標題 クドリャフカは誰だ
目の前で起こった事態に、たまたま力を使っただけだった。
それだけの事で、終わるはずだった。
だけど図書館で助けた彼女は、京香さんの娘さんで。
こんな偶然もあるのか、本当に世間は狭い。
笑えてくるほどだ。
いや、これは偶然などではなく紛れもない必然であると言えよう。
しかしデータがまだ残っていたのか。
彼女から“魔法”という言葉が出たのだから、そのデータは間違いなくあの実験に関わる物で間違いない。
京香さんは何故そんな事をしたんだろう。
用心深いあの人が、危険の種である研究成果を自分の娘に持たせる理由がない。
もし表に出れば世界の均衡はたちまち崩れてしまう。
あれは存在するだけで一種の時限爆弾だ。
落ち着け。考えろ。
京香さんが死んだ事なんて分かっていたはずだ。
動揺するな。
ひょっとしたらまだ生きているかもしれないという淡い期待が打ち砕かれた事に思ったよりダメージを食らってる。
今はこれからどうするかだけを考えろ。
最善の策は何だ。
彼女を守るにはどうすれば良いーー。
「あの、シノノメさん?」
「え?あ、ごめん。考え事してた。」
「そうですか。ところで私、シノノメさんの名前が知りたいんですが。あと漢字も。」
彼女はニコリと笑いながら言う。
確かにちゃんとした自己紹介らしいものをしていない。
「そうだったね。俺は篠ノ乃女 蓮、18歳。今は大学に通ってる。」
スマホで自分の名前を打って見せる。
彼女もそれに倣ってスマホを見せた。
「私は神崎 凛です。16歳の高2です。」
「ん。よろしくね?」
「はい、宜しくお願いします。」
さて、どうしたものか。
やはりデータが気になるな。
早めに消した方が良いだろう。
「とりあえずさ、データ見せてくれない?]
「それは構いませんけど。」
「ありがと。じゃ、行こっか。」
鞄を持って立ち上がる。
「え、行くってどこへ?」
「家にあるんでしょ?USB。」
「今からですか?!」
「そ、今から。」
* *
篠ノ乃女さんは、今から私の家に来ると言い出した。
「でも、急ですし・・・。」
「大丈夫、すぐ終わるから。」
いや、そういう問題じゃ。
んん〜、お母さんに何て言おう。
友達です?
それともあの人の知り合い?
ダメだ。急すぎる!
「明日とかでは?」
「今日が良いな。」
まじか。意外と強引だな。
「・・・・・分かりました。」
運良く、みんな出かけてたりしないだろうか。
「助かるよ。」
参ったな。
* *
男が1人、住宅地に佇む一軒家を見上げる。
表札には神崎の文字。
中から声が聞こえたため、男は電柱に身を隠す。
「遥〜!お醤油もお願い!」
「分かったよ。ったく、帰って来たばっかりだってのに。」
ぼやきながら学ランを着た少年が家から出て来た。
肩にトートバックをぶら下げて歩き出す。
男は少年の姿が見えなくなったのを確認すると、手帳を開いた。
ー〈調査報告書〉
・神崎 凛(16)
橘 京香の実子。
神崎家と養子縁組。
・神崎 誠(46)
大手企業に勤務。営業部長。
・神崎 美香(42)
専業主婦。
旧姓、橘 美香。
橘 京香との関係は不明。
・神崎 遥(15)
神崎 誠、美香の実子。ー
「父親は会社、息子はおつかい。家に居るのは母親だけか。ふむ、どうしよっかな〜♪さっと入ってUSB回収するか、な。」
男が一歩踏み出した時だった。
ガラリとリビングの窓が開く。
「いけないっ、洗濯物干しっぱだわ。」
美香が洗濯物を取り込もうと庭に出た。
「ちっ。」
男は舌打ちして、再び様子を窺う。
一息吐いて庭をのぞくと、一瞬だけ美香と瞳が合った。
「ーーっ!バカな、気付かれた?」
男の額から汗が伝う。
さっと、身を翻して立ち去ると周囲を確認して電話をかけた。
「もしもし、住人に見られた可能性があるため一時撤退します。ーーはい、申し訳ありません。」
通話を切ってポケットにスマホをしまい、もう一度手帳を開いた。
「・・神崎 美香、旧姓ーー橘 美香。京香との関係は不明、不明だと?人除けの魔法を張ったのに、“意識して”こちらを見たんだぞ?」
「そんなの、有り得ない。」と吐き捨てて、男は消えた。
白い光を放って。
* *
家に着いてしまった。
「・・・・・ここです。」
隣には篠ノ乃女さん。
「ちょっと、待ってくださいね。」
ピンポーンとインターフォンを鳴らす。
「はぁ〜い。」
「ただいま。」
「あら、凛。今開けるわね・・・・おかえ、」
ドアが開いた。
「あ、お母さん。こちら篠ノ乃女さん。家に上がってもらっても良い?」
お母さんがドアを開けた体勢のまま、あんぐりと口を開けて呆然とする。
「初めまして、篠ノ乃 蓮です。突然押し掛けちゃってすみません。」
「え、あ、はい。母の美香です。どうぞ上がって下さい。」
何て説明しよう。まだ考えてない。
「お邪魔します。」
靴を脱いで家に上がる。
あ、ちゃんと靴整えた。
それを見たお母さんの篠ノ乃女さんに対する好感度は上昇中だろう。
ま、問題ないか。
「ごめんなさいねぇ〜、あんまりお友達が遊びに来る事なくてビックリしちゃったの。」
「いえいえ、突然押し掛けたのは僕ですから。」
僕だって。
「まあ、しっかりした男の子ね!私服だけど凛の先輩?ささっ、入って入って。」
お母さんは彼をリビングに通した。
「そういうわけでは。」
「あら、違うの?まさか・・彼氏?!やだ、凛ったら何も言わないから!ごめんなさい、お友達とか言っちゃたわね。」
待て待て待て!
