いちいち確認するな、ばか。
朝は六時半にスマートフォンのアラームで起きる。
好きな歌を設定すると、朝起きるのがつらい日にその歌を逆恨みして嫌いになったら嫌だから、アラームの音はデフォルトから変えていない。
ぴぴぴぴぴぴぴ。
っていうただのベル音。
起きて、歯を磨いて、顔を洗って、ひげを剃って(その間に、パンをトースターにセットしておいて)、パンが焼けるまでにベランダ菜園から育ったキュウリを一本収穫する。
飲み物はオレンジジュース(オレンジが好きだけど気が向いたら違う果物のジュースを買うよ)。トーストとキュウリを交互にかじっていると、スマートフォンがメールを受信する。
『今日は、二週間に一度、爪を切る日です』
『そろそろ一カ月に一度の散髪に行きましょう』
『今日は、一週間に一度、ジムに通う日です』
おっと。今日は三通も来た。今日は帰りが遅くなりそうだし散髪はあさっての土曜に行こうかな。食器を片づけると、着替える前にプチプチと爪を切った。
そうして僕は、家から三十分ほど車で走ったところにある職場に愛車メルセデスのポンコツ号で出勤するのだ。
爪を切るのは二週間に一度。
散髪は一カ月に一度。
一週間に一度はジムに通い、くつを磨き、お風呂やトイレを掃除して、水戸黄門を見る。
成川了、二十八歳(独身)。
僕はこうやって、自分のメンテナンスを心のない機械に任せている。僕が使っているのは月額三百十五円の自己管理アプリで、こうやって必要なことを登録しておけば、登録しておいた期間ごとにメールで教えてくれるという便利なものだ。
基本的には登録しておいた行動しかお知らせされないけれど、ときどき『そろそろカラオケで今年の流行歌を練習しては?』(年末あたりに来る)とか『最近海を見てますか? 心が癒されますよ』とか、製作者のギャグなのか余計なメールが来るけれど、一人寂しく暮らしている身としては、こうやってくだらないことで笑わせてくれるこのツールが僕は案外気に入っている。
-ここからは本編に関係ない僕の個人的な主義主張なのでお忙しい方は読み飛ばすべし-
これを使い始めてからずいぶん経つけれど、僕がこのアプリを使っていることを言うと、たいていの人は『機械に縛られる生活なんて』なんてことを言うけれど、あなた、あなたは逆に、機械を使わずに行っていることって何がありますか? ご飯を作るのも、排泄の場も機械を使っているでしょう(おうちがドッポン便所というのなら仕方ないですけれど)。性欲処理は……機械を使わない人は、使わないかな(使う人は使う、かな)。そういう人間の基本的な欲求から、仕事から、僕たちはもうすでに機械なしでは生きられない。
僕自身はまったくなんとも、良い時代に生まれたと思っている。これの言うとおりにしていれば人生がある程度スムーズに進むのだから。
また、『機械に言われないと爪も切れないのか』などと言う人もいるけれど、僕はそういう人たちにこのアプリの素晴らしさを語ったり、これによって短縮される時間の価値について議論をしたくない。
大昔、何もかもを自分でやっていた時代から、野菜を作る人、肉を作る人、服を作る人にわかれたように、僕は僕のメンテナンスを機械に任せる。
「あー、髪伸びた。そろそろ切りに行かなきゃな~」
なんてつぶやくこと、またそんなことを言う人に上手い返しをすることが、僕には大切だと思えないというだけの話。
そして、僕は僕のこういう生活の仕方を他人に押し付けるつもりも、積極的に進めるつもりもない。人にはそれぞれ違った気質というか性格があるのだから、出来ない人はいくらアプリに髪を切れと言われても切らないだろう。
誤解のないように言っておくが、髪も伸びっぱなしで『そろそろ切ろうかなー』なんて言いながら時間を浪費するような人でも僕と気の合う人や僕より仕事が出来る人や、僕より出世するだろう人もたくさんいる。
つまり何が悪いと言うわけではないのだ。僕は僕のやりやすいようにやっているのだから、それを批判されると、少し悲しい。
-愚痴はここまで-
僕の働いている場所は、遊園地……とよく誤解されるのだが、『古月夢幻遊園地』という名前の、いわゆる作家の記念館で、首都圏から少し離れたひなびた温泉街にぽつりとある。古月夢幻というのは昭和のマイナーな幻想作家・詩人で、それほど多くの作品は残っていないものの、一作だけ小説が直木賞の候補に挙がったことがあるとかで、年配の人はそのタイトルを聞くとああ、と思い出す人も多い。どの時代もそうだと思うが、忘れ去られそうになった古人が現代の若い女性の間でブームになることがあるように、ときどき夢幻の大ファンだという女の子が来たりもする。まあ、客は圧倒的に四、五十代の「女の子」が多いのだが。
夢幻は長身で色白の(といっても当時の写真は白黒なので伝説によると、だが)美青年なのだ。三十代半ばで亡くなっている。
