標題 クドリャフカ、終章
都内のオフィスビルのワンフロアで白衣を着た数名が忙しなく動いている。
ガラス張りの扉で仕切られた部屋に2人の人影。
スーツを着た若者が報告する。
彼以外は白衣のため、異質にも見えた。
「佐藤室長、柊が橘の娘に接触しました。」
佐藤と呼ばれた男はピクリと眉を上げ、シルバーフレームの眼鏡のブリッジを中指で直した。
「やはり動きましたか。しかし、あの男が自ら接触するという事は、橘の娘がデータを持っていると見て間違いありませんね。」
「はい。ですが、柊にそれ以上の動きは見受けられませんでしたし、彼女もすぐ返したようです。」
佐藤はデスクに肘をつき、思案した。
「なるほど。では空振りだったか、もしくは橘の娘が渡さなかったか、のどちらかですね。・・まあ後者でしょうが。“あの時”は何も持っていないと言っていましたが、嘘だったようですね。」
佐藤の脳裏に、施設で暮らす凛が浮かぶ。
「こちらも接触しますか。」
若者が指示を仰ぐ。
「今日の事で警戒はしているでしょうが・・時間がありませんね。柊がデータを手に入れる前に我々が奪取します。」
「承知しました。」
若者が部屋から退出すると、彼はほくそ笑む。
「ククッ、流れはこちらに来ている。“彼”の経過も順調だ、明後日にでも退院出来るだろう。“彼”が復帰し、橘の娘からデータを奪取すれば研究は一気に完成する。我々の、山田所長の悲願が達成される。ああ、長かった・・だがついにこの時が来た!」
* *
インターフォンを鳴らすや否やお母さんがドアを開けた。
「凛!もうっ遅くなるなら電話しなさい!」
「ご、ごめんなさい。」
家の中からは遥の声がする。
「姉さん帰って来たの!?」
「ええ、そうよ!」
小走りで玄関に出てくる。
「姉さんっ!」
「遥、ごめんね。」
裸足で玄関先まで下りて、私に抱きついた。
「心配した。」
「うん・・、ごめんなさい。」
「話は後で聞くから家に入ろ。」
「あ、うんちょっと待って。あの、」
「あらっ?」
言う前にお母さんが気付いた。
「篠ノ乃女さんと・・・どなた?それよりどうしたの?!ボロボロじゃないっ。」
遥も気付いたのか、2人をじっと見る。
「あのねっ!えっと、そう!絡まれたの。」
「絡まれた?」
「うん、それで2人が助けてくれて、それで。あの、」
どうしたものかと彼らを見ると、寝耳に水だとばかりに瞳を見開いていた。
失敗だったかしら。
「まあ!まあまあそうなのっ?それでこんなにボロボロにっ。有難うございました!娘を助けていただいて。」
お母さんは納得してくれたのか、深々と頭を下げる。
「いえいえっ!そんな、頭を上げて下さい。」
篠ノ乃女さんはまだ混乱しているみたいだけど、話は合わせてくれるようだ。
「だから、お母さん。晩ご飯を、と思って。怪我の手当もあるし。」
遥に抱きしめられたまま言う。
そろそろ離して欲しい・・。
「ええ、そうね!それがいいわ。早く上がってちょうだい?遥!救急セットの用意して。ーーさ、どうぞっ。」
遥はちらりとお母さんを見た後、私から離れて無言で家に入った。
「えっと、すみません。お邪魔します。」
2人ペコリと会釈しながら、おずおず入る。
「どうぞ、どうぞっ!お料理温めて来るから、凛お願いね。」
「うん、分かった。」
リビングへ通してソファーに座ってもらう。
そこには遥が救急箱を出して待っていた。
「俺が手当するから姉さんは着替えてきなよ。」
「でも、」
「洗ってない手で手当するの?」
それはマズい。
「あっ、手洗って来る!」
「ついでに着替えもね。」
「分かった、遥よろしく。」
急いで洗面所で手を洗い、階段を駆け上がって適当に掴んだTシャツと短パンを履いてリビングに戻った。
3人は黙って手当し、されている。
何だろう、この重い空気。
「遥、有難う。代わるわ。」
「・・いい。もうすぐ終わるし。」
テキパキと処置を進める。
「そう。」
手持ち無沙汰になってしまった。
やる事がなくて、とりあえずキッチンに行く。
「お母さん、手伝う事ある?」
「あら凛、着替えたのね。じゃあ、シチューよそうから持ってって。」
「うん。」
お盆にシチューのお皿を乗せて運ぶ。
後ろからお母さんもサラダを持って来る。
テーブルに並べながら、どう座るかを考えた。
ん〜、椅子が足りない。
確か納戸に折りたたみ椅子があったけ。
「私、椅子取って来るね。」
「ええ、お願い!」
あった。
椅子を運びながら3人の微妙な空気が頭に浮かび、溜め息を吐く。
2人はともかく、遥は何であんなに機嫌が悪いのかしら。
やっぱり私のせい?