何を勘違いしているの。
友達と間違えるより恥ずかしいから!
「え、いやあの。」
「ちょっとお母さん!」
「何?凛、あなたどうして大事な事言わないの。」
「だから違うの!」
「良いのよ!隠さなくて。あ、彼氏だったら私邪魔かしら?」
「違うってば!」
人の話を聞け。
「あの、お母さん?僕は、」
「篠ノ乃女君、気が利かなくてごめんなさい?そうね、彼氏だったら凛の部屋の方が良いわよね。後でお茶持ってくからごゆっくり〜。」
お母さんは私と彼の背中を階段へと押すと、リビングのドアを閉めた。
「ちょ!」
「まあまあ、いったん落ち着こう。」
何を言ってるの、早く誤解を解かなきゃ。
「でもっ。」
「とりあえず部屋上がらせてもらって良い?お母さんには後で俺が話すから。ね?」
「・・・はい。」
何だか私だけ焦ってバカみたい。彼の言う通りにしよう。
2階へ上がって部屋へ案内する。
「どうぞ。」
「お邪魔します。」
部屋に家族以外の男の人が来るの初めてかも。
うわ、緊張して来た。
一応、片付いてるけど大丈夫かな。
「あ、えと。好きな所に座って下さい。」
「有難う。早速だけど見せてもらえる?」
見せる?ああ。
「確か、この引き出しに・・あった。これです。」
ローテーブルの前に座った篠ノ乃女さんに渡す。
「これが・・。」
彼は神妙な面持ちでそれを受け取ると、考え事を始めた。
「データコピーしましょうか?」
本体をあげても良いけど、何となくそれは躊躇われた。
「いや、それはいい。むしろ消したいんだ。」
「え?」
「言っただろう。存在するはずのない物だって。」
消す?存在しないはずだから、狙われるかもしれないから。
唯一あの人が・・“母だった人がくれた物”を、消す。
何故、何故私は戸惑っているの。
ほとんど覚えていない、私を見向きもしない人が遺した物。
執着する要素なんて何もないのに。
ただ浮かんだのは、最後に見た、強い眼差しと寂しそうな背中。
そして、小さく囁いた「ごめんね。」だった。
「ーー分かりました。」
「良いの?」
ああ、何て事はない。
覚えてないふりをしていただけ、忘れたふりをしただけ。
こんなにもあの人は、私の中に居た。
確かに彼女は“母だった”。
「構いません。篠ノ乃女さんに差し上げます。どうぞご自由に。」
それが失くなっても、“母”は“母”のまま。
「・・・遠慮なく。ごめん。」
ひどく優しい声だった。
だけど、悲しみを滲ませた「ごめん。」だった。
あなたが謝らなくても良いのに。
彼は指先に力を込めると、USBを2つに割った。
・・壊れちゃった。
どんな内容だったか、思い浮かべる。
そう、変な研究レポートだった。
魔法を使えない人間が、魔法使いになれるか。
確か、そんな研究。
何人かの子供と、彼女ともう1人の大人が実験対象だった。
研究者なのに自分も被験者になるなんて変わってるわ。
もうすぐ、完成間近だった・・
魔法の人体実験のレポート。
遅くなって、申し訳ありません。
本日(10/23)、『クドリャフカ序章/クドリャフカは誰だ』を更新致しました。
あと少しクドリャフカ編続きます。
もうしばしお付き合い下さい。