『古月夢幻遊園地』は、夢幻の親友だった石橋さんという、いなせなじいさんが建てた民間の記念館だ。スタッフは館長の石橋さんと、僕と、僕の三つ年下で、大学の卒論で夢幻を研究したと言う変わり者の薬丸いづひと、時々来るパートのおばちゃんが二人。たったの五人しかいない職場で、いづひが主に収蔵品の管理(いわゆる学芸員)、僕がそれ以外の雑務をやっている。雑務と言っても、施設を運営するための総務・経理・宣伝広報を全部やっているのだ。大変だぞ。
ちなみに何故すんなり『古月夢幻記念館』という名前ではないのかというと(『遊園地』という名前のおかげで、勘違いした親子連れがときどき来る)、夢幻の作品に『遊園地』というタイトルの詩があって、それが石橋のじいさんのお気に入りだから、らしい。この詩は、遊園地なんて明るい印象のタイトルの割には鬱屈した感情が並んだ根暗な詩だと僕は思うのだが。
休日は週二日きちんとあるし(ただし祝日は無視)、残業もほとんどない。同年代のやつらに比べたら給料は少ないかもしれないが僕は案外この仕事が気に入っている。ちなみに、夢幻の研究者でもファンでもなんでもない僕がここで働くようになったのは、大学生活が終わりかけても就職が決まらなかった僕に、石橋のじいさんが声をかけてくれたからだ。実は僕と夢幻は遠い親戚関係で、じいさんとも幼いころから交流がある。はっきり言ってしまえば縁故採用だ。だからといって誰からねたまれることもない職場ではあるけれど。
ざっと、僕の性格と仕事についてお話したのだけれど、こうやって永遠に続くような日々が(といっても運営はぶっちゃけカツカツなのだが……いつ閉館してもおかしくなかったりして)ほんの少し、ドラマチックに動いたのはある夏の終わりかけた日のこと。
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その日、いつもの通り僕はぴぴぴぴぴぴぴに起こされて、歯を磨いて、顔を洗って、ひげを剃って、そしてメールをチェックしたらこういうメールが届いていた。
『薬丸いづひを好きになって、両想いになりましょう』
了解。
僕は少しびっくりしていた。今日、火曜日というのは日課を入れていないので基本的にはメールが来ない。今日は曜日周期でも、月周期でも何も予定が来ないはずの日だったので、これは運営側の冗談かな。
とはいえ、無理でないことなら出来るだけやってみよう、何か面白い発見があるかもしれないし、というのが僕のスタンスなので、僕は、薬丸いづひを好きになることにした。
薬丸いづひというのは「夢幻遊園地」に二人しかいない正職員の一人で、現在二十六歳。オシャレでもない眼鏡をかけて、細い真っ直ぐな黒髪の、いかにも文学部を卒業したというようなひょろっと背の高い女だ。でもパッと見、おとこかおんなかわからない。基本的には無口だけど、遊園地に訪れるお客さんには愛想よく接するし、僕には彼女と同い年の弟がいるせいか、彼女のことも「弟」のように思うことがある。僕は夢幻のことはよく知らなかったし、いづひは最初は領収書もろくにもらって来ることができないような奴だったけれど、うまが合うとでも言うのか、煩雑な言葉を使わなくても僕の指示は間違いなく彼女に通ったし、彼女の要望を僕はだいたい許容出来た。今ではお互いに相手の仕事をカバー出来るほどにはなっている。
出勤すると、いづひはすでにデスクにいて、文芸雑誌に掲載されるうちの紹介記事の校正願いを見てくれていた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
目が合うと挨拶をしてくれた。真顔だ。彼女が僕に笑顔を見せることはめったにない。
「? ……どうかしました?」
いづひは顔を上げたまま、首をかしげた。
「どうかって?」
僕はパソコンのスイッチを入れる。彼女の顔は見ないで。
「なんか、挨拶がうわずってたので」
「そうかな」
「気のせいなら別にいいです」
いづひはあっさりとそう言って、記事のチェックに戻った。
メールと、昨日の業務日報を確認する。と言っても、昨日もお互いに出勤で顔を合わせて仕事をしたので日報に連絡事項はなし。受付のおばちゃんに金庫から出したお釣り銭を渡して今日も遊園地の一日が始まる。いづひは開園するとすぐに記念館の方に行って、展示物のチェックをする。展示物は、ハッキリ言って最低限の管理しかされておらず、理想的な保存状態とは程遠い。ある日、朝出勤したら展示ケースの中を蛇が這っていた、ということがあった。僕たちは大騒ぎしてそれを追い出したのだが、さすがにそんな状態の展示をせっかく来てくれたお客様に見せることはできないというので、展示担当のいづひが毎日展示室に異常がないか巡回しているのだ。
ところで夢幻は昭和の人間なので、まだ資料が新しいこともあるが、彼の作品を今後も伝え続けるためには、もっときちんとした展示管理設備が必要になるということは僕だってわかるのだが、元々が石橋のじいさんが私財を投じて作った記念館なので、そもそもあまりお金はない。