でもそれにしては、やけに彼らに対する態度が悪い。
苦手・・とか?
ああ、大学生だから緊張してるのかも。
身長は高いけどまだ中学生だしね。
うん、そうだわ。
と勝手に自己完結した。
椅子を置いて、様子を見る。
相変わらず重いわ。
「さあ!準備出来たわよっ。そっちは終わったかしら?」
お母さんが両手をパンと合わせて言った。
「ああ、うん終わった。」
「そう、じゃ篠ノ乃女さん達は手を洗って来てちょうだい。凛、案内して。」
「は〜い、こっちです。」
洗面所に案内する。
「タオルはこれを使って下さい。」
「有難う、でもほんとに良いのかな。手当までしてもらってご飯まで。」
篠ノ乃女さんが手を拭きながら言う。
「もちろんです!お2人の怪我だって私のせいですし。」
「蓮、お言葉に甘えさせてもらおう。凛ちゃん気にしないでね、こいつが勝手にやった事だから。」
菊井さんが二カッと笑って、そう言ってくれた。
「有難うございます。お母さんの料理美味しいんですよ!いっぱい食べて下さいねっ。」
「ああそうだな。神崎さん、菊井の言う通り気にしないで。ごちそうになるよ。」
「はいっ。」
良かった。
「あ〜そうだ凛ちゃん。気のせいかもしれないんだけど、俺たちって遥君?に嫌われてたりする?」
・・・やっぱりそう感じるわよね。
「すみません。でも緊張してるだけだと思うんです。あとは私が心配かけちゃったから機嫌が悪いのかと。」
「ん〜そうかなぁ?それはちょっと違う気が・・ま、いっか。」
納得いかなかったみたい。
初対面の人をいきなり嫌うような子じゃないんだけどな。
リビングに戻り、いつもはお父さんとお母さんが座っている場所に座ってもらった。
「・・姉さん、席替わろうか?」
遥が折りたたみ椅子を見て言う。
「大丈夫よ、有難う。」
「ささっ!食べましょう、おかわりもあるから言ってね?今日は凛を助けてくれて本当に有難うございます。・・えっと、ごめんなさい。篠ノ乃女さんは分かるんだけど・・。」
そういえば、菊井さんの紹介してなかった。
「あ、菊井と言います。れ、篠ノ乃女とは住んでるとこが一緒なんです。」
そうだったんだ。
というか2人とも下宿してるのか。
「あら、そうなの?1人暮らしなんてえらいわぁ〜!どの辺り?」
「いや、1人暮らしと言っても管理人さんが面倒みてくれたりするんで、他の1人暮らしとはちょっと違いますね。場所は隣町っす。」
隣町か、わりと近いな。
「へぇ、素敵な管理人さんね!」
「はい、葉山荘って言うんです。」
葉山荘。
今時珍しいな、〜荘みたいなやつ。
「そうなの、近いんだしいつでも遊びに来てちょうだい?」
「ははっ、有難うございます。」
菊井さんとお母さんの会話ははずみ、篠ノ乃女さんはそれをニコニコ聞いている。
が、問題は遥だ。
そんなに怒ってるの?
そりゃ心配かけたのは悪かったけど、お客様の前よ?
私の視線に気付いたのか、箸を止めて顔を上げる。
「どうかした?」
「え、ううん。何でもないよ。」
「そう。」
「うん・・。」
か、会話がっ。
いつもの可愛い遥に戻って!
