になったよって伝えるために、にっこりして見せた。
「綾瀬くんって、すごくいい人、ですね」
ペコリと頭を下げて、もう1度。
「ありがとう」
それから教室を出ていこうと、綾瀬くんに背を向ける。すると……腕をつかんで引き止められた。
「待って……」
振り返ると、ほっとしたように彼が微笑んで私の腕を放した。そして言う。
「あの、名前貸してあげようか」
私が首を傾けると、
「別に俺のこと好きじゃないでしょ」
といきなり言い当てられた。
「え、ど、どうしてっ」
「うーん、なんとなく、わかったよ。あの人たち……田沼、だっけ、そいつらの策略だなーって。俺をここに呼び出したのは剣人だけど、それも君のコネじゃないよね。なんで俺がターゲットに選ばれたのかはよくわかんないけど」
「あ……あ、あのっ」
私の顔はきっと、真っ赤になっていると思う。全部ばれてるなんて。私、どう思われてるんだろう。最低な奴、とか馬鹿みたい、とか……!
「これって罰ゲームかなんかじゃないの? だったらいいよ、俺の名前使っても。君の立場悪くなっちゃってもあれだからさ、ちょっと付き合ってすぐ別れたってことにすればいいんじゃない?」
え……?
私は拍子抜けした。綾瀬くんは、自分をダシに使えって言ってる? まさか、どうして……。私を庇ったって、いいことなんてひとつもないのに。
「それって、仮の恋人になってくれるってこと、ですか……?」
「そういうことにしといてもいいけど」
「えっと、私たちって秘密の関係……!」
そんな場合じゃないってわかってるんだけど興奮する。なんだか素敵な響きだったから。
目をうるうるっとさせた私に向かって、
「もしかして、ツボにはまってる?」
と綾瀬くんが聞く。
こくこくとうなずく私。
くすっと笑う声が聞こえた。見ると、さっと目をそらされる。私は首を傾げた。綾瀬くんの目が濡れていたように思えたから。
「なんか面白いね、君。えっと名前は……」
笑いながら手を口元に当て、綾瀬くんは素早くその手を動かした。目元を拭ったように見えたのは気のせい……?
「深和です。小笹深和」
「コザサ……ミワ」
……名前、覚えてないんだ。
「んー、じゃあ深和さん」
「え……深和、さん?」
変わった呼び方に驚いていると、
「小笹さんとは、呼べないから」
まるで独り言のような口調で彼が言った。
「あの……」
「いや、だってコザサって言いにくいし。そっちもくん付けだから、敬称はいるかなーと思って」
その結果が“深和さん”?
彼はちょっと、私の思ってる男性像からは離れている。男の子って、もっとがさつで乱暴なんだと思ってた。
「どうする、俺としてはお互いの限界も考えて1週間ぐらいかなーと思ってるんだけど、深和さん?」
呼び方に少し無理があるけど、綾瀬くんの中では定着してしまったらしい。
「1週間……」
「短いかな? でも、俺も時間なくて……」
短いなんて、そんなこと。私は首を振って彼を見上げた。
「そんな……綾瀬くんに迷惑、かけられない……」
「じゃあ、このままふられて帰るの?」
ふられたという言葉が耳に痛い。
私は本当に最低だ。
「……え、えっと。すごく図々しくて、ずるくて、あの、わかってるんだけど、あ、あの」
姑息な手段を使って露実ちゃんたちを騙そうとしているんだから。私にとって、何よりも大事なこと。
何よりも大切な“友達”。ううん、本当は……その程度の“トモダチ”なのかもしれない。
いずれにしても私が最低なことに変わりはないし、いちばん汚いのは、それを綾瀬くんにも押し被せようとしていること。
ごめんなさい、綾瀬くん。
「……お願いします、あなたの名前を貸してください」
そして、私たちの秘密の関係は始まった―――――――