僕はメールをチェックして、今日やることを考える。ちなみに今日は、館長のじいさんはお休みだ。僕はとなりのいづひの席を覗きこんで、先ほどの記事校正を見た。訂正と思われる書き込みがいくつかしてあったが、まだ送信はされていないようだった。とりあえずやることもないし、いづひはまだしばらくは帰ってこないと思うから、代わりにやってやるか。僕は先方にファクシミリで流した。
午前中は、遊園地のウェブサイトの更新でもしようかと思い、僕は備品のカメラを用意した。サイト内にはブログもあって、石橋のじいさんが手入れをしている素人日本庭園の四季の様子や夢幻についてのうんちくなどを掲載している。アクセス解析を見ていると、これが案外観覧数が多いのだ。
あわよくば、遊園地を囲う森の中で、ツクツクボウシの姿でも見つけられないかと思っていたらいづひが戻ってきた。
「あれ、ここにあった記事校正は?」
「送っておいたよ」
「ええ!? すみません、あれまだ途中だったんですけど……」
「あ、そうなの? ごめん! あちゃ、先方に電話しなきゃ」
のん気に虫取り網を用意していた僕は、慌てて送った記事をいづひに返すと、先方に謝りの電話を入れた。
「ふー。まだ大丈夫だって。でも午前中には欲しいって」
「それは大丈夫です。こちらこそすみません。何も言わずに」
「いいや、僕が悪かったよ」
僕が手を合わせて謝ると、いづひは珍しく苦笑いのような表情を浮かべた。
「今日、調子悪いんですか?」
「え?」
「朝からちょっと様子おかしかったし」
「……さすがに夏の疲れが出て来たのかな。きみと違って、若くないから」
冗談ごちて言うと、いづひはさらに笑った。否定されないところがちょっと悲しい。僕は虫取り網を握り直すと、ちょっとセミ捕まえてくる、と言って事務所を出た。
「若いな、ナルさん」
いづひの苦笑が背中にかかった。
調子が悪い、というのとは少し違うのだけれど。
確かに今日僕はいづひの事を意識しすぎていると思う。さっきのことだって、普段はいづひが校正を返して来るまで自分から手を出したりはしないのだ。今日の僕は、いづひを好きになることにしている(……ああ、へんな言葉)から、こんなに不審な行動をしてしまうのだろうか。
……好きってのは。
「どういうことだったっけ」
ぽつりと呟いた僕の背後から、なにしてるのー? っと、仕事中の社会人に対して遠慮も何もない無邪気な子どもの声がかかった。
どうやらお客さんらしい。おじいちゃん、おばあちゃんに連れられた小学生くらいのお子さん。おじいちゃん、おばあちゃんは展示に興味があるようだけど、子どもにとってはせっかくの夏休みに、なんでこんなところに連れてこられないといけないんだ、と思ったのかもしれない。遊園地、なんて名前の癖に。
「遊んでるの?」
「僕は、お仕事をしてるんだよ」
「どんなお仕事?」
「セミを捕まえようと思って」
「セミを捕まえるお仕事があるの? おれ、得意!」
少年は目を輝かせた。今でもセミ取り名人なんて呼ばれる子どもがいるのかな。
おじいさん、おばあさんに僕がこの子を預かりますから、と言って展示を見てもらっている間、僕と、タカアキくんという男の子は友だちになって、一緒にセミを追った。結局捕まえたセミはツクツクボウシではなくアブラゼミだったけれど、タカアキくんがセミを追っている様子を写真に撮らせてもらったりして、ブログのネタはこれでいくことにした。
事務所に戻り、うちわで自分をあおいでいると、いづひが麦茶を持ってきてくれた。ちなみに僕たちは私服に近い服装で仕事をしている。さすがに仕事なので、あまりラフすぎないように気をつけてはいるが。
「ありがと」
「そんなに腕をむき出しで遊んでると、日焼けしますよ。まだ日差しが強いですから」
「ん? 別に女じゃないんだから、色が黒くなっても、どうってことないさ」
「肌がひりひりしても知りませんよ」
いづひは少し笑った。
「いづひの笑ってる顔は、少しいいな」
「……」
そう言うと、彼女はぽかんとした。
「少しってのは、どういうことですか」
冗談で済まそうとしたのか、いづひはからかうように、また少し笑みを浮かべながら言った。
「だって少ししか笑ってないじゃないか」
「たくさん笑ったら、たくさんいいって思ってもらえるんですか?」
「うん」
「ははっ」
いづひは珍しく、声を出して笑った。
「ナルさんの、そういうところは好きですよ」
上ずった声でそう言うと、彼女は展示の方へ行ってしまった。
……なんだか、先を越されたような気分だ。
暑さは中々引かない。
僕たちは交代でお昼休憩を取る。どちらかがチケット販売のおばちゃんと変わって一時チケット売り場に入り、おばちゃんと、チケットに入らなかった方が事務所の電話番をしつつ休憩をする。その後でもう片方が休憩を取る。今日はいづひが、おばちゃんと交代したので、俺が先に休憩を取ることになった。
パートのおばちゃんこと浅根さんは、小柄だがちゃきちゃきしていてよく働いてくれる。