「遥どうしたのぉ?さっきまで凛の事心配して探しに行こうとまでしてたのに。帰って来たのに嬉しくないの?」
そんなに心配してくれたんだ。
お姉ちゃん嬉しいわっ。
「・・別に。母さんは知ってたんだね、篠ノ乃女さんの事。」
「ええ、夕方家にね。」
「夕方?」
「そうよ、凛が連れて来たの。ねっ、篠ノ女さん?」
「はい、またお邪魔してしまって。」
「いいのよ、いいのよ!」
遥は面白くなさそうに、「ふ〜ん。」と呟いた。
「・・遥?」
「何、姉さん。」
「本当に心配かけてごめんね。」
「うん。もういいよ、無事だったみたいだし。」
ちらりと2人を見ながら言う。
「あの、何かあった?」
「何で?」
「だって変よ。」
「・・別に。ただ悪い虫がつかないと良いなって思ってただけ。」
「悪い虫?」
篠ノ乃女さんは飲み物が気管に入ったのかゴホッと咽せ、
菊井さんはパクリとスプーンを咥えたまま固まり、
お母さんは苦笑いしている。
みんなどうしたのかしら。
まさか、魔法使い達の事とか?
・・そんなわけないよね。
何だろう。
「そ。まあ姉さんは気にしなくて良いよ。」
「・・そ、う。」
「と、ところで遥君だっけ?何歳?」
と菊井さんがこの空気を打破するために訊いた。
「15です。」
「15ぉっ?!中学生って事?マジでっ。」
菊井さんは身を乗り出した。
篠ノ乃女さんも瞳をまんまるにする。
「よく間違えられるんですよ、私が妹だって。」
苦笑して言うと、彼らは笑った。
「いや〜、そりゃ間違えるわ!ビックリしたー。」
「そんなに私幼いですか?そんな事ないと思うんですが。」
ちょっとムッとしながら訊くと、2人は慌てて否定する。
「遥君、大人びてるしガタイが良いから。」
「そうそう!凛ちゃんも大人っぽいと思ってたけど、弟君もそうなんだね。中学でこの身長はすごいわ〜、俺何かすぐ超されそう!」
「そうねぇ、遥はお父さんに似て身長が高いわね。」
やっぱり他人から見ても発育が良いのか。
さすが私の弟っ。
「そういえば、今日お父さんは?」
まだ帰って来てないみたいだけど。
「お父さんは出張みたいよ。明日帰ってくるわ。」
「そうだったんだ。」
良かった。
お父さんが帰ってたら怒られるところだった。
それを見透かしたのか、お母さんが続ける。
「でもね、今日の事はちゃんと言いますからね。」
「えっ。」
やだな、お説教久しぶりかも。
「あの、お母さん。神崎さ、凛さんは悪くないのであまり、」
篠ノ乃女さんがフォローしてくれる。
「分かってるわ。話すだけで、お父さんも怒りはしないでしょう。」
「そうですか。」
彼がホッと息を吐く。
「やだもうこんな時間っ。ねぇ、2人とも明日土曜日だし学校ないでしょ?泊まっていって!」
ええっ?
「ちょ、母さん?」
「なあに、遥。良いじゃない、もう遅いし凛の恩人さんなんだから。」
「それは、でも。」
「はい、決まり!2人もゆっくりしていってね。」
鼻歌を歌いながら上機嫌に食器を下げる。
ええええ〜。
何て強引な。
私も人の事言えないけど。
「神崎さん、俺たちは帰るよ。美味しかった、ごちそうさま。」
「え、でもお母さんが。」
「あ〜うん、だから今のうちに、ね。」
と菊井さん。
「あら?あらあら、帰るの〜?」
「うわ、お母さん!」
ひょっこり顔を出す。
今、気配なかったのにっ。
「あ、いや俺達もそこまではっ。美味しいご飯もごちそうになりましたし。」
「嬉しいわ〜!なら朝ご飯も食べて行ってくれればいいじゃない。」
「管理人さんにも言ってないんで、ね!凛ちゃん!」
押され気味の彼らから助けを求められる。
「おか、」
「凛。」
「・・・はい。」
ごめんなさい!
私には無理です。
母VS篠ノ乃女&菊井さんの戦いは、お母さんの圧勝だった。
「着替えとバスタオル置いときますね。」
「有難う。」
お風呂場から反響する声。
泊まっていただく事になりました。
はい。
リビングに戻ると先にお風呂に入った菊井さんが遥と並んでTVを見ていた。
仲良くなったのかな?
「遥君、この中だったらどの子タイプ?」
「・・・・。」
「・・あ、部活とか入ってんの?」
「・・・・。」
仲悪っ!
どうしよう、一方的に遥が菊井さんを嫌って無視を決め込んでる。
本当に今日はどうしちゃったのっ。
しばらくして、篠ノ乃女さんがお風呂から上がって来た。
濡れた髪から首筋に雫が伝う。
・・直視出来ない。
これが噂の水も滴る良い男?
「お先にいただきました。」
「あ、ドライヤー洗面所に出てるので使って下さい。」
「有難う。でもタオルで拭けばすぐ乾くからいいや。」
「そうですか。」
目のやりどころがっ。
着替えとタオルを用意して声をかける。
「菊井さん、続けて入っちゃって下さい。」
「あ、蓮上がったの?分かった、今行く〜。」
今更だけど2人にどこで寝てもらうんだろ。
家には客間ないからな〜。
「神崎さん、これって誰のねまき?」
襟をくいっと引っ張って篠ノ乃女さんが訊く。
何だろう、このいちいち色っぽい感じは。
はっ!
まさかこんな事考えてる私ってオヤジ?
「あの、神崎さん?」
「えっ、あ、すみません。それは父のです、ピッタリみたいで良かった。」
彼の方が少し華奢だから心持ちゆったりしてるけど。
「そうなんだ。菊井のは?あいつにはちょっと大きい気が。」
「大丈夫です。菊井さんには遥のを置いておきました。」
「あ〜なるほど。背もあんまり変らないしね。」
「はい。」
「凛〜!」
2階からお母さんに呼ばれた。
上に居たんだ。
「は〜い!」
「シーツ2つ持って来て!遥の部屋にー。」
遥の部屋?
「え、母さんっ?」
終始無反応を決めていた遥がガバッと振り向いて、リビングを出た。
とりあえずシーツよね、うん。
2階から言い合う声が聞こえたが、知らないふりをして取りに行った。
持って上がると、何事もなかったように2人してベッドメイクしたり、床に布団を敷いていた。
あれ?
「お母さん、持って来たよ。」
「有難う。今日はここで寝てもらう事にするわ。」
「遥は?」
「遥には、あなたの部屋で寝てもらおうと思うの。」
私の部屋?
それは構わないけど・・。
「姉さん、よろしく♪」
あらご機嫌。
良い事あったのかしら、この数分で。
ま、いっか。
一緒に寝るの久しぶりだな〜。
「あれ?布団ってまだあったっけ。」
「ないわよ。」
「え。」
どうするの。
「大丈夫、横向いて寝れば何とかなるから。」
弟よ、恥ずかしさとかはないのか。
存外にシスコンだな。
嬉しいけど。
目一杯甘やかそう。
ちっさい時みたいに。
「そうね。」
「うん!」
可愛いっ。
準備が出来たところで2人を呼びに行く。
「あ、菊井さんお風呂上がったんですね。」
「うん、お先〜。」
「家、客間がないので申し訳ないんですが遥の部屋で寝てもらって良いですか?」
「あ、うん全然!有難う〜。」
「遥君は?」
「姉さんのとこで寝ます。」
下りて来た遥がご満悦で言う。
「あ、そうなんだ。・・・・だからご機嫌なのか。」
最後聞き取れなかった。
「ごめんなさい、何て言いました?」
「ん?いや独り言だから。」
「そうですか。」
篠ノ乃女さんの返答に菊井さんは苦笑いしている。
「じゃあ、遥君使わせてもらうね。」
「ええ、どうぞ。」
「あ、遥。お風呂空いてるから入っちゃって。」
「姉さん先に入りなよ。」
「いいから、ほら入った。」
背中を押してお風呂場へ向かわせた。
「では、部屋に案内しますね。」
2人を部屋に通して飲み物を取って来ると言ってキッチンへ。
今日の事、ちゃんと話さなきゃ。
コップとお茶が入ったポットを運ぶ。
「お待たせしました。どうぞ、麦茶です。」
「有難う。」
その前に、お礼よね。
「今日は本当に有難うございました!いっぱい迷惑かけちゃってごめんなさい。」
「良いって言ったでしょ?お礼ならしてもらったし、十分。な?」
「うん、凛ちゃん気にしすぎ!それに魔法使いが絡んでるんだったら無関係ってわけでもないしね。」
「・・有難うございます。」
優しい人達で良かった。
「それで、何かされたりしなかったの?」
「いえ、話をしただけなんです。」
篠ノ乃女さんに訊かれ、お屋敷での事を全て話す。
あの人の事も。
「ーーーーつまり、凛ちゃんの生みのお母さんは研究所に殺されたって事?そんで、今研究が再開されようとしてる。」
「はい。長って呼ばれてた人の話だと。」
菊井さんはブツブツ呟き、篠ノ乃女さんは黙り込んでしまう。
「あの、私はどうすれば?」
「・・そうだね。100%信じて良いわけじゃないけど信憑性はあるな。もし、それが本当なら魔法使いだけじゃなくて研究所も君に接触して来るはずだ。」
やっぱりそうなるのか。
でも対処なんて出来ない。
「しばらく行動を一緒にとろう。」
「え?」
「学校が終わったら、俺か菊井のどっちかが迎えに行く。それまでは学校に居て、外でも誰かと必ず居るようにするんだ。」
それは願ったりだけど、すごい負担になっちゃうんじゃ。
「良いんですか?」
「うん。本当はずっと一緒に居てあげたいんだけど学校急に休んだら、俺達はともかく神崎さんは家族が不審に思うからね。」
そりゃそうだ。
魔法使いなんて言っても信じてもらえないだろうけど、どこまで隠し通せるかな。
心配、かけたくないな。
遥は受験もあるし。
「大丈夫だよ〜!俺達がついてるから安心して?ねっ、凛ちゃん。」
菊井さんの明るさ、好きだな。
「はい、よろしくお願いします!」
「あ、じゃ連絡先交換しよ〜。蓮なんて送ったばっかの時交換しようと思ったのに遮られちゃったしねww。」
気付かなかった。
「お風呂空いたよー。」
下から遥の声。
「あ、じゃ私行くのでごゆっくり。部屋隣ですから、何かあったらいつでも言って下さい。」
「うん、ありがと。おやすみ〜。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
時計の針は12時を回っていた。
* *
研究所の一室、ネームプレートには橘の文字。
研究員の女性と5・6歳の少年が楽しそうに雑談している。
「あのね、私にも年の近い娘がいるの。」
女は嬉しそうに話す。
「今度連れて来るから、遊んでやってくれない?」
「いいの?」
「もちろんよ!君だから頼んでるの。」
少年は瞳をキラキラさせて喜ぶ。
「わかった!やくそくね!」
「ええ、約束よ。君よりちょっと年下かな。」
「じゃあ、ぼくのほうがおにいちゃん?」
少年はまだ見ぬ少女を思い描く。
「そうよっ。お兄ちゃんよ、凛をよろしくね。」
「りん?」
「私の娘の名前。凛って言うの。」
りん、と小さく呟くと少年は笑顔を浮かべた。
「ぼくがね、まもってあげる!」
「凛の事を?頼もしいわね、お願いしちゃおうかな。」
にこやかに女が応える。
「うん!まかせて。おにいちゃんだからまもる!」
「有難う。」
ふわりと少年の頭を撫でた。
「えへへっ。」
コンコン。
「はい。」
「チーフ、所長がお呼びです。」
「分かったわ。」
女は溜め息を吐いて重たい腰を上げる。
「ごめんね、行かなくちゃ。また今度ね?ーーー蓮君。」
「うん!」
名残惜しそうに頬を一撫ですると、女は部屋を出た。
バッーーー。
「んん〜、蓮、悪い夢でも見たのか?まだ4時だぞ。」
青年は呆然としながら、ポツリと答えた。
「・・いや。昔の、昔の夢を見たんだ。懐かしい夢を。」
「ふ〜ん。まあ良いけどちゃんと寝ろよ?」
「ああ。起こして悪かったな。」
カーテンの隙間から月明かりが漏れる。
光は起き上がった青年を照らす。
その顔はひどく寂しげで儚い。
「守るよ、京香さん。」
誰にも聞こえない小さな声だった。
小さな小さな声だった。
クドリャフカ編は本話で終わります。
次に番外編を1本挟んで、クドリャフカの続きを書く所存です。
ここまでお読み下さり、有難うございました。
そして皆様、Happy Halloween!
素敵なハロウィンをお過ごし下